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2015年3月 5日 (木)

深海に眠る戦艦「武蔵」発見?

その頃、九州の漁業界に異変が起こっていた。 
初め、人々は、その異変に気づかなかった。が、それは、すでに半年近くも前からはじまっていたことで、ひそかに、しかしかなりの速さで九州一円の漁業界にひろがっていたのだ。初めに棕櫚の繊維が姿を消していることに気づいたのは、有明海沿岸の海苔養殖業者たちであった。(以下略)


◆吉村昭の小説「戦艦武蔵」の冒頭の一節である。戦艦武蔵は「大和」に次ぐ2号艦として、民間の三菱重工長崎造船所に発注したもので、大和起工の4カ月後、1938年3月29日に起工された。当時父親は福岡県の工業高校を卒業し、電気設計技師として同造船所に勤務し始めた頃だった。当時は何事も秘密だったので、詳しい話は聞いていないが、「武蔵」の電気系統の設計の一部を担当したらしい。子供の頃、「武蔵」はあの船台で建造されたと聞き、「大和」より親近感を持っていた。落書帳に武蔵の絵をよく描いたものだった。

◆冒頭の小説「戦艦武蔵」の一節は、ドックとは違い船台で建造されるため、機密保持の観点から全て遮蔽する必要があった。種々検討した結果、棕櫚で作ったロープを簾のように上から下げるという方法を選んだ。そのため材料となる膨大な棕櫚が必要となり、本来漁網に回る材料が不足したことを記述したものだった。この小説は地道に取材を重ね、資料を収集、武蔵の建造から最後までを克明に描いたドキュメンタリーであり、戦時体制の日本を描いた歴史小説でもある。「大和」、「武蔵」に次いで3号艦、4号艦にも着手したが、さすがに海軍の大艦・巨砲主義に疑問が起き、3号艦は空母に改造、4号艦は途中で建造中止となったそうだ。

◆「武蔵」は昭和19年(1944)10月24日、米軍の空撃を受けフィリピンのシブヤン海で撃沈された。撃沈から70年余、この3月2日に「武蔵」と思われる画像を米資産家のポール・アレン氏が自身のツイッターに投稿した。深海1000mで発見された船体は、専門家によれば「武蔵」であることは99%間違いないという。「武蔵」は起工されてから2年8カ月、1940年11月1日に進水式、それから一連の艤装を長崎をメインに佐世保・呉でも行い、軍の事情による設計変更、納期の無理な短縮、試運転も早々に、1942年8月5日引き渡された。その間造船所は不眠不休の連続で、無理に無理を重ね突貫工事で完成させたのだった。

Photo◆「武蔵」は「大和」に遅れること8カ月後に就航し、「大和」に先立つこと6カ月余で最期を迎えることになった。就航からわずか2年2カ月余。はかない命だった。70年を経て、ようやくその所在が明らかになったが、日本は本当に何と愚かな事をやったのか。多くの若い尊い人命、高度な技術力、それを活かすも殺すも人間だ。今回の「武蔵」の発見は戦後70年目の節目。改めてそのことを現代の我々に問いかけているようだ。
(写真は「戦艦武蔵」ウキペッディアより)

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