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2012年10月 8日 (月)

小田原ゆかりの政財界・軍人達の別荘の話(1)

◆何の縁だろうか、小田原に棲み始めて6年経った。海あり、山あり、温泉有り、歴史あり・・一応気に入っている。おそらく終の棲家になるだろう。ところで「小田原」といえば、何を連想するだろうか。「小田原提灯?小田原評定?箱根の玄関口?かまぼこ?梅干し?」この辺りまでは普通に連想されるところだろうが、ちょっと歴史に関心のある方なら「北条五代、小田原城、石垣山一夜城、二宮金次郎等」が思い出されるところだろう。

◆実はこの地に棲んで初めて知ったのだが、小田原には明治から大正、昭和の初めにかけて、政界、財界、軍人、宮家、文人等錚々たる著名人(或いは歴史上の人物ともいえる)が数多く別荘や邸宅を構え、棲んでいた時代があったということである。当時のまま建物が残っているもの、かつてここに住んでいたという記念碑などがあるものなど、形は様々だが、邸園巡りのコースもいくつかある。

◆以前、シルバー大学に在学中に、また各種見学会等で何度か訪れているが、昨日も久し振りに数人の仲間たちと「明治期に活躍した政財界の要人・軍人の別荘を訪ねる」というガイド協会主催の見学会に参加してきた。ボケ防止の意味も含めて。
全部を紹介する必要もないので、主だったところ数か所を2~3回に分けて、自己の復習のつもりで記してみようと思います。興味のある方はお付き合い頂ければ幸いです。


【1】秋山真之終焉の地--山下亀三郎別邸「対潮閣」
◆「坂の上の雲」の主人公の一人、秋山真之は大正6年(1917)海軍中将に昇進したが、既に健康を害していたため、そのまま特命となって、その3カ月後に没した。彼は同県人の友人山下亀三郎の別邸「対潮閣」(小田原天神山)で療養中、翌大正7年2月4日早朝、慢性腹膜炎のため臨終した。あと2カ月で50歳という若さだった。

◆山下亀三郎は宇和島出身で、35歳の時海運・石炭業を始めた。真之と親しかった山下は日露戦争近しの情報を得て、運搬船の徴用を見越し成功する。その後明治44年に「山下汽船会社」(現商船三井)を設立し、海運王と呼ばれた。明治から昭和初期にかけて日本郵船と大阪商船の2社が飛び抜けていたが、昭和16年には第三位の船腹数を誇る船会社までに成長させた。

◆小田原の山下亀三郎別邸は現在人の手に渡り、建物はすべて変わっているが、門の入口近くに大きな釣鐘石が置いてある。釣鐘石とは急流で、自然に凹字方に丸く浸食された石でその石の収集家でもあったらしい。その横には「陸軍少将、警視総監、学習院院長、宮内大臣等」を歴任した田中光顕(土佐藩出身で明治の元勲の一人、伯爵)が揮毫した大きな石碑がある。田仲邸別邸はここから300m程離れたところにあり、当時の洋風建築のまま「小田原文学記念館」になっている。(続く)

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