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2014年4月25日 (金)

「野球小僧」の記(2)

さて、小学校の頃の野球(実際はソフトボール)の話に戻ろう。今の子供達と云えばまずユニフォームから入るが、当時は普段着のままで、ボールとバットさえあれば校庭や原っぱで、すぐ始まった。グローブは手製の布製のもの、素手もいた。小学校の4年生の頃だったか父親に豚皮のグローブを買ってもらった。うれしかった。ところが腕前の方はヘタッピーもいいところ。
フライがあがれば万歳してなかなか捕れない。打席に立てば空振りばかり。守備は率先してあまりボールが来ないライトかセカンド。それでもたまに大きな飛球をキャッチしたり、クリーンヒットが出たりするから野球の面白さから離れられない。


放課後、校庭で二手に分かれて試合、試合というより遊びと言った方が正確かも知れない。そういう中で「野球小僧」のイメージにぴったりのクラスメートH君がいた。サードを守り華麗な守備とシュアーなバッティングは群を抜いていた。高校は甲子園にも出場した私立のN高校に進学して、後にそのプレーをスタンドから見ることになる。

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もう一人小学校6年の時、転校してきたM君がいた。彼は今で言う「ウィンドミル投法」のような投げ方で滅法球が速く、バットにかすりもしなかった。数年前、小学校の同窓会で50数年振りにM君と再会した。彼の話によると、高校は当時全国制覇を成し遂げた「法政二高」に野球留学をしたという。法政二高と云えば後に巨人入りする柴田を擁し、1960年夏、1961年春で優勝を飾った名門だった。柴田はまさに我々と同期生、M君は打撃投手として頑張ったが肩を壊し、その後関西で仕事をしながら少年野球のコーチをしたという。教え子に清原、桑田もいたそうだ。

さて、自分は長崎西高に進んだ。野球部は戦後間もなく一度だけ甲子園に出場したが、その後は全く縁がなかった。ところが同期にK君という剛腕のピッチャーが出てきて、我が西高は予選を勝ち進んでいった。予選の何試合目かの応援で、相手チームのショート・ストップにあの小学校のクラスメートH君を見たのである。
小柄ながら動きは俊敏で溌剌としており、まさに「野球小僧」そのもの、嬉しく懐かしく思った。西高はH君のN高を破りいよいよ決勝戦。決勝の相手は甲子園の常連校の男子私立校。これに勝てばいよいよ甲子園だ。応援に熱が入る。エースのK君は180cmを超える長身、剛速球で相手をねじ伏せていった。しかし熱戦むなしく、あと一歩で涙を飲んだ。


このK君は卒業後、阪急ブレーブス(現オリックス)に入団、母校のプロ選手第一号となった。K君はその後肩をこわし系列の会社に入って社会人として大活躍。一昨年行われた西高卒業50周年記念同窓会を機に交流が深まった。そして昨年7月24、25日彼のお誘いもあって関西を訪問。ブレーブスの本拠地京セラドームのVIPルームで観戦する機会をもってくれた(そのことは昨年7月26日のブログにUP)。因みに彼の背番号51はその後イチロー選手に引き継がれている。また阪急ブレーブスという球団は選手の面倒見の良い素晴らしい球団で、今でも年に一度OB会が行われ、錚々たるメンバーが集結し、彼も毎回喜んで参加しているとのこと。(続く)

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京セラドームVIPルームでK君と筆者             

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