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2013年6月 9日 (日)

新日本風土記「長崎」 (前編)

先日NHKBSプレミアムの番組「新日本風土記」で”長崎”を取上げていた。長崎をモチーフにした番組は珍しくはないが、この番組では少し角度を変えて取材していた部分もあったので、新たな発見にもなった。

(1)まず、最初に取上げたのが坂の街「長崎」。港に面した平地の部分は少なく、そこを取り囲むように丘や小高い山並の上部に至るまで民家がびっしり並んでいる。しかも無秩序と云っていいほどに。これが100万ドルの夜景の原型になっているのだが・・。実に長崎の民家の80%は坂や石段に面しているという。しかも老人が多く、上り下りに難儀しているのだ。そこで一部の石段が続く坂道に、二人乗りの無料のゴンドラを敷設し、お年寄りに重宝されている。その模様は以前別の番組で放送されたこともあった。
この階段と坂道をヒマラヤ登山のシェルパよろしく、縦に積み上げた数10キロの荷物を背負って上り下りし、老人宅に宅配している若者を取上げていた。地元の高校を卒業した後、一時東京で勤めてUターン。地元の生協に努め、ラグビー部で鍛えた体力を活かして、年寄りに感謝され、仕事の喜びを素直に表現していた。


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小高い丘の上にある坂本龍馬の銅像の背景には山の上まで民家が広がっているのが見て取れる。

(2)江戸時代日本三大遊郭のひとつだった丸山。そこにある長崎検番で高卒ルーキーの芸子さんの卵が舞踊三味線などの稽古に真剣に取り組んでいる様子が、取上げられていた。今なお、丸山の伝統は守られていたのだ。丸山と云えば料亭「花月」、和洋中折衷の卓袱料理は定番だが、年に一度の大宴会の模様が取材されていた。帰り際、出席者一人一人に芸妓さんから杯を振舞われていたが、こんなところに縁の無い小生にとっては初めて見る光景。

(3)長崎のお墓には独特な形をしたお墓が多い。墓碑の前に何人かが車座になって座れるちょっとした空間がある。そして「土神」と彫った小さな石碑が鎮座している。これが江戸時代初期から中国福建省あたりから長崎にやってきた華僑の子孫たちのお墓らしい。毎年4月11日、先祖の霊にお参りするため、一族郎党が御馳走を持ちより墓前で宴を開く。そのための広場だったのだ。他県に居住する人もやってくるので、交流の場となっている。また墓参する人がいない墓であっても、代わりに墓参するので、華僑の絆は深いものだと感じ入る。お墓参りはお盆の時だけかと思っていたが、実はそうではなかったと初めて知った光景だった。(続く)
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長崎の丘の墓地から長崎港を臨む


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