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2012年7月10日 (火)

オリンピック雑感(後)

◆第16回メルボルン大会は1956年(昭和31)、中一の時だった。この時は水泳
長距離で山中対豪州のマレーローズが名勝負を演じたが、ついに勝てなかった。
ただ、平泳ぎの古川選手は潜水泳法で他を寄せ付けず、圧勝して金メダルを取
ったが、その後この泳法は禁止となった。それ以来水泳に限らず、日本が新しい
技術を開発、好成績を残すようになると、何かとイチャモンを付け、禁止するよう
になるが、この時がその走りだったのかもしれない。


◆1960年の第17回ローマ大会といえば、マラソンのエチオピア・アベベが強烈な
印象を残した。あの古いローマの石畳の道を裸足で走りぬき、圧勝した。ゴール
後に「もう1回走ってもいい」と豪語した話は有名。日本は体操などで金4個を
獲得したものの、次会東京オリンピックへ向けて選手強化が叫ばれた。


◆いよいよ第18回東京オリンピック。1964年(昭和39)、この時ほど国家と国民
が一体となって取り組んだ国家プロジェクトがあっただろうか。その後の五輪の
歴史を振り返ると正真正銘の「平和の祭典」だった。その理由は第20回ミュン
ヘン大会(1972)ではパレスチナゲリラが選手村でイスラエル選手11名を殺害
するという事件を惹き起こした。第22回モスクワ大会(1980)では、その前年に
ソ連がアフガンに侵攻したため、アメリカ始め西側諸国が大会をボイコット。
瀬古や山下など有力メダル候補が参加できず、涙を飲んだ。


◆逆に第23回ロサンジェルス大会では前回の報復措置としてソ連始め、東欧
諸国16か国が大会をボイコット。また21回モントリオール大会(1976年)あたり
からソ連、東独など東欧諸国のステート・アマ問題が起こり、結局一部にプロ
選手の参加を認めるなど、本来のアマチュア主義が崩壊し始めた。その他
ドーピング問題、民族主義や人種差別問題、また莫大な開催費用を巡ってス
ポンサー付きの商業主義の問題など、オリンピックそのものの在り方について
問われ始めた。


◆話を東京オリンピックに戻すと、地元開催とはいえ日本選手団はレスレング、
柔道、体操、重量挙げなど合計16個の金メダルを獲得した。中でもソ連との
決勝戦となった女子バレーは東洋の魔女と云われた選手達が視聴率85%と
国民の眼を釘付けにした。当時学生だった自分は唯一甲州街道で行われた
マラソンだけは目前で応援できたが、この時もローマ大会に続いてエチオピア
のアベベが2連覇を果たした。もっともこの時は、シューズを履いていたが・・
自分の中でも東京オリンピック以後の大会に対して、子供の時に感じたあの
純粋な気持ちはどこかに飛んで、次第に関心が薄くなってきたのは確かだ。

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