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2014年5月16日 (金)

荻窪用水を訪ねて

5月13日、雨上がりの朝、久し振りにシルバーメンバーと初めて「疏水百選」、「土木百選」にも認定された「荻窪用水」を探索してきました。荻窪といっても東京杉並区の荻窪ではありません。箱根外輪山の山裾が足柄平野の南端にかかる辺り、風祭地区の起伏のある丘陵地帯にある歴史的遺産でもあります。今回は小田原ガイド協会所属のベテランガイドに案内してもらいました。

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荻窪用水とは、箱根駅伝の山登りコースでお馴染の「函嶺洞門」付近で、早川の水を堰で取水し、天然の地形を利用して造られた用水路で、江戸時代の寛政年間に2年6カ月の工期をかけて完成した農業用水です。取水口から、途中で荻窪川という小川と合流して、小田原市内の山王川へ合流する全長10.3kmの疏水で、現在も分水したり、流域の農業用水として利用されています。全行程をじっくり見学するには3日は必要とのことで、今回はちょうどその真ん中部分を探索してきました。舗装された細い道もありますが、草叢の中のケモノ道みたいなところもあり、初めての場合ガイドは必要でしょう。

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取水口の標高は105m、途中に開渠部分や 暗渠部分そして人手によって掘削された隧道部分など、曲りくねった用水路は広い所で2m弱、狭い所では数10cm、天然の小川である荻窪川との合流地点まで6.3kmで、その地点の標高は90m。その6.3kmの距離を高低差15mで緩やかに通すには(1000mで約2m)かなり高度な技術が必要とされました。特に固い岩盤部分を避け、比較的柔らかい箱根の火山灰が堆積してできた部分を選んで、掘削した丸塚隧道、桜田隧道(長さ100m~300m、高さ1.8m程、幅1.5m程)には苦労がしのばれます。

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もともと小田原藩主大久保忠真の時代に石高増産のために、近郊6カ村の開発事業として始めたもので、平地ではない狭い部分にも水を引き入れて増産を図ったものです。ところが明治時代に時の権力者山縣有朋が古希の際に終の棲家として風祭地区に「古希庵」を造営しました。庭園狂いの山縣は古希庵の和風庭園に水を引くため、荻窪用水に眼を付けたのです。標高95m地点に山縣水源地(深さ4m、上部直径26m、底部直径17mのすり鉢状)を造り、一旦沈殿させ、ここから「山縣水道」を通して、海抜20m地点に落します。ここから海抜35mの「古希庵」まで、どうやって揚水したか。それは「サイフォン」の原理」を応用したものでした。今でも庭園は残っており、この水を利用した人口の滝など見事な庭園を見学することができます。当時の権力者は想いのままだったんですね。
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分流した荻窪用水が小田原用水(早川用水)と合流する地点。暗渠部分の右側に流入するのが見える。

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