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2012年11月 6日 (火)

映画「のぼうの城」

◆今話題の映画「のぼうの城」を観てきた。原作は和田竜の同名の歴史小説。史実を基にしているもので、小田原に住み、北条五代の歴史を少しでもかじったものにとっては見逃せない映画だ。秀吉は全国統一最後の段階にあたり、天正18年(1590)3月、総勢22万の大軍で北条氏政、氏直親子が籠城する小田原城(6万)と関東一円に広がる大小150を超える出城(支城)総勢1万5千を攻め立てた。結局、圧倒的軍事力と物量に勝る秀吉軍の前に支城は次々落城、ついに小田原城は7月6日降伏した。

◆これらの支城の中で、現在の埼玉県行田市にあった「忍城」(おしじょう)の攻防が本映画のモチーフとなっている。城主成田氏長は北条氏政の命により、兵力の半数500を率いて小田原城に参陣する。だがその際、豊臣方に内通し、攻められた場合は降伏するよう留守居役達に言い残す。城代の叔父成田泰季は急病で病死。その子で城主の従兄に当たる成田長親(野村萬斎)は将に求められる智も勇も持たない男だが、領民からは「でくのぼう」を略して「のぼう様」と親しまれ、異常なほどの人気があった。

◆対する敵方は、秀吉から文官としての才を認められ可愛がられていた石田光成。しかし戦ではいつも後方にあって武功がないため、味方の武将達には嫌われていた。秀吉はなんとか武功をあげさせようと大谷吉継、長束正家と2万の兵を与え、武州方面を攻めさせる。館林城は戦わずして降伏したものの、忍城は降伏の使者に立った長束正家の傲慢な振舞いに反発。城主氏長の言い付けに背き、総大将長親は「戦」を決意する。

◆光成にとって単に降伏されたのでは武功を示す事が出来ない。そこを見越して長束正家を使者に立て、徴発させた嫌いがある。別名「浮城」と云われるように城の周囲は水田、湖沼が多く、攻め難く守り易い。「忍城」方は城兵500に百姓領民3000を城内に籠城させ士気は高かった。緒戦で手痛い敗北を喫した光成は、利根川と荒川に挟まれた地形を利用して、かつて秀吉が備中高松城を水攻めした策を採り入れる。

◆ここで信じられないことだが、財力にものを言わせ、近隣の民百姓を総動員して東の利根川と西の荒川を結ぶ人工堤(下底12m、上底7.2m、高さ9m、長さなんと7里、28km)を僅か五日間で完成させたと云う。これを一気に決壊させ田畑を湖に変え、城は本丸を残すだけの文字通り浮城になってしまった。夜半長親は手漕ぎ船を敵前近くまで漕ぎ寄させ、ここで狂言師野村萬斎の面目躍如たる「田楽・猿楽」を演じる。次第に敵も味方も踊りに酔いしれる。そこを光成の命により雑賀衆が鉄砲の照準を合わせるが・・・

◆石田軍が造らせた人工堤が逆に民百姓の恨みをかい、夜陰に乗じ決壊させられ、甚大な被害を蒙るのであるが、3.11の津波を彷彿させられる。これに対し石田軍が総攻撃をかけようとするときに、小田原城が7月6日開城したとの知らせが入る。この情報に接しついに最後に残った「忍城」も7月14日開城して小田原合戦が終了した。この史実はともすれば暗くなりがちなストーリーだが、野村萬斎の役どころが全体を明るいものにして「小」よく「大」を制するという痛快さもあって、面白い映画に仕立てられていた。

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