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2012年5月26日 (土)

仏教と葬式

◆仏教と葬式とは切っても切れないもの・・それが一般的常識だと思われていた。
だが、最近家族葬とか友人葬とか、必ずしもお寺に頼らず行われ、また埋葬に
おいても、海、山、樹木など自然へ還す散骨(許可はいるが)なども見られるよう
になり、戒名を不要として俗名のままでいいとするケースも表れた。


◆その背景には高額な葬式費用、不透明な戒名料、墓地埋葬費用など経済
的な側面が大きいものと思われるが、それ以外にも形骸化したお寺そのもの
の存在があるからではないだろうか。核家族化が進み、都会暮らしが定着して、
檀家の数が減り、経営に苦慮するお寺も多いと聞く。


◆そもそも何故、仏教と葬式が結びついたのか。仏教の開祖ブッダは人間の
根本的な生老病死(四苦)にあり、苦しみの根源は「煩悩」にあると説く。人生
が思い通りにならない原因は「無明」(即ち一切皆苦、諸行無常、諸法無我
を正しく知らない状態)にあることであり、教えの最終的なゴールは涅槃静寂
(煩悩に捉われず、心の安らぎ得る悟りの境地)に至ることであると説いている。


◆即ち、仏教とは生きている間に修行して悟りを開くことが目的であって、本来、
人間の生き方を教えているもの。しかしこれは天才お釈迦様だからこそ出来た
ことで、一般凡人には大変難しい教えと云えた。ブッダの死後、弟子達がその
教えを文字で書き記したのが初期の原始仏典で、後に小乗仏教と云われた。


◆しかし釈迦滅後400年ばかり経った紀元前後から大乗仏教が興った。所謂
自分ひとりの解脱を目指す小乗仏教ではなく、他者の救済を優先する利他行
を重んじるようになり、その仏教が中国、朝鮮を経て538年(?)に日本に伝わ
ってきた。即ち釈迦の手を離れた仏教は独り歩きし、後世の僧侶たちによって
膨大な5000巻以上の経典が編み出されていった。そして日本にも奈良、平安、
鎌倉時代に新しい仏教が次々に入ってきた。


◆人間の「死」は避けて通れないもの。その死者への礼を尽くすため、埋葬し
別れの儀式をすることはごく自然な人間の営みであった。死後の世界は誰も
見たことのない世界であるから、「死」そのものに対する恐怖が起こるのはごく
自然なことだった。それ故、人間を不幸から救い、幸せに導くと称する仏教者
達が入り込む余地があるし、また人々もそれを求め、「死」→「葬式」→「仏教」
という構図ができあがっていった。


◆ブッダが唱えた仏教の本質が、後世の大乗仏教によって大きく変質していっ
たことは確かで、釈尊自身、仏像を作って敬えとか、念仏を唱えれば即身成仏
できるとか、葬式には仏教を用いよとかそんなことは一切言っていない。要は
後世の聖人達は簡便な方法、謂わば「インスタント成仏法」を編み出したと云え
なくもない。これは良し悪しではなく歴史の流れだった。


◆しかし、21世紀の今、冒頭に述べた最近の仏教というよりお寺離れが徐々に
進行していることは、人間の原点回帰を追い求めている動きの顕れとも云えない
だろうか。こんなことを考え、戒名を己で考えようとしている自分はなかなか成仏
できないだろうが・・・。


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コメント

 お互いに、いよいよ葬式や戒名に関心を持つ年齢になりましたね。私も昨年共同納骨堂の権利?を購入、戒名も貰いました。戒名は生きているときに貰って、その名にふさわしくなるように努力するのが本来の趣旨だと思います。
 「育慈妙香信女」 最初は「妙」が「優」だったのですが、とても私には「優しい」人にはなれそうに無い・・・と思ったのでそう言ったら「妙」に変えてくださいました。
しかし、漢和辞典で「妙」の意味を調べたら、これもなかなか難しい。その時は「珍妙」な人になるしかないかも。

準備万端、そのときのために整えているのですね。すばらしい。因みに「妙」と云う文字は日蓮宗に多いそうです。立川談志が面白い戒名を作っていましたが、自分の戒名を自分で作っておくと云うことはルール違反なんでしょうかね。小生の戒名もだいぶ出来つつあります。納骨の方は海に散骨しようと思っていますが・・。

お葬式は法律で決められたものではありません。遺体は粗末にせず、日本国民は火葬をするように決められています。遺骨は敬意を持って取り扱うようにと定められています。葬儀には仏式、神式、キリスト教、その他どのような形で行っても良いのです。葬儀の大半は仏式で行われていますが戒名(浄土真宗では法名)があるのは仏式だけです。戒名は生きている間にお寺に貢献や信心の深かった人が生きている間に貰うものです。それを信心もしない人が故人に最高の位である院号をくれと言うのです。お寺にしたらいきなり院号との無茶振りにそれなら修行したとして、高額な金額をお願いするのです。
またお位牌がありますが、あれは戒名を書いた名札のようなものです。お位牌を大事にするのは間違いです。先祖を思う心の方が大切なのです。葬儀は時代によりたえず変化しています。葬儀屋の都合や個人の希望により。それが葬儀の実態です。

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