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2013年11月 7日 (木)

大船観音のこと

◆昭和35年夏、高校2年の時東京に向かう修学旅行列車に乗っていた。列車が大船駅に停まった時、ふと車窓を見ると駅の西側の小高い森の中に真っ白な観音様の顔が見えた。石膏でできたような新しい像であったので、気にはなったものの、たいして由緒あるものとは思わなかった。その後、東京とその近郊に住むようになって半世紀以上、数え切れないほどこの観音像を外から見てきた。気になる存在ではあったが、一度も間近で拝観することは無かった。

Dscf0193 大船駅付近から見た観音像

◆ところが、先日ふらっと参拝料300円を払って、初めて中に入ってみた。それで分かったことは、この25mの巨大な胸像は自分が初めて見た年の4月に落慶したということだった。まさに建立されて間もない時期に見ていたのだ。
普通仏像は坐像か立像。ところがこの大船の観音は胸から上を地上に出しており、下の部分は地下に埋まっているのかと錯覚さえ覚える不思議さだ。だがその表情は穏和で何とも言えぬ優しさを感じる。しかもバックが青空で遮るものが無いので、奈良の大仏(15m)、鎌倉の大仏(13.4m)よりも小さく感じる。因みにブロンズ像で世界最大のものは茨城県の牛久の大仏(120m)だそうで、千葉県富津市にある「東京湾観音立像」は高さ56m、昭和36年完成、観光がメインの建築物のようだ。


Dscf0178 境内正面から見た観音像

◆通常仏像は建立されると寺院に収められる。ところがこの大船の観音像は昭和4年地元有志の発起により、護国観音として築造が始まった。しかし昭和9年、戦局の悪化により中断。以来20年間放置されたが、昭和29年東急の五島慶太ら政財界、宗教界、建築界の著名人らが発起人となって(財)大船観音協会が発足。東京芸大の彫刻家山本豊一の設計と指導で昭和32年5月起工、35年4月に落慶した。運営は同財団が当たったが、昭和56年財団は解散し、曹洞宗総持寺の末寺「大船観音寺」に改称され、現在に至っている。仏像が誕生して21年後に「信仰の場への移行」という要望が高まって、寺院が後追いで出来たと云う事になる。

Dscf0181

観音像の胎内の一部。設計した山本豊一氏は法華寺本堂の本尊の影響を受け、まず30分の1のミニチュアを作った。その作品が胎内に安置されていた。

【特記事項】  境内に「原爆犠牲者」慰霊碑があった。広島の爆心地、西蓮寺からは地蔵尊の土台石が、また長崎の浦上天主堂から被爆石が寄贈され、平和を祈る姿が表されている。さらに慰霊碑の右手には「原爆の灯の塔」があり、灯篭の中で灯し続けている。謂れを記すと長くなるので割愛するが、神奈川県鎌倉市大船にこのような平和を祈願するモニュメントがあるということは、観音様の穏やかで無垢な表情が呼び寄せたということだろうか。







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