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2014年6月 5日 (木)

小田原の地名の由来

◆2009年11月23日に「博さんのブログ」を始めて、この6月4日で記事数の累計が990本になった。(シリーズものは、例えば3回連載であれば3本とアカウント) 今月中には当初目標であった1000本に達する。これで一応の区切りとなるので、ひとまず筆を置き(?)また装い新たに再スタートするかどうか考えたい。
さて、小田原に移住して今年で満8年となる。この間迂闊にも本ブログ゙で「小田原」の地名の謂れについて一度も触れたことがなかった。普通に考えれば「小さな田んぼが開かれた原野だったからでは?」と思うが、必ずしもそうではないようだ。


◆相模湾に面する足柄平野は、箱根火山の火砕流による堆積物と大地震のたびに丹沢山地から押し流された膨大な量の土砂によってできた沖積平野だ。それらの土砂を運んだ川が「酒匂川」で、箱根火山と丹沢山地のあいだに酒匂渓谷をつくり、足柄平野のほぼ全域に扇状地を形成している。酒匂川は足柄平野を北から相模湾に向かって縦断する全長46kmほどの河川で、普段は石ころが多く、川床が浅い大人しい川だが、ひとたび大雨が降ると表情は激変し、昔から氾濫を繰り返す「暴れ川」で有名だった。
流域に水田が開墾されているものの、好適地とは云えず、小田原は水田地帯として特徴的に発展してきたわけではない。どうも「小さな田んぼ説」ではなさぞうだ。


Dscf3505 酒匂川と酒匂橋

◆では、「小田原」の謂れは何だったのか? 今でも大磯町から小田原市国府津にかけての相模湾一帯の海岸で、「小余綾(こゆるぎ)」という表示名をよくみかける。『万葉集』では相模国の「餘綾(よろぎ)郡」の海岸を「餘呂伎能波麻(よろぎの浜)と謳い、古今和歌集ではそれに接頭語の「小」をつけて、「小輿呂木(こよろぎ)の磯」と詠っている。「餘綾郡」が「淘綾(ゆるぎ)郡」と改められた後の和歌集では「こゆるぎの磯」と詠われている。さらに平安時代中期から鎌倉時代になると和歌の世界では、広く相模湾沿岸を歌う際の和歌の懸詞・枕詞として、地名を離れて使われるようになった。

Dscf0252 現在の国府津海岸

◆また室町時代になると主に大磯・小磯辺りを称するようになり、江戸時代には江の島から小田原付近までを広く「こゆるぎ磯」として日記や紀行文に記されるようになった。因みに「湘南」という言葉は寛文4年(1664)に大磯町「鴫立庵」に建立された碑に銘記されたものが文献上最古のものであり、いわば漢文表記である。これにたいし「こゆるぎ」は古くからある和名の表記の同義語だと云えよう。

Dscf3484 
大磯「鴫立(しぎたつ)庵」 今でも句会の場所として利用されている

◆さて、小田原の謂れだが、「新編相模国風土記稿」には小田原という地名が「小由留木」という文字の草書体を誤読したことに由来すると言う説を紹介している。「由」を「田」に、草書体の「る木」を「原」と読み誤って「小田原」になったというのだが・・・。
では、いつ頃から「小田原」と呼ばれるようになったのだろうか。北条早雲の小田原入城(1495年)以前の1418年には駿東から侵略してきた大森頼春が現在の小田原城よりやや北部に小田原砦・館を築いている。これより以前の鎌倉時代には、この地域に松田氏、河村氏、曽比氏、栢山氏、曽我氏、成田氏などの武士団がいたが、現在でも小田原市とその周辺に地名として残っている。しかし小田原氏という御家人や豪族はいない。おそらく鎌倉時代にはこの地域を総称して小田原と呼んでいたのではないだろうか。

*参考資料:「神奈川県民も知らない地名の謎」 (PHP文庫)








 

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コメント

2022年4月11日に本記事に対してwandsさんからコメントを頂きました。
有り難うございました。
8年程前にUPした記事だったので、内容については半分失念しかけておりました。
対して調査もせず、手元の資料だけで、気楽に書いたことを幾分恥じ入っております。
なお詳しくは「小田原史談会」の宮原諄二が書かれた「小田原のルーツを知りたい」
の記事が内容、ボリュームとも充実しています。
「小由留木説」は(草書体の誤読説)は、江戸時代かそれ以前に、学のある者が唱えた
歴史に残る“名ジョーク”であろうと思ってる、と宮原氏は書いております。

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