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2015年2月19日 (木)

原発の是非を問う(前)

(1)原発は「悪」か?
エネルギー(電源)のベスト・ミックスが論議されている。福島原発事故の後を受け、安全、低コスト、安定的かつ環境にやさしい電力供給体制はどうあるべきか論じられている。国民の中では原発そのものの是非が問われ、脱原発派原子力を「」、再生可能エネルギーを「」と決めつけがちだ。一方原発推進派原子力の怖さ、後始末の厄介さから眼をそがちがちで、リスクを率直に話さない


(2)原発導入は間違っていた?
高度経済成長とともに、エネルギーの自給体制に乏しい日本は、効率的な持続可能な電源として原発を導入。国力の充実と相俟って、安定的、低コストを謳い文句に政府の後押しもあって電力各社は原発を導入していった。一方国民は当り前のように、供給源には殆ど無関心のまま恩恵を享受してきた。そうしてピーク時、水力、火力、原子力がほぼ三分の一のシェアで推移してきた。

(3)失敗を活かさなかった日本
しかし原子力には大きな落とし穴があったことを気付かせたのが、2011・3・11の福島原発事故だった。この事故は「澄んだ目で見て」、「広く見渡し」、「先を見通す目」があれば防げた事故だった。即ち過去の重大事故であった米スリーマイル島、及び旧ソ連のチェルノブイリの原発事故を徹底研究して、教訓を活かさなかったことだ。
次に地震学者や専門家の大地震、大津波に関する警鐘があったにも拘わらず、経済優先の見地から見通しを誤り、軽視していたことだ。また全電源喪失の事態を想定して、三重四重の安全対策を講じていなかったこと、さらに過酷事故の想定訓練をしていなかったことなど人災による面が極めて大きい。
そして何より大切な事は、核のゴミ対策を講じた上で、原発を稼働すべきだった。これらは全て結果論のように思えるが、実に三重四重の失敗を重ねていたのが日本の原発の実情だった。原発自体は悪でも善でもない。それはひとえに原発に関わる人間の責めによるものだった。(続)

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