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2014年9月19日 (金)

小田原文学館の話し

前回の続きになるが、小田原市内の国道1号線の海側を並行するように、500mほどの閑静な佇まいの通りがある。広い敷地と瀟洒な住宅が並ぶ、小田原市南町の「西海子小路」(さいかちこうじ)だ。春には桜のトンネルが、通り全体を覆い、散歩する人の目を楽しませてくれる。

2011_0413005 
(西海子小路の桜・・時期が少し早い)

ここは江戸時代には武家屋敷が立ち並び、明治から昭和初期にかけて数々の著名人が住んだ場所だ。文学関係では齋藤緑雨、谷崎潤一郎、北原白秋、三好達治、坂口安吾等、数多くの文学者が一時期を過ごした場所でもある。

この通りの中ほどに白いスペイン風の洋館が建っている。現在「小田原文学館」となっているが、昭和12年、伯爵田中光顕の別邸として建てられたもの。田仲光顕は土佐藩の下級武士で、坂本龍馬が京都近江屋で暗殺された際、いち早く現場に駆け付けた人物として知られる。司馬遼太郎氏に言わせると志士としては二流だが、強運の持ち主で、戊辰戦争では陸援隊副隊長として活躍、維新後岩倉使節団に同行、西南の役の戦乱を経て、警視総監、宮内大臣、学習院院長などを歴任。明治30年には伯爵に列せられる。政界引退後、幕末・維新に烈士した多くの志士達の遺品・手紙などを熱心に収集し、日本各地に埋もれた志士達の顕彰に尽力した。昭和14年に95歳で没したと云うから、まさに歴史の生き字引のような人物だったといえるだろう。

2011_0413001左:小田原文学館本館から庭を見る)

この「小田原文学館」の敷地内に、前回のブログで書いた尾崎一雄の下曽我の自宅にあった書斎が移築され、何時でも拝観できる。また別館は純和風建物で、北原白秋童謡館となっており、白秋に関わる資料が展示されている。北原白秋は大正7年から15年までの8年間を小田原で過ごした。白秋はこの地で全童謡の半数近くを創作している。よほど気に入ったのだろう。

小田原出身の文学者には尾崎一雄の他に近代文学の先駆者となった北村透谷がおり、明治27年、満25歳と云う若さで東京芝の自宅で縊死をとげた。その記念碑が此の敷地内に移築されている。碑文の筆者は親交のあった島崎藤村である。他に、牧野信一、川崎長太郎、福田正夫、井上康文らがおり、先に挙げた小田原ゆかりの文学者とともに、本館内に資料が展示されている。興味のある方はおついでの折、お立ち寄り下され度。

Dscf0575 (北村透谷の記念碑)




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