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2014年4月26日 (土)

「野球小僧」の記(3)

息子が中学生になって、野球部に入った。今から20数年以上前のことである。もちろん軟式野球だが、休みの日に久し振りにキャッチボールをやった。小さい頃は決して上手い方ではなかったが、その時はスピードのある重い球がズシリとグラブに響いた。子供の成長は早いものだと思った。
 たわむれに 捕手となりて 球を受け  
              
   痛さ半分 よろこび半分 

 
我々が子供の頃のヒーローは赤バットの川上、青バットの下、物干し棹の藤村、剛球別所、怪童中西、鉄腕稲尾、等々だった。ところが中学3年の時、六大学のヒーロー立教の長嶋茂雄が鳴り物入りで巨人に入団した。この年からプロ野球の歴史が大きく変わったと言えるだろう。つまり戦前からのヒーローだった川上が引退する年となり、新時代のヒーロー長嶋が入団して、途中から4番の座を長嶋に譲ったのだ。昭和33年8月だった。

長嶋は1936年(昭和11年)千葉県佐倉市で生まれ、幼少の頃は阪神藤村富美男のファンだったという。戦後まもない小学4年性の時、野球を始め、母親手縫いのグラブ、青竹のバットを使った。6年生の時地元の青年野球団に入り、兄の下で遊撃手として育てられた。
灰田勝彦が野球小僧をレコーディングしたのが1951年(昭和26年)、当時長嶋は中学3年生。まるで長嶋を見てこの歌ができたような感じがするほどだ。六大学野球でホームラン記録を作った立教時代、国鉄金田の前に4打席連続三振を喫した鮮烈なデビュー戦。とにかく天性の明るさと快活な動きが目立った。ハッスルという言葉が流行ったのも長嶋によるものではなかったか。


もっとも印象に残っているのは入団2年目、1959年(昭和34年)6月25日、後楽園球場で行われた天覧試合だった。史上初めて天皇・皇后がプロ野球を観戦するという歴史的な試合だった。この3年ほど前、我が家にもテレビが入り、その日はドッカリとTVの前に陣取った。終戦から14年、すっかり平和の世の中に溶け込んだ両陛下の穏やかな表情がよく見て取れた。
この試合、シーソーゲームで巨人が長嶋、ルーキーの、5番坂崎がホームランを打てば、阪神が藤本の本塁打等で、9回表まで4対4の同点。 9回裏巨人の攻撃。先頭打者は4番長嶋。ピッチャーは小山をリリーフした村山。村山は新人ながらここまで5勝をした剛腕。
カウント2-2からの5球目、内角高めのシュートを思い切り振りぬいた打球はレフトの頭上を越え、スタンドに吸い込まれた。見事なサヨナラホームランだった。もしここで巨人が0点に抑えられたら延長戦となり、両陛下は球場を後にしたであろう。関係者はヤキモキしたという。天皇皇后両陛下が、野球を堪能したような満足の表情を浮かべ、観客に手を振りながら退場する姿が印象的だった。本当に絵に描いたような稀に見る好ゲームだった。

 
「野球小僧」の歌の話から、最後は長嶋茂雄の話まで書いてきたが、それにしても長嶋という男、日本のプロ野球のために生まれてきたような男ではなったか。昨年国民栄誉賞を受けたが、遅すぎる受賞ではなかったか。(終り)

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