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2012年12月16日 (日)

アメリカ小学校銃乱射事件に思う

◆またしても、アメリカで銃乱射事件が起こり、罪もない子供達がその犠牲になった。こうした事件が起きるたびに、アメリカでは銃社会の在り方が論議を呼んでいる。しかも銃規制強化に賛成の割合が年々減少し、2010年には44%と半分以下になったという。「こういう不幸な事件を起こさないためにも社会から銃を無くせ」という意見と、「こういう事件が起きるからこそ自分の身を守るために絶対必要だ」という意見。これではどこまで行っても平行線を辿るしかない。

◆米国では個人が所持する銃が2億数千万丁に達し、銃による殺人や自殺で年間3万人以上が死亡しているという。一方、合衆国憲法では「人民の武器使用の権利を侵してはならない」としている。どうやら、何万、何百万死のうが銃保有支持者の意見が勝っているようだ。

◆そもそも銃はどう理屈をつけようと、殺人道具であることに変わりは無い。その殺人道具が平和の祭典であるオリンピックに堂々と「射撃」として、種目に採用されていることに、誰も違和感を覚えないのだろうか。目的が違うからいいのだという理屈は、戦争を起こさせないために武装するのだという理屈に繋がってくる。人類は文明の進歩に沿って弓矢から銃、大砲、ミサイル、核弾頭と際限なく大量殺人兵器を造りだしてきた。

◆日本は銃の規制が厳しい国だが、ウラの社会ではどんな手を使ってでも手に入れようとする。そのため治安を取り締まる警察は銃が必要になる。また国家間においては古今東西、武力こそが外交交渉の裏付けとなる。つまり人間は本質的に「悪」であり、信頼に足るものではないという前提に立っているからに他ならない。

◆こうして見てくると、制御すべき倫理、道徳、宗教などは「クソ喰らえ」で、特に宗教などは対立や弾圧でどれほど多くの殺人、戦争を繰り返してきたことか。結局「人間とは分かっちゃいるけど、止められない」という存在なのだろう。アメリカ初め世界各地で惹き起こされる銃乱射事件は詰まる所、人類がいなくなるまで解決できないのではないだろうか。なんと愚かなことか。

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コメント

 銃規制反対者は、自分を守る権利や不法所持者が必ず出ることを理由にしているようですが、規制している日本での銃による事件の被害者数と、アメリカの実情を比べてみれば…と言うのは単純なのでしょうか。人口数や人種の違い、国民性の違いがあるから、単純には比較できないでしょうが。
 銃を持たないが前提の町を歩くのと、誰かが銃を持っている町を歩くのとでは、どちらが安心でしょうか。
まして、銃を使えない子供のためにはどちらがいいのでしょうか。銃規制反対者の気持ちが解りませんね。ここにも銃業界の暗躍があるのかも。

こういう事件が起きるたびに、銃規制の意見が表面化しますが、それ以上に銃の必要性が叫ばれるのがアメリカと云う国。自分の身は自分で守るという遺伝子が沁みついているのでしょう。その裏には業界の暗躍もあるようですが、この種事件はいつまでたってもなくならないでしょう。

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