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2013年1月21日 (月)

昭和の名横綱大鵬逝く

◆第48代横綱大鵬が72歳で死去した。横綱就任は昭和36年の秋、小生が高3の時だった。以来ライバル柏戸(第47代横綱)と共に柏鵬時代を築いた。横綱在籍10年、数々の大記録を残した抜群の実力もさることながら、改めて素晴らしい人格と本来の日本人の良さを兼ね備えた類い稀なる横綱だったと思いを新たにする。

◆だが、相撲に対する思いは小学校の頃がより深い。当時遊びと云えば相撲、高学年になって野球(ソフト)が加わった。ちょっとした空き地で、校庭の片隅で、寒くなれば相撲をとって体を温めた。記憶に残り出したのが41代横綱千代の山から、以下、鏡里、吉葉山、栃錦、若乃花、朝潮(昭和26年から34年頃まで)あたりまでか。特に栃若時代は熱狂的なブームを呼んだ。昭和32、3年頃テレビが来るまではラジオにかじりついて熱戦の模様を想像していた

◆昭和34、5年の頃だったか、若手有望株に柏戸、大鵬がいることを雑誌で知った。36年10月、二人同時に横綱に昇進した。そして柏鵬時代が始まるのであるが、栃若時代の小兵横綱が土俵狭しと暴れまわる面白さから、「剛」と「柔」の対照的な大型横綱がガップリ組み合う面白さに変わっていった。それは今から思えば高度成長期に入る新しい時代と重なりあっていたというところが興味深い。

◆昭和38年頃から「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行り出した。子供が単純に強いヒーローに憧れるのは世の常だが、少し大人になってくると「斜」に構えだし、敢えて反発し始めたりするものだ。それに大鵬の圧倒的強さに次第に興味が削がれ、しばらく相撲から距離を置いて観るようになった。

◆それ以降は54代輪島、55代北の湖の輪湖時代、58代千代の富士、64代曙に続く貴乃花と若ノ花の若貴時代と相撲の伝統は受け継がれていくかに見えたが、第68代朝青龍によって横綱の名誉を汚すようなことになり、同時に相撲界の不祥事が明らかとなって、ファン離れが始まった。今は同じモンゴル出身の白鵬日馬富士に名誉回復を期待するしかないことが寂しい限り。早く第二の大鵬、千代の富士、貴乃花が出て、伝統の大相撲を再興させるのが、亡き横綱大鵬に対する最高の花向けとなるのだが・・・。

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