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2013年1月20日 (日)

鶴見総持寺に立ち寄って

◆神奈川県には初詣の参拝客全国ベストテンでお馴染の川崎大師鶴岡八幡
があるが、この他にも総本山や大本山と称する大寺院が六か所程ある。
因みに川崎大師は通称で、正式には真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間
寺と称す。創建は平安末期の大治3年(1128)とのこと。その他の6か寺とは
・臨済宗建長寺派大本山巨福山建長寺。(鎌倉市、創建建長5年-1253)
・臨済宗円覚寺派大本山円覚寺。(鎌倉市、創建弘安5年-1282)
・浄土宗大本山天照山光明寺。(鎌倉市材木座、関東総本山的存在、
 仁治元年-1240創建)
・時宗総本山、藤沢山無量光院清淨光寺、通称遊行寺。(藤沢市、創建正中
 2年-1325)宗祖一遍は遊行のため寺や教団を創らなかったが、四代吞海上人
 の時、建立したもの。
・曹洞宗大本山諸巌山総持寺。(横浜市鶴見区、前身の能登総持寺の開創は
 元亨元年-1321。そこから数えて591年目の明治44年11月に現在地に遷祖)
・曹洞宗大雄山最乗寺。(南足柄市、応永元年-1394創建。永平寺、総持寺に
 次ぐ寺格を誇り、末寺4000寺を数える。)


◆この中でまだ一度も訪れたことがなかったのが、鶴見の総持寺だ。実は昨年
6月から月1回程度、雑用でこの近くを通っていたのだが、やっと先日17日に
境内に入ってみた。鶴見の総持寺と云えば、俗世間にどっぷり浸かった我が
身がまず思い浮かぶのが、石原軍団の親分裕次郎の大々的な法要で有名な
寺ということ。また付属の学校を多く有し、先日TVで多くの中高生が早朝から
坐禅を組む姿を報じていた。


◆もともと総持寺は現在の石川県能登にあって、道元が創建した福井県の永
平寺を越本山、能登の総持寺を能本山と定め、勢力を争っていた。能登におい
て590年余活動を進めてきたが、明治31年(1898)4月の大火災で焼失。明治
44年(1911)に現在地に移転してきたもの。移転後の能登の総持寺は「総持寺
祖院」と改称され別院扱いとなった。2年ほど前、能登半島を旅行した時、「何
で、ここに総持寺が?」と疑問を持ったものだった。


◆現在の総持寺は8万坪の敷地に、鉄筋性の大伽藍をはじめ多くの諸堂が建
てられている。建て物自体に歴史を感じないことは当然として、その規模の
大きさには眼を見張らされる。


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「三門」:昭和44年に落成の鉄筋コンクリート造り。屋根に積もった雪おろし
のため放水中だった。


Dscf4454
軒からせり出した雪の塊。

Dscf4450
「三松閣」:三門の隣にある大きな堂宇。地上四階、地下二階、9400㎡の広さ。
檀信徒の研修道場、宿泊施設等。能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんで
「三松閣」と呼ばれている。

Dscf4449

香積台:香積とは禅門では食事を調理する庫裡を意味する。現在は
拝観、墓地、法要、参拝等の総受付となっている。





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