2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

« 梅雨真っ盛り | トップページ | 幕末会津のこと(1) »

2013年6月21日 (金)

尖閣諸島の領有棚上げ論について

◆尖閣諸島の領有権を巡り、1972年(昭和47)9月の「日中国交正常化」に向けての首脳会談のやりとりについて、日本の外交記録を見ると、当時の田中角栄総理が周恩来首相に「尖閣諸島に就いてどう思うか」と尋ねたところ「今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。」と遮ったという。田中総理の意図は「できれば日本の領有権の言質を取って帰ろう」という思いだったと見られている。
この時、この問題を深く追求すれば、もっと大きな国交正常化の進展の妨げになるし、「棚上げ論の合意」と云う形で文書に残せば、中国側も将来の行動(領有化)を縛ることになる。日本としても、棚上げすることは自国領をわざわざ「係争地」として認めることになる。従って、曖昧なままにして蓋を閉じた形になった。


◆ところが野中広務元自民党幹事長が6月3日訪中して、中国要人と会った後の記者会見で、当時の田中総理から聞いた話として「尖閣諸島については棚上げすることで、将来話し合いができるようになるまでは静かにやっていこうと云う話だった」と述べた。田中総理が自民党内の内々の会合で述べたとしても、外交の舞台の場でそれを持ち出すとはどういうことか。鳩山元総理が尖閣諸島は係争地だと述べたことが中国では絶賛されたという。政治家の不用意な発言が日本国内の世論の分断に利用されかねない。

◆尖閣諸島が日本領に正式に編入されたのは明治28年(1895)だった。日本政府は尖閣諸島の領有状況を1885年~1895年まで慎重に調査して、どこにも属していないことを確認した上、1895年1月14日、閣議決定し、沖縄県に編入した。
1968年、国連が行った海洋調査で、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性が指摘されると、それまで黙認していた中国・台湾が1971年に領有権を主張しはじめた。しかも、1972年(昭和47)5月の沖縄返還の直前だったのである。1978年、福田内閣のもとで「日中平和友好条約」が締結される直前にも、中国漁船群が領海侵犯を繰り返していたが、「事件の再発は無い」と約束したので、調印した。この時、鄧小平は「尖閣の問題は将来の世代の知恵に委ねようとしたことが棚上げ論の論拠になってしまった。まさに中国ペースでの外交交渉だった。


◆しかし昨年、日本政府が尖閣の国有化を表明すると中国は猛反発をしたが、棚上げ論を言いつつ、中国は国交正常化の14年後の1992年に施行された領海法で、尖閣諸島を新たに自国領と明記した経緯がある。この時点ですでに「棚上げ論」は、歴史的にも政治的にも完全に自分の方から放棄してしまったと言える。中国のこのような「軍事力が弱い間はおとなしく装い、強力になると牙をむく」と云うやり方は今に始まったことではないが、日本は子供のようにあしらわれていると云えないか。それにつけても外交力をどうしたら高めることができるか、日本に与えられた課題といえよう。

« 梅雨真っ盛り | トップページ | 幕末会津のこと(1) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1299847/52129685

この記事へのトラックバック一覧です: 尖閣諸島の領有棚上げ論について:

« 梅雨真っ盛り | トップページ | 幕末会津のこと(1) »