2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 日中友好と確執の現代史(前) | トップページ | クリミア半島のロシア編入 »

2014年3月20日 (木)

日中友好と確執の現代史(後)

◆1976年(昭和51年)周恩来、毛沢東がともに死亡すると、その次の実力者となった鄧小平は文化大革命を終了させ、4つの近代化路線を打ち出した。そして昭和53年福田首相の時日中平和友好条約に調印。この時も尖閣諸島問題は将来の人達の知恵に任そうなどと云って棚上げした形となった。鄧小平は1978~1992年の間、友好的な日中関係を築いたかのようであったが、実は経済力、軍事力が対等以上になるまでは、大人しく振舞っておこうという腹積もりだった。「黒猫でも白猫でも鼠を獲る猫が良い猫だ」と云って、実利に徹した実にしたたかな政治家だった。

◆次の実力者江沢民は(1992~2004年)一気に牙を剥いたように、日本の侵略の歴史だけを強調して、徹底した反日教育を浸透させた。そうして育った若者たちが社会の第一線に立っているため、事あるごとに反日運動を展開し、まともな友好関係を築くことが困難となった。実に江沢民こそ日中関係悪化の元凶と云える。

◆その後を引き継いだ胡錦濤(2004~2012年)は内心において、日本に対して友好的なものを持っていたように見える。その訳は今月10日から13日まで4回に亘って本ブログに連載した「孫文と梅屋庄吉」で触れたように、来日した時に日比谷公園の老舗レストラン「松本楼」を訪ね、孫文の偉業を偲んだことにも見てとれる。しかし、反日ムードが高まっている時に、自国民に対日友好的な態度を微塵たりとも見せることは、自分の地位を危うくすることだった。野田政権の時に、中国の尖閣諸島領有圧力に対抗するため、尖閣諸島国有化を表明したことが火に油を注ぐ結果となってきた。

◆一昨年、古錦濤の跡を引き継いだ習近平は(2010~)は、江沢民の息がかかった人物だけに、またもや最悪の関係に戻った。特に中国がGDPで日本を抜いて世界第二位となり、世界屈指の軍事大国となった今、どこもその勢いを止めることはできなくなった。その膨張主義は宇宙に単独でステーションを造ろうかというまでになってきている。尖閣諸島の領有も風前の灯。これを許せば、さらに付け込んで日本の権益を脅かすようになるだろう。どうすればこれを阻止することができるだろうか。云うまでもなく、今以上に日米関係を強固なものにし、また同様に中国の脅威に晒されている東南アジア諸国と同盟関係を結び、集団的な形で防衛力を高めることが、中国をけん制することになり、抑止力になるのではなかろうか。(終)

« 日中友好と確執の現代史(前) | トップページ | クリミア半島のロシア編入 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1299847/55444542

この記事へのトラックバック一覧です: 日中友好と確執の現代史(後):

« 日中友好と確執の現代史(前) | トップページ | クリミア半島のロシア編入 »