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2012年8月14日 (火)

長崎の精霊流し

◆毎年8月15日の長崎の夜は、精霊流し一色に染まります。私も平成9年に母親、平成11年に父親と2回精霊舟を出しました。当時も関東に住んでいたので、1週間ほどの休暇を取って、準備と当日の運営に兄弟で当りました。親族、縁者すべて他府県からの参加で、市内在住は一人もいません。特に2回目の父親の時は、東京から会社関係の友人5人が九州旅行も兼ねて参加してくれました。

◆総勢20数名、黄昏時になるといよいよ鉦をならし、町内を一周してから、飾り付けた舟は通りに出て行きます。お揃いの白い法被に、黒い前掛け、白い足袋、最初は皆ぎこちない動きですが、広い道路に出て、他の精霊舟と合流し出すと、爆竹の音を競い合い、次第に雰囲気に乗ってきます。途中ビールが入りますから、ますますヒートアップし、しめやかな精霊流しに慣れた人が多い我がグループも、しまいには派手に爆竹を打ち鳴らし、花火を打ち上げ、まるでお祭のような独特な長崎スタイルの精霊流しにのめり込んでいきました。最後は大混雑の大波止の集積場まで押していき、大きなゴミ集積船に投げ込まれます。

◆一夜の喧騒で道路に数㎝溜まった爆竹や花火の燃えガラも朝までには綺麗に清掃されています。(長崎市の職員の方御苦労さま) 長崎ではよく「精霊舟ば出してもらうだけの金は残さんば、死にきれんとたい。」と謂われています。幸いにして両親とも我々子供達に負担をかけることなく、精霊舟に乗って西方浄土に旅立ちました。

◆今、長崎には家も土地もなく、子供達も関東に住んでいますので、私自身精霊舟に乗ることはありませんが、長崎港を見下ろす風頭の墓地に眠る両親のお墓のそばに、ほんの少しでも証拠のしるしを入れてもらおうかななんて ボチ、ボチ考えております。

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コメント

精霊流しは子供の頃は毎年楽しみでした。随分前ですが長崎の精霊流しを見に友達を連れて長崎に行ったことがあります。他所の人が見ると親族は遺影を持って静かに歩いているのに精霊舟を担ぐ人や花火を挙げる人はまるでお祭り騒ぎ、不思議な行事?に見えるそうです。

でも私にとっては毎年この日は、長崎が懐かしくなります。何でも見てやろうの私は一度でよいから担いで見たいと思いながら一度も縁がありませんでした。博さんが羨ましいです。この年齢では精霊舟と一緒に歩く事も出来ないですね。

まだ長崎に縁がある間はなんとか精霊舟を出せるかもしれませんよ。これからですよ。頑張ってください。

 父が亡くなってから4年、毎年母と二人で菰を流してきました。今年はなんか舟の数が少なかったような気がしました。
夜9時ごろ中央橋を通ったけど、船の灯りも爆竹音も淋しかったです。最近は明るい内から流しに行く人も多いので、皆流した後だったかも・・・。

 8年前、中学・高校の同級生の精霊舟を同級生で作成、担いだことがあります。
彼は北海道で病院を経営していましたが、病に倒れました。生前「僕が死んだら長崎で精霊舟を流して欲しい」と言っていたと聞いて同級生達が動き、飾りつけもして完成させました。彼の病院の職員も大勢来て公会堂・鍛冶屋町・思案橋・浜の町を通って大波止から皆で流しました。
 北海道勢は「亡くなった人の霊を粛々と送る」「佐田まさしの歌『精霊舟』」をイメージしていたそうで、あの喧騒に吃驚していました。今でも目に浮かびます。

北海道で医師をなされた高校の同期の方の精霊船の話、西高のHPの掲示板にM<Mさんから投稿がありました。中学、高校の仲間の皆さんで手作りの精霊船で街中を巡ったとか・・。泣かせる話ですね。佐田まさしの『精霊舟』のイメージとの格差にカルチャーショックを感じたことでしょう。

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