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2013年3月21日 (木)

台湾人の対日友好感情の裏に

◆第3回WBCの東京ドームでの二次予選、激闘の台湾戦の裏側で、素晴らしいエピソードがあったことを後日TVが伝えていた。2年前の「3.11東日本大震災」に対し、外国で最多の義援金を贈り、震災の翌日にはいち早く救援隊を派遣した台湾。日本政府は中国を意識して、台湾に対して冷淡な態度をとっていた。準決勝出場を決める台湾戦を前に、一人の若者がネットで呼びかけた。「台湾に感謝のプラカードや横断幕を作って両チームを応援しよう」と。

◆それに応えるかのように、観客席のあちこちで手作りのプラカードが映されていた。ゲームの方は4時間半を超える熱戦。11:30分を回って延長10回、日本は絶体絶命のピンチから必死の粘りで立て直し、4対3で辛くも勝つことができた。TV放映終了後、ドラマがあったことが後日判明した。台湾選手団がマウンドで円陣を作り、観客席に向かって深々と一礼したのだ。試合の途中、台湾への声援・御礼のプラカードや横断幕に気付き、日本人の台湾への友好ムードに対する感謝の表現だったのだ。

◆こうした台湾の人達の対日姿勢、或いは感情とでも言おうか、中国・韓国とはまるで違うものを感じる日本人は多いと思う。台湾は戦前の日本統治時代を経て、戦後の国共内戦に敗れた蒋介石率いる中華民国が1949年、国家そのものを台湾に持ち込んできた。その圧政が台湾人を苦しめたが、第二代の蒋経国が自分の死後、台湾人の副総統「李登輝」氏を昇格させよとの一言で、ようやく「私」から「公」へと近代国家が始まった。

◆司馬遼太郎氏は「李登輝」氏との交流を深め、「街道をゆく」シリーズの40冊目で「台湾紀行」を著した。奇しくも李登輝氏とは1923年生まれの同じ歳。李氏は旧制京都大学に進み、昭和18年の学徒出陣も経験した。司馬さんによれば「シャイな知識人で、クリスチャンでもある。武士の世が終わった後の最も武士的な人で、例えば新渡戸稲造や内村鑑三の印象と重なる」と述べている。二人が互いに相手を尊敬しあう間柄はまさに「同明相照らし、同類相求む。雲は龍に従い、風は虎に従う。」関係と言えないだろうか。

◆李登輝さんが総統であった2000年までに台湾は中国の圧力と嫌がらせに屈することなく、直接選挙を実現し、台湾省を廃し、実益外交を推進して「中国大陸と台湾は国と国の関係である」と宣言した。「司馬さんは1993~94年にかけて計3度訪台し、困難な日台関係の間に入って台湾の人々に勇気を与えてくれた。司馬さんが望んでいた全く新しい台湾になったことを見ることなく、1996年2月に他界されたことはこれ以上の悲しみはなかった」と述べている。

◆今年は司馬遼太郎生誕90周年で、没後17年。月刊文春が3月号で「司馬遼太郎が見たアジア」のタイトルで特集を組んでおり、李登輝さんも「台湾に感じたやすらぎ」のタイトルで寄稿していた。その最後に、「司馬先生のおかげで日本の台湾に対する冷淡さが帳消しになったとまで云える。そして2011年の東日本大震災に対する台湾同胞の日本への関心と、絶えざる人的交流は司馬先生の『台湾紀行』という、街道を行く場所と人間を通しての観察からきた結論でありましょう」と結んでいる。ここにWBCで見せた台湾の人達の意識の一端が窺えるのではなかろうか。

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