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2012年5月22日 (火)

長崎西高同窓会 

◆昭和37年3月(1962)、母校長崎西高を卒業して、丁度50年の歳月が流れた。
来年には古希を迎える。古希の祝いは数えでやることが多いそうで、卒業50
周年と古希の祝いを兼ねて、長崎市で長崎西高14回生同窓会が行われた。


◆この日は夕方4時前に正門前に集合。殆ど昔の面影は無い。ただ集まって
きた同窓生に昔の面影を見つけ、あちこちで喚声があがっている。最初に音
楽教室に集合。当時の音楽教師のA先生を招き(齢80過ぎか)、先生の力強
いピアノの伴奏に合せて、復活授業が始まった。校歌を皮切りにいくつかの
歌曲や愛唱歌をみんなで思いっきり歌う。70になろうかという御同輩たちだが、
みんな張りのある朗々とした歌声。現役時代の音楽の授業とは裏腹に明るい、
笑いのある、楽しい授業となった。


◆そのあと、今の校長から現在の西高の活躍振りが紹介される。勉学の方
では九州のトップクラスに成長し、運動、文化活動でも全国的に活躍。進学
志望高1位にランクされているとのこと。「後生畏るべし」、いや「後輩恐る
べし」。いい加減な不肖の先輩としても嬉しい限りだ。記念品を贈呈した後、
現役の若い先生が校内を案内。全く様変わりした、近代的な明るい校舎、
体育館、プール、クラブの部室など見て回り、昔と比べて狭くなった運動場
では、野球部などはやりにくかろう。(ついでながら甲子園出場は過去2回あり)


◆今回の同窓会には遠くアメリカ、オクラホマからも来たり、関東、関西、福岡
など県外からの参加者も多く、半数ほど占めていたように思う。中には現役の
医者などもいるが、大半はそれぞれ社会の一線で活躍し、リタイアした連中だ
から、皆陽気で元気がいい。3年時、同級生だった「草野仁」君から欠席の
ビデオ・メッセージが届いていた。


◆会場を大きな中華料理店に移し、いよいよ盛り上がる。その余勢をかって
鍛冶屋町に繰り出し二次会、あとは思い思いに三次会、四次回・・長崎の夜は
更けていく。帰宅後データを調べてみると卒業生は454名(男290、女164)、連
絡がとれない不明者が87名(約20%)、不幸にして鬼籍に入られた方が44名、
(約10%)、当日参加者は107
名だったそうで、出席率33%、かなり高い出席率
と云えるのではないだろうか。幹事さん達の素晴らしい企画と御尽力に感謝申
し上げるとともに、古希を迎える我々が、青春の1ページに浸った平成24年5月
19日の長崎だった。

Dscf4003
校庭に建つ「自律」の碑 (当時はなかったもの)

Dscf4053
長崎西高正門(場所は同じでも見違えるほど綺麗になっていた。

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コメント

参加有難う。同窓生っていいもんですね。
翌20日長崎新聞10面トップにカラーで大きく報道されました。未だご入手でなかったらFAX致します。FAX番号ご連絡下さい。naohide@tanakaya-inc.com

同窓会幹事の皆さん、ご苦労様でした。50年振りに会えた友人達もたくさんいて、大変楽しい同窓会でした。どうもありがとうございました。お互いますます元気で若さをキープしましょう。

長崎県高総体バスケ男女優勝、試合直後校長先生より報告とお礼の電話、50周年記念寄贈のバスケ試合用球の思いが選手の発奮にと。監督、選手の努力に尽きますが、嬉しい電話頂きました。
所で残された余生を良いコミュニケーションでと14回HPを準備してます。プロの木下君にお願いし安価で良いグレードのHPをと。
依頼お願いですが貴君ブログを14回HPにリンクのお許しを頂ければ幸甚です。前向きにご検討頂きご返事お待ちします。
                田中 直英 拝

タナカ ナオヒデ 様
西高同窓会のHPを立ち上げるとのこと。結構ですね。小生のブログ程度でよかったら、リンクしていただいて結構です。というより、いいのかなと云う感じです。出来るだけ長崎関連、西高関連の記事をUPしたいと思います。

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