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2014年5月30日 (金)

唱歌「朧月夜」

昨日は梅雨入り前の穏やかな「五月晴れ」と思いきや、昼下がりには遠雷が聞こえ、あっと言う間に夕立が通り抜け、一転、眩しいばかりの夏日となりました。これから梅雨の季節を迎え、暑さも日毎に増していくことでしょう。
西日本では黄砂で霞み、朧日和だそうです。考えてみれば黄砂は今に始まったことではない。数千年前の中国黄土文明の頃から偏西風に乗って、日本に飛来していたはずです。しかし近年のそれは性質がまるで異なっています。黄色い大地の土埃に有害な大気汚染物質が含まれているから、ことは厄介です。「♪月は朧に東山~」なんて呑気に唄っている場合ではありません。


春先から田植えの時期にかけて、かつて日本各地で見られた情景を歌った「朧月夜」という唱歌があります。この歌は「故郷」などと同様文部省唱歌で、作者不詳のまま小学校の音楽教材として歌い継がれてきました。昭和40年代になって、作詞は信濃出身の高野辰之、作曲は鳥取県出身の岡野貞一の作と判明。この二人のコンビは「朧月夜」、「故郷」の他にも「春が来た」、「春の小川」、「紅葉」など多くの多くの日本人の琴線に響く文部省唱歌を生み出してきました。

  朧月夜」   作詞:高野辰之  作曲:岡野貞一 (大正3年6月発表)
1. 菜の花畠に 入日薄れ    見わたす山の端 霞ふかし
   春風そよ吹く 空を見れば  夕月かかりて 匂い淡し

2. 里わの灯影も  森の色も   田中の小路を辿る人も
   蛙の鳴くねも  鐘の音も   さながら霞める 朧月夜 


一番はまさに暮れなんとする春の田園を描いた叙景で、二番は刻々とあたりを包み込み、目に見えるものも、耳から聞こえるものもすべてが霞んでいくという情景を歌っています。読売新聞編集委員の芥川喜好氏はこの「」という感覚を「水蒸気に満ちた春の夕暮れのなま暖かい、たゆたうような空気が感じられる。少し昔の人ならだれでも心当たりのありそうな感触だ」と述べています。さらに続けて「視覚と聴覚の別が無い。あえて言うなら声も音も風景の一部になってかすんで見えている」と。

この「」という概念。辞書を引くと「物の姿がかすんではっきりしないこと ほんのり」などとあります。芥川氏は「朧月夜」の歌の裏に、深い意味があるとコラム「時の余白」の中で述べています。「たとえば、風鈴の音が涼しい。これは聴覚が皮膚感覚に及んでいる。『』にも視覚と聴覚の越境がある。感覚の境界が曖昧であること。互いに越境しあっていること。そこに日本語の一つの特質があると思う」と述べています。換言すれば「朧とは、境目は曖昧でいいという日本人の美意識、文化の形を示す言葉のようだ」と深く洞察されています。文部省唱歌にも深い意味があったのですね。

Photo 
木々の木洩れ日

 

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