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2013年7月 3日 (水)

けんちん汁の由来

◆昨日(7月2日午前8時30分)、鎌倉五山第一の「建長寺」の敷地内にある民家から出火して隣家と合せ二棟が全焼したというニュースが飛び込んできた。建長寺の塔頭の中に食い込むように民家が二軒ほどあったことは気が付いていた。書院の日本庭園の裏にあって、回春院や半僧坊に向かう際に必ずその前を通る。そのうち「何でこんなところに一般の民家があるの?」と違和感があった。鎌倉が世界遺産登録から除外されたのも、こんなところにも要因があったらしい。この火事のため住人の御老人が亡くなったそうだが、一時は建長寺に類焼が及ぶかと大変な騒ぎだったようだ。

◆実はケンチン汁の由来に就いて書こうと思っていた矢先だった。由来については、二通りの通説があるが、一つはこの「建長寺」に由来するもの。1253年(建長5年)、北条時頼によって創建され、南宋の僧蘭渓道隆の開山によるもので、臨済宗建長寺派大本山として今日に至っている。この建長寺の創建当初、修行僧が崩れてしまった豆腐と野菜を「煮込み汁」としたところから「建長寺汁」→「建長汁」→「けんちん汁」となった云う説。因みに建長寺を中国語読みすると「ケンチャンスー」というそうだ。

◆もうひとつは中国の普茶料理からきているもので、江戸時代初期1654年、明僧隠元が長崎に来着。黄檗宗と云う新しい禅宗を日本にもたらした。このときに普茶料理の巻繊(ケンチャン=野菜を刻み、豆腐を混ぜて炒め、湯場で巻いて、油で揚げた料理)がアレンジされ、巻繊汁→「ケンチン汁」になったという説だ。因みに普茶とは葬儀や法事の後、参加者、近所の手伝い人などの普く(あまねく)、お茶を給したことから始まったことによる。要するに精進料理のことで、この後、ゴマ和え、胡麻豆腐、けんちん汁などが一般に広がっていった。

◆この二つの説の違いには400年という時間差があることだ。もし建長寺説が正しいとすれば、鎌倉、室町時代から戦国、江戸時代に至るまで一般的に普及していなければならない。江戸時代の初期以降に庶民まで拡がったとするならば巻繊汁説が正しいということになる。簡単な事だと思ってNETで調べてみたが、はっきりしない。建長寺説にしたって、宗門内で営々と引き継がれていたとするならば、否定はできない。もう少し調べてみる必要がある。

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建長寺唐門。手前が書院でその裏側に庭園がある。

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