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2015年4月 7日 (火)

御殿場線の不思議(2)

▼明治22年、御殿場線(当時は東海道線)は国府津駅から酒匂川沿いに北上して、箱根外輪山の外側の隘路を大きく迂回して通らざるを得なかった。なぜなら、東西を最短距離で結ぶには箱根の山塊が壁のように立ちはだかっており、当時の技術ではトンネル掘削はまだ無理だったからである。では小田原~熱海間はどうなっていたか

2009_▼明治21年(1888)、国府津~箱根湯本間に15人乗りの馬車鉄道(1899年廃止)、明治29年(1896)に小田原~熱海間に人車鉄道が開業した。海に面した急峻な崖に細い道を切り開き、6人乗りのトロッコ様式の車両を通した。登り道の際は乗客も降りて押したと云う。芥川龍之介の短編「トロッコ」のモチーフにもなった。曲りくねっていたため総距離25km、時間にして4時間を擁したという。それらは次第に電気鉄道、軽便鉄道(小型蒸気機関車)にとって代わられ、明治40年(1907)には25kmを2時間15分かけて小田原~熱海を運行した。しかし、この軽便鉄道は大正12年(1923)の関東大震災で破壊され、復旧されないまま翌年3月に廃止された。
(写真は人車鉄道の図、6人乗りの窮屈な乗り物だった)

▼一方、大正14年(1925)までに国府津駅~熱海駅間は「熱海線」として開通したが、問題は熱海~沼津間で、その間は丹那トンネルという難工事が障壁となっていた。1918年に着工したが、当初計画7年、総工費770万円の予定が、実際には16年、2500万円という膨大な時間と費用を擁した。大変な犠牲のもと、丹那トンネルは昭和9年(1934)12月に開通、総延長、7,804m、当時清水トンネルに続いて第2位の長さだった。この工事の大変さは学校の教科書で学んだ記憶がある。とにかくこの昭和9年12月を境に、東海道線は御殿場ルートから、新たに短縮された現在の小田原~熱海~沼津ルートにとって代わられた。

▼御殿場線は使命を終えた訳ではない。明治22年から昭和9年まで45年間、沿線の発展に寄与してきた。今でも富士の裾野を通り風光明美である。御殿場線は極力平坦に近いルートを選んで敷設したといっても、御殿場駅を頂点に急な勾配が続くため、起点の国府津駅、沼津駅で全列車に登坂専用の補助機関車を連結していた。そして両駅、中間の山北駅に機関車の転車台があった。国府津駅にはその名残があり、現在は小さな児童公園になっている。「昔の光、いまいずこ」と言えなくもないが、それほど寂れた沿線ともいえない。(続く)
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御殿場線山北駅

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