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2012年10月23日 (火)

長崎「中島川」を歩く(前)

◆長崎の「中島川」と聞いて、地元の人は別にして「ピン」とくる人は少ないだろう。しかし、「あの眼鏡橋が架かっている川」と聞けば、大方の人は「あゝ、あの川か」と答えるに違いない。この川は関東地方や中部地方の大河に比べて、川というには余りにも小さく、堀みたいな感じがしないでもないが、江戸時代から歴史があり、数多くの橋が架けられては、流され、それが繰り返されてきた。近年、龍馬ブームで、川に並行するように通る道に「長崎龍馬道」と命名されたりしている。

◆この川は全長5.8km、市の中心部の川幅は20m~30m、長崎港に注ぐ河口辺りで50m位だろうか。私が子供の頃はドブ川で、いやな匂いがしていた。長崎を離れて約20年経った1982年(昭和57)、長崎大水害が起こった。いつも穏やかなこの川が氾濫し、長崎一の繁華街「浜の町」を襲い、大人の背丈を上回る位置に「ここまで水がきた」という標が表示されていた。この時、国の重要文化財「眼鏡橋」をはじめ数多くの石造りアーチ橋やその他の歴史ある橋が、流失・半壊された。

◆災害復旧の際、長崎県当局は防災の観点から拡幅工事、川底掘削、近代的様式の橋への架け替え等の提案を行ったが(まさに役人の発想)、地元住民団体は文化的遺産としての橋の保存を訴え反発したため、ちょうど折り合うように川の両側にバイパス水路を造り、(表面所は見えない)、眼鏡橋、桃渓橋、袋橋等の復元、さらに自然石を使った護岸と、両岸から降りて、水面の傍を歩けるような散歩道。両岸の車道に面した歩道には昔ながらの柳の並木・・・実に災害以前よりも、綺麗に復興したものだと、つい降りて歩きたくなる。

◆中島川には河口から2kmほど上流の合流点より、さらに上流にも数多くの橋が架かり、歴史もあるので(個人で作ったものが多い)それだけで一つの研究テーマにもなっている。合流地点近くに、長崎の氏神「諏訪神社」があり、そこからさらに上流1km地点に「蛍茶屋」という市電の終点がある。昔はこの地点が長崎市街への出入り口であり、身繕いをする休憩所でもあった。地名の通り蛍が飛び交うほど清流だったところで、これより上流に小川がちょろちょろ流れる源流があった。今回は川そのものに興味を持ったので、諏訪神社より少し下流の中流辺りから、川辺と岸辺を河口まで約1.7kmを歩いてみることにした。

◆この辺りから次第に川幅は10~20mくらいになるのだが、川底は石がゴロゴロして水流は乏しい。河原には所どころ草叢があり、ゴロゴロした石の間を綺麗な水が静かに流れ、水たまりには、ハヤだか名前を知らない小魚が素早く泳いでいる。白鷺がそれを狙って、じっと動かない。(続く)


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