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2012年2月 9日 (木)

長崎旅行記(4) 唐人屋敷と民間信仰

唐人屋敷と民間信仰
◆2回目で触れた唐人屋敷のことだが、この一角に古い四つのお堂がある。
土神(どじん)堂、天后堂、福建会館天后堂、観音堂である。堂内には中国の
民間信仰である媽祖(まそ)さま(海の女神、天后聖母)や土神さま(福徳正神)、
関帝観音さまなどが祀ってある。1691年から1700年代にかけて、唐人屋敷
にやってきた福建省や南京地方の船主、貿易商たちによって建立されたもの。


Dscf3604  
四つのお堂のひとつ、観音堂

◆中でも媽祖さまは、航海の安全を願って祀られる神様で、960年生まれの
実在の人物だと云う。一見キリスト教のマリア像にも似ており、西洋の帆船の
船首にある女神像ともどこか共通しているところが面白い。それにしても中国
では隋・唐時代に日本が学んだ仏教は衰退し、道教からきたと思われる民間
信仰が盛んになっていた。何故だろうか。ひとつには仏教は難解だったのか、
このような民間信仰の方が分かりやすかったのだろう。


Dscf3656 真ん中が媽祖さまの像

◆ところが、細々と続いた中国仏教のうち、臨済宗の隠元禅師が1654年に
長崎に来航して、禅宗の一派黄檗宗を開いた。このことが、長崎の唐寺や
日本の仏教、庶民の生活に大きな影響を与えることになる。
(このことについては次回以降に詳述)

☆長崎貿易の裏話☆ (Uさんの寄稿文より引用)
1685年、それまで自由な貿易だったものが、金銀の過流出を防ぐため、オラ
ンダ船、中国船に対し、貿易額に制限を設けた。東インド会社によって統制
されたオランダ船と違い、民間経営・無組織の中国船はコントロールが困難
だった。制限額に達した後に入港した船は荷を積んだまま帰るしかないこと
になる(積戻し船)。ところが中国人が黙って帰る筈が無い。
現在の長崎半島、野母崎沖で「風待ち」と称してぶ~ら、ぶら。そこへ不思議
なことに天草、鹿児島辺りから「難破した」と称する舟がぶ~ら、ぶら。
長崎からは「観音寺参り」と称する商人が、唐人屋敷から野母崎観音寺へ
向かう7里のみさき道をやってきて、寺の中でぶ~ら、ぶら。さて、何をやって
いたかお分かりですね。野母崎の海岸には「抜荷燈篭」と呼ばれる大きな
石灯籠が残っているそうです。


◆この話を聞いて、映画やドラマの筋書きができるのではと思いましたが・・
ここまで話が残っているのに、長崎奉行所が知らなかったはずはない。取り
締まる人数が不足だったのか。それとも見て見ぬふりをしたのか。あるいは
見逃す代わりに「賄い」をとっていたのか。長崎奉行を任期まで務めると一生
食べていける財産を残したというから、「賄い」説ではなかったか?

下の写真は唐人屋敷跡に残る銭湯で、旧丸金温泉と云われ、どこか昭和
の時代を思わせる懐かしい感じがします。この銭湯の近くから野母崎に続く
みさき道(別名抜荷街道)が延びていました。(続く)
Dscf3599

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