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2013年6月11日 (火)

新日本風土記「長崎」(後編)

昨日の続き
(4)カメラを抱えた何やら怪しげな中年男女のグループが、坂道の路地裏をキョロキョロ捜しまわっている。レンズが捉えたもの、それは何の変哲もないノラ猫だった。長崎にはノラ猫が多いが、尻尾の先が「くの字、への字、のの字」等に曲がったものが多く、珍しいのだそうだ。これには歴史的謂れがあって、オランダ東インド会社が物資を長崎に持ち込む際、鼠の害から被害を防ぐため、東南アジアの猫を一緒に乗せてきたという。この猫達の尻尾が曲がっていたのが、そのまま遺伝して長崎に住み付いているのだそうだ。猫にはあまり興味はないが。

(5)かつて西彼杵郡外海(そとめ)地区は船でしか行けない陸の孤島だった。ここに遠藤周作の「沈黙」の舞台となった隠れキリシタンの部落があった。現在は長崎市に編入されているが、ここに先祖から引き継がれてきた祈祷書があって、それを守って名もないお墓にも祈りを捧げる敬虔なクリスチャンを紹介していた。小さな神社の祠のような形をしているが、実はキリスト教の神を祀った神社であり、当時の苦心のあとが偲ばれる。

(6)長崎市の原爆投下地点の南東800mほど、坂本町に被爆のため片側が破壊され、1本柱となった鳥居がある。子供の頃一度見たきりだが、今でも被爆のモニュメントとしてそのままの状態で保存されている。番組ではこの山王神社の境内の入り口にある一対のクスノキが原爆投下時に幹が折れ、樹皮や枝葉も焼けて一時はまるで枯れ木のような状態になったが、ある人達の努力によって、少しずつ樹勢を取り戻し、今では幹回り約8.2mと6mの巨木になって蘇ったことを伝えていた。生命力の強さとそれを支える人達のドキュメントだった。

(7)長崎の伝統行事「ハタ揚げ」。江戸時代から続く「ハタ合戦」は4~5月にかけての長崎の風物詩。ハタ(凧)のデザインはもともとオランダの国旗を模倣したもので赤、白、青の3色が基調となっている。今では様々なバリエーションがある。子供から大人まで夢中にさせるもので、ガラスの粉をまぶしたビードロという糸(地元ではヨマ、素手では怪我する惧れあり)を相手の糸に絡ませて切り落とした方が勝ちとなる。糸が切れたハタを奪おうと、子供達が歓声を上げて追って行く。そんな光景が蘇ってくるが、番組では年季の入った老人がハタ(道)を極めた如く、お手製のハタを自在に操っていた。

(8)その他にも、①「長崎くんち」で有名な諏訪神社で、5月5日の子供の日に会談の一番下から駆け上がり、一番札を取り合う競争の話(自分の子供の頃には無かったと思う)
②日本最古の木造教会で国宝の「大浦天主堂」(創建1865年)に関して、建築時ステンドグラスの製造技術が伝わったが、それが日本のガラス工芸のルーツになっており、その技術を現代に伝える職人さんの作業の様子。
③長崎発祥の「チャンポン」誕生の裏話。(これは有名だから省略)
④最後に他府県から長崎に嫁いで50年経ったという上品な老夫人が登場。長年に亘る坂道の上り下りが健康維持に役だってきたのではないかと感慨深そうに語っていた。(終)

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