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2015年2月 8日 (日)

憲法論議は「悪」か?

◆安倍総理が「憲法改正を視野にスケジュールを進めている」とメディアが(暗にこれでいいんですかと言いたげに)報じた。「憲法改正」イクオール「」、故に論議すること自体が問題だという風潮は55年体制の頃から、長年に亘り引き摺っている。戦争をしない平和な国であり続けることに異を唱える人は1人もいないだろう。但し、自衛隊の在り方について憲法上の地位がはっきりしないことと、国際貢献について国の方向が定まらないことから、常に憲法論議の是非が問題となっている。

◆憲法9条の「戦争放棄、戦力及び交戦権の否認」については、平和憲法の根本精神であるから、これ自体を変更するならば、国民はこぞって反対するだろう。第一、近隣諸国が黙っていない。問題なのは国際紛争解決の手段として戦力は保持しない、国の交戦権は認めないと規定しているにも拘らず、「自衛隊」という誰が見ても戦力を保持していることだ。この矛盾に対して日本政府は従来から、憲法は自衛権までは否定していない。故に自衛のための戦力の保有は憲法解釈上認められるとしてきた。つまり憲法は解釈によって事実上変更が可能であるということを国民は認めていたことになる。

◆しかし、このままでは自衛隊の存在について憲法上は何ら明記されていない。だからいつまで経っても不毛の論議が続く。自衛隊の保有を憲法上明確にした上で、その目的をはっきりさせることだ。即ち「自衛隊は外的侵略により国民の生命と財産が危機に晒される時にのみ、武力の行使が認められる。国際紛争解決のため武力の行使を伴う海外派遣は集団・個別を問わず一切認めない」とすればよい。但し、国連または同盟諸国から武力の行使を伴わない国際貢献のため、派遣要請があった場合でも、「危険に晒されるから、憲法上派遣はできない」と、孤立を恐れず毅然とした態度で断る覚悟が必要となる。問題は一国平和主義で世界に通用するのかが問われることになるのだ。

◆憲法施行後68年。時代は大きく変わっている。現行憲法は未来永劫に不変のまま存在しうるのか。国民はより良い憲法を求めて、見直す権利がないのだろうか。そのための議論そのものを否定する風潮があるのは如何なものか。安倍さんも改正を急ぐあまり、環境権の追加とか、簡単なものから始めるなどと姑息な手段は使わず「改正の目的はこう。だからここをこうする。」と明確に国民に説明しなければならない。改正不要とする人達は、自衛隊をどのように憲法上位置づけるのか、明確な判断を示し、国民の前で議論することが必要だ。そのうえで判断は国民投票に委ねることとして、メディアは一方に偏らず、故意に誘導するようなことがあってはならない。

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冠雪の丹沢連峰

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