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2013年7月28日 (日)

平成「大阪夏の陣(?)」 後半

◆翌25日は大阪の中心淀屋橋に集合。この日は昨日の3人に加え、大阪近在各所から5名の同期生が駆けつけ「関西ミニ同窓会」と相成る。もっとも関西在住のメンバーは結束固く、年1~2回の会合を始め過去、韓国、台湾、大連・旅順などへも訪れたとのこと。

◆さてこの日、まず淀屋橋近くにある重要文化財、緒方洪庵の「適塾」を訪れた。洪庵は備中の生まれで、若い頃から大阪、江戸、長崎で蘭学、医学を学び天保9年(1838)、大阪瓦町に蘭学塾「適塾」を開いた。以後明治元年、適塾が閉鎖されるまでの30年間に全国からおよぞ1000名の塾生が学び、多くの人材が育っていった。
名だたる所では、倒幕運動に身を捧げた橋本佐内大村益次郎、幕府側について新政府に抵抗するも、後の明治政府に重用された大鳥圭介、そして何と言っても開明的思想家で学者でもあった福沢諭吉がここで学んだことが大きい。諭吉は中津藩の藩校だけでなく、この私塾で学んだことが、後に慶応義塾の創立に繋がったのであろう。


Rimg0186 適塾、2階の塾生寄宿部屋

◆武士の子弟の教育機関として、幕府は神田湯島に直轄の昌平坂学問所を擁し、各藩は全国で最大255校の藩校を抱えていた。有名なところでは会津藩の日清館、水戸藩の弘道館、長州藩の明倫館などがある。当初儒学、朱子学、陽明学、さらに国学を教えたが、江戸時代末期になると、時代のニーズもあって一部の藩校では国学、漢学に止まらず、医学、化学、物理、西洋兵学も教えるようになって、事実上の総合大学にまで発展した。

◆そこに、「官」に頼らない「私」熟の登場である。蘭学の第一人者である緒方洪庵は「適塾」を開設、全国から優秀な人材が集まってきた。学生は起居を共にし、寝る間も惜しんで、一冊の蘭和辞書を奪い合うように勉学したと云う。「適塾」開設の18年後、吉田松陰が「松下村塾」を、「適塾」が廃止された1868年には福沢諭吉が「慶応義塾」を開いた。私学には私学の良さがあったのである。適塾は多少の紆余曲折を経て現大阪大学医学部の前身となった。

【水上バスから大阪の街を見る】
「水の都大阪」と云われるが、今まであまりピンとこなかった。しかし今回水上バスに乗り、寝屋川、土佐堀川、旧淀川に架かる八百八橋と云われる幾つもの橋をくぐって、大阪城を始め、名立たる大阪の名所を眺めると、複雑に入り組んだ「水の流れ」が造り出す風景に、やはり「水の都」と云われる所以を納得する。
折しも、今宵大阪天満宮の天神祭が開催されるとの触れ込みで、あちこちに着飾った船が無数にたむろし、音曲を奏で、早くも出番を待ち望んでいる様子が見て取れる。陸では浴衣姿の若き乙女子が三々五々そぞろ歩き、宵闇の訪れを待つかのように刻一刻と「祭と花火の一大ページェント」が近づいてくる。だが残念なことに新幹線の時間も迫ってきた。仲間の皆さんにお世話になった謝意を述べ、暑かった大坂を後にした。

R0024769 
水上バスに乗り込む

R0024688 天神祭の船

R0024802 多くの橋の下をくぐる

R0024847 船の屋根を支える可動式柱

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船の屋根が橋の底にぶつかる場合は屋根が自動的に下がりその分支柱が圧縮される。

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