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2014年3月20日 (木)

日中友好と確執の現代史(前)

◆3月17日の読売新聞がやや小さい扱いながら、習近平氏が歴代国家指導者5人の「重要指示」を全国数百万ヵ所に上るすべての軍と武装警察部隊の支部の会議室に掲示するよう通知したと報じた。歴代国家指導者とは毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤、それに本人である習近平の5人のことで、なんと毛沢東、鄧小平と同列に自分を置くという厚かましさに我が目を疑った。党関係者からは「個人崇拝復活に繋がりかねない」との懸念の声も出ているという。それにしても「腹の中で何を考えているのか分からないような、ヌーッとした風貌」の習近平が国家主席になる前に、次期中国の指導者だと云って無理やり天皇陛下に謁見させた小沢一郎はもっと糾弾されて然るべきではなかろうか。

◆第二次世界大戦後、戦勝国側になった中華民国は、1949年(昭和24)毛沢東らの共産主義革命により中華人民共和国を樹立。蒋介石率いる中華民国は台湾に追われて分裂する事になった。以後国際的には台湾の中華民国が表向き中国を代表する政府となったが、英国、フランスは次第に中華人民共和国をも承認するようになった。そして1971年には大国中国の存在を無視するようにはいかなくなり、10月の国連総会で中国の国連復帰が決定し、台湾は国連を脱退した。

◆大国として台頭した中国の影響力は、もはや国際社会の枠組みに取り込まざるを得ない状況となった。チベット侵攻、台湾との武力紛争、インドとの国境紛争、核実験成功、文化大革命で紅衛兵が全国を席巻、人工衛星打ち上げ成功など、こういう由々しき状況を黙視してでも国連に復帰させることになったのである。そして1972年2月に米ニクソン大統領が頭越しで中国を訪問。米中共同声明を発表。日本もこの年(昭和47年)9月追随するかのように、当時の田中首相が訪中し、国交を樹立した。日中国交が回復して、今年で42年、これほど冷え切った事態はかつてなかった。

毛沢東・周恩来時代の昭和47年(1972)に日中共同声明で、戦後処理も含め、一応の解決をみた。ところがその前の1969~70年に国連海洋調査で尖閣諸島を含む東シナ海に石油埋蔵の可能性があると発表れると、突然中国と台湾が領有を主張し始めた。
当然のごとく、日中国交回復を交渉する段階において中国側は、尖閣領有問題を棚上げにしようと提案。日本は棚上げに同意した事実は無いと言うが、国交樹立を優先し、その点が曖昧であったことは否めない。日本は石油埋蔵が判明する前に、尖閣諸島に日本国の領土の石碑を建てるなり、灯台を築いていれば後顧の憂いは無かったのだが、将来を見通す政治家がいなかったのか、残念の極みとなった。そうでなかったとしても、この交渉において国連やアメリカを仲介にしてでも、尖閣の領有をはっきり認めさせて置くべきだったが、後々中国に付け入る隙を与えてしまうことになった。(続く)

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