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2014年3月18日 (火)

集団的自衛権問題を考える

集団的自衛権論議は野党の猛反対がある一方、推進する与党の中でも一部に慎重な動きもあり、国論も半々に割れてなかなか纏まらない。ここでは「反対派」、「推進派」それぞれの意見を見ながら、どうあるべきか考えてみたい。
反対論」の多くは、①平和憲法が施行されて67年、日本は一度も他国と戦火を交えることは無かった。憲法上に規定されている戦争放棄は、「集団的自衛権」を認めることで、パートナーが敵国に攻撃されれば、一緒に防衛しなければならなくなる。即ち戦争に加担することになり、憲法の歯止めをはずしてしまう事に繋がり、絶対に反対である。
②国の行方を決める重大な憲法の規定を一内閣の憲法解釈の変更で、決められるものではない。それが許されるならば、内閣が変わるたびに、憲法解釈の変更が可能ということになり、憲法の体をなさなくなる。

一方「推進論」は①戦後69年、日本を巡る周囲の環境は大きく変わってきた。この間戦火を交えなかったのは平和憲法の存在が大きかったが、日米安保の存在によるところも大きい。憲法9条2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあるが、現実には自衛隊という戦力を有して、自衛のための交戦までは否定されないとする。故に憲法が現実とかい離しているところに問題がある。
近隣諸国の軍事的脅威が増強されている今、万一、尖閣諸島が占有された場合、日本一国で奪還できるか?現在の日米安保を強化し、即ち集団的自衛権をより明確化することが、近隣の脅威を未然に防ぐことになる。本来なら憲法改正すべきところだが、96条による改正手続きのハードルが高いため、万一の場合を想定して、対処するものである。国民の生命と財産の安全を守るのは政治の役目である。

どちらの言い分ももっともである。しかしどちらも問題なしとは云えない。「反対論」の原理原則はその通りだが、近年国防費を大幅に増やし、防空識別圏を勝手に広げ、東シナ海と南シナ海諸島の領有と制海権に野心をむき出しにする中国があらゆる策略を駆使して、事実上占有してしまったら、どうするのだろうか。日本一国で奪還するのか、むしろ中国はこれ幸いとばかり報復し、占有を強化するだろう。アメリカだってこんな小さな島の奪還のために自国の兵の命を失うような手助けはしたくないはずだ。では、黙って無法ぶりを見過ごすのか?その辺のことが「反対派」のいう論理からは見えてこない。
では「推進派」が言う通り、憲法解釈の変更で集団的自衛権が認められるとするならば、アメリカと一体となって戦争に加担することになるのではないかという批判があることは確か。「推進派」はこれに対して明確な答えを用意していない。
要するにどちらも国民が納得いく、回答を示していないし、国会だけでなく、国民も巻き込んだ深い議論が必要だろう。そしてそれを踏まえ政府は具体的にあらゆる事態を想定して、対応策を講じることが必要ではないだろうか。そのうえで国民が納得いくよう説明し、必要ならば堂々と憲法改正を訴えればよいのだ。

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