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2013年5月 6日 (月)

長嶋・松井に国民栄誉賞

◆子供の日の昨日、東京ドームで長嶋茂雄氏と松井秀樹氏に国民栄誉賞が授与された。長嶋氏が2004年に脳梗塞で倒れて以来、初めての観衆の前でスピーチ。想像以上に重症だったという印象と、人知れぬ影でのリハビリを感じさせられた。と同時に天性の明るさは失っていないとホッとした気分になった。また松井のスピーチに外見とはウラハラに天性の謙虚さ、周囲から愛される人間性というものが滲み出ており、怪我での挫折をおくびにも出さない人柄に日米に渡るヒーローの側面を垣間見る思いがした。これからはリーダーとしての資質を磨き、いつの日にか巨人軍を率いる雄姿を見せて欲しいものだ。

◆昭和33年(1958)4月、鳴り物入りで立教から巨人に入団した長嶋が、当時国鉄のエース金田に4打席4三振を喰らった場面を、当時中3の自分はテレビを食い入るように見つめていた。6大学の花形スターもプロの一流選手の前には手も足も出ないのかと強い印象を受けた。当時の4番バッター川上哲治は8月からその座を長嶋に譲ったが、巨人第1期・第2期黄金時代に主軸打者として活躍した「打撃の神様」はその全盛期、我々子供達の絶大なるスターだった。

◆「赤バット」、「弾丸ライナー」、往年になって「テキサスの哲」など様々な形容詞がついたが、剣聖「宮本武蔵」を彷彿させるそのイメージは「肥後モッコス」からくるのだろうか、近寄り難い雰囲気を備えていた。1938年から1958年まで、途中3年ほどの兵役を除き、不動の4番としてチームを引っ張った。2000本安打最短到達試合数1648試合は、日米で活躍中のイチローを除き、まだその記録は破られていない。(因みに3位:長嶋1708試合、4位:張本1733試合)当時は試合数が今ほど多くない時代。凄い記録と云えるだろう。

◆長嶋が入団した時、英才教育を施すため川上は自分の家に下宿させ、寝起きを共にした。この関係は長嶋と松井の師弟関係を連想させるが、天性明るく、自由な性格の長嶋と厳格な川上とは必ずしも波長が合っていなかったのではないか。しかし昭和36年監督になった川上のもとで、長嶋は王と共に日本シリーズ9連覇(1965~73)の原動力となった。ひと口に9連覇というが、その前人未到の大記録は破られることはないだろう。

◆因みにそれに続く記録と云えば3連覇が最高で、巨人(1951~53)、旧西鉄(56~58)、旧阪急(75~77)、西武ライオンズ2回(86~88、90~92)で、この1992年以降、シリーズで連覇した球団は無い。今は昔のように絶対的強さを誇る球団が無くなった代わりに、どこにもチャンスがあり、面白くなったと云えるのだろう。川上監督は6連覇の頃から、勝ってどうしてこんなに悪く云われるのかと悩んだという。

◆川上野球は「管理野球で面白くない」、「哲のカーテン」、「非情な采配」等と陰口を叩かれたが、実に色々な手法を取り入れた近代野球の創始者だったとも云える。大リーグの「ドジャースの戦法」を学び実践する。ベロビーチでの海外キャンプ、作戦参謀の導入(牧野ヘッドコーチ)、1~2番の機動力野球(柴田、高田、土井等)、火消し役の登用(8時半の男の異名をとった宮田)等。監督として14年間で日本シリーズ優勝11回、背番号16は永久欠番、65年に殿堂入りとなった。キャンプ中ベンチで火鉢を股に挟み、貧乏ゆすりをしていた姿が印象に残る。現在93歳、伝説の投手「沢村栄治」を知る最後の人ではないだろうか。

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