« イルカ・ウォッチング | トップページ | 新種の侵略的外来種 »

2014年11月29日 (土)

天草から熊本城へ

◆天草という島について少し触れてみたい。とにかく想像以上に広い。データを見ると天草下島は淡路島に次いで6位の広さだが(択捉、国後を除く)、下島と上島は殆ど一体と見てよく、合わせると沖縄本島、佐渡島に次いで3位の広さだ。因みに4位奄美大島、5位対馬となる。雲仙天草国立公園の半分以上を占め、温暖で風光明美、エメラルドグリーンの豊饒な海は海産物の養殖に適し、釣りなどの海のレジャーにも最適で、海好きには堪えられない。歴史的にも天草四郎生誕の地とされる大矢野島は島原の乱で一揆勢が立て籠もった「原城」の対岸に位置し、天草四郎関連の史跡が見られる。但し、天草パールラインに面するお土産センターの敷地に建っている巨大な四郎の銅像は、客寄せパンダみたいで、いただけない。

2008年に熊本城本丸御殿が復元され、一度訪れたいと思っていたが、今回やっと念願が叶った。熊本城には昭和33年(1958)5月、中学校の修学旅行で訪れたのが最初。この時天守閣の前で撮った集合写真があったので、天守閣は存在していたと思っていたが、実は2年後の昭和35年に、内部構造が鉄筋の外観復元した天守が再建されていたことを今回知った。この天守は28年ほど前に一度見て、中にも入っている。最初に見た天守と混同していたが、50年以上前の曖昧な記憶と、当時は歴史や城などに殆ど関心の無い時だったので、誤認していたようだ。今回の見学で修学旅行で見た天守は「宇土櫓」であったことを知った。

Dscf0746◆この「宇土櫓」は小西行長が宇土に築いた「宇土城天守」であったものを、加藤清正の時代に移築して、熊本城宇土櫓」として創建当時のまま残されているという。中に飾りは一切なく、堅固な防御を象徴するような実用本位の櫓で、西南戦争の戦火でも奇跡的に焼失せず残った貴重なもので国の重要文化財に指定されている。他の城閣であれば優に天守に匹敵する規模で、中学校の頃、これが熊本城の天守閣だと思い込んだのも無理あるまい。

右から大天守、小天守、宇土櫓

Dscf0742_2◆復元された本丸御殿は、先にNHKで江戸城の内部をCGで再現する番組があったが、まさにその一部が現実に見られるというもの。合計147畳にもなる大広間、その最奥の昭君之間は格調高い襖絵、格子状の天井画、床の間の障壁画など荘厳な雰囲気が漂っており圧倒された。江戸時代を通して肥後熊本藩54万石を治めた細川氏の権力が窺い知れる。今回ボランティアガイドの案内を依頼したら、中年女性の担当者が丁寧に案内・説明してくれた。こう云うところでは、自分達だけの見学では通り一遍になりがちであるので、よく勉強している人に頼むのが一番だ。

Dscf0760 荘厳な障壁画

Dscf0762 昭君之間

Dscf0763 90㎝四方の天井画

 Dscf0771  整然とした城内の石垣

Dscf0777 巨大な空掘り

Dscf0779 宇土櫓より二の丸を望む 




« イルカ・ウォッチング | トップページ | 新種の侵略的外来種 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1299847/58126520

この記事へのトラックバック一覧です: 天草から熊本城へ:

« イルカ・ウォッチング | トップページ | 新種の侵略的外来種 »

2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ