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2013年3月25日 (月)

桜狂想曲

◆例年になく桜の満開が早くなり、全国的にイベントの開催に狂いが生じているようだ。1月~2月の低温のあと、3月になって急激に気温が上昇。「寒い冬」と「暖かな春」がそろったことが、開花の早まりの原因らしい。桜は開花の時期が短いため、上野公園などの桜の名所では、このときとばかり、「桜狂想曲」が始まった。

◆花見は古くからあったが、庶民が楽しむようになったのは江戸時代からで、桜の名所といえば王子の飛鳥山、品川の御殿山などがあった。特に賑わったのが夜桜見物の向島であったという。墨田川に花見船を浮かべ向島の墨堤あたりでドンチャン騒ぎをやったらしい。
豪勢な花見といえば、慶長3年(1598)秀吉の「醍醐寺の花見」だろう。北の政所、淀殿、あまたの側室、重臣、御家来衆を引き連れての花見は歴史的にも有名だ。これがその後の花見のルーツになっているのではなかろうか。


◆ところが明治以降、バンカラを尊ぶ旧制高校の寮歌に必ずと言っていいほど歌詞に桜が入っている。学生と花見と酒とバンカラ、いかにも日本らしくて面白い。
・嗚呼玉杯に花受けて 緑酒に月の影やどし~ (明治35 一高寮歌)
・紅萌ゆる岡の花  早緑匂う岸の色~   (明治39 三高寮歌)
・春爛漫の花の色 紫匂う雲間より      (明治34 一高寮歌)

・都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂う 宴のむしろ (明治45 北大寮歌) 等々

◆本来桜はもっと風情があった。奈良時代、小野老朝臣は太宰府に転勤になり、都の平城京を想って歌った。「青丹(あおに)よし 奈良の都は咲く花の 薫うがごとく いま盛りなり」。また、平安京に遷都になって、平城京から持ってきた桜を観て伊勢大輔は「いにしえの奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」と詠んだ。在原業平も伊勢物語の中で「世の中に絶えて桜の なかりせば 春の心はのどけからまし」と詠んでいる。

◆日本人の感覚に「もののあわれ」というものがあった。敢えて過去形で書いたが、最近はその感覚が薄くなってきていると思われるからだ。桜の木はたった3~4日の最盛期しかない。パッと咲き、パッと散る、そこに無上の価値を見出し、「花は桜木、人は武士」とまで持ち上げ、ついには国花にまでなった。江戸時代本居宣長は「敷島の大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花」と詠んだ。「武士道」を著した新渡戸稲造は「武士道の象徴は桜の花」だと述べ、この歌を引用している。ドンチャン騒ぎもいいけれど、短い桜を観賞しつつ、先人達の深い想いに、思いを馳せてみたいものだ。

Photo  秦野の運動公園の桜

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コメント

稲九会長与支部花見開催(毎年開催)
 満開が例年より一週間早い・・・と言う報にせきたてられて、近くの公園に出かけました(場所は毎年変更しますが、ここは2回目)。
森田先生、岩永忍(初参加)、平戸勝久、池崎夫妻、私の6人です。
海風で寒い公園は、まだ3分咲きでした。
でも、花はどうでも良い!!飲んで食べてお喋りして・・・
特に飲兵衛の人は上機嫌!!。先生も「毎年これが楽しみで元気が出る」と喜んでくださいました。
 帰りに先生をお送りした後、カラオケに行って・・・
飲兵衛達はそこでも飲んでました。池崎夫妻は、揃って歌も上手いのです。カラオケ店のオーナーが感心しきり。「又来て下さい」とお願いされていました。同級生は何をやっても楽しいです。

長屋の花見ならぬ、長与の花見。50年以上の、気が置けない幼馴染同士の花見。サイコーですね。ところで道尾でしたか、浦上水源地にも桜の名所があったように記憶していますが。

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