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2014年9月 9日 (火)

虚実皮膜論

「芸は虚構事実との微妙な境界、即ち皮膜にあり、そこに芸術の真実がある」という演劇論を唱えたのは江戸時代の劇作家近松門左衛門だ。皮膜は「ひにく」とも読み、皮膚と粘膜のことで区別できないほどの微妙な違いの例えであり、写実だけでなく虚構があることによって、芸の真実味が増すというもの。
確かに絵画を例にとると、あまりに写実的に描けば、限りなく写真に近づくし、そこに画家の主観や印象を交え、自己を主張すれば写真ではなく芸術となる。また写真の場合、同じ被写体であっても、撮影者の意図・工夫・設定等のちょっとした虚構を交えることにより、芸術写真になり得る。

文章で表現した場合、事実をそっくりそのまま書けば文学や小説のジャンルから離れ、ドキュメントとなって、ノン・フィクションや新聞報道の分野に入る。虚構を交えることにより、小説や芸術の世界に踏み込み、味のある作品が生まれることになる。但し、料理人(作者)の腕に大きく左右され、美味しい料理にも不味い料理にもなり得るが・・・。

ところが、虚構を交えてはいけない報道・新聞の世界において、虚実取り混ぜ報じたことによって、とんでもない混乱と国益を損なう事態が起きた。云うまでもなく朝日新聞の「従軍慰安婦問題」の報道だ。戦前の国家による軍国主義推進の一翼を担い、虚構を交えた報道の反省から、戦後は逆に国家の姿勢を追求するあまり、虚実交えた偏った報道のため、結果的に国を陥めることに繋がった。
どちらにしろ、虚実取り混ぜた報道姿勢は、「虚実皮膜論」の芸術論とは相容れざるもので、国益を損なうということを証明した。一刻も早く全世界に向けて謝らなければならないのに、一向にその気配が見えないのはどうしたものか。

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