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2012年2月 8日 (水)

長崎旅行記(3) 唐人貿易とオランダ貿易

唐人貿易とオランダ貿易
◆中国人が長崎に来航し始めたのは、1600年頃からである。当時の中国は「明」
から「清」へ変わる騒乱期。異民族である「清」を嫌って、多くの中国人が長崎に
亡命してきた訳である。彼らは「清国人」と称するのを嫌い、「唐人」と自称した。
「明」ではなく700年前の国名「唐」を使うところが面白い。日本でも彼らを唐人と
呼び、唐船、唐人屋敷、唐通事、唐人町などの言葉が定着した。


◆ついでながら、Uさんから聞いた話だが、同じ「ツウジ」でもオランダ貿易の通
訳に当る場合は「通詞」と書き、唐貿易の方は「通事」として区別したそうだ。
オランダ貿易が幕府とオランダの「国家間取引」だったのに対し、唐貿易は

通事
(主に日本に帰化した唐人で、日本側役人として交渉)と唐人(唐船)との
個人契約」だったというのだ。彼らは通訳としてだけではなく「貿易・外交事務
の外交官」と自負し、華僑社会を指導した。


◆唐通事は日本婦人を娶り、永住を許され、日本人同等の扱いを受ける唐人で
「住宅唐人」とも呼ばれた。大・小通事は世襲制で、多額の役料と口銭で資産を
なした。70数家あり、穎川(えがわ/陳)、彭城(さかき/劉)、林氏などが名門で、
現在これらの姓の人のルーツはこの辺にあるのかもしれない。有力唐通事の
家はオランダ大通詞や長崎の有力商人とも姻戚関係を結び、上流社会を形成
強大な影響力を持ったという。


◆長崎における貿易は出島のオランダ貿易が主流だと思いきや、実は唐貿易
が長崎の年間貿易額の2/3を占め、オランダ貿易の2倍もあったというのだ。
それもそのはず、唐船の来航は2百数10年の間に3,600~6,300隻(年平均14隻
~29隻)だった。因みにオランダ船は220年余の間に600~715隻(年平均3~4
隻)ということで、圧倒的に唐船の方が多かった。この貿易による莫大な利益が
長崎を潤した。


☆長崎貿易の裏話☆・・Uさんの寄稿より引用
 「長崎の全住人は7月と12月にボーナスをもらっていた!」
初期の唐人貿易の利益は船宿賃や仲介料でした。(中略)当初は一部の市民
が独占しましたが、次第に市民への配分が増えていき、金・銀の為替レートに
よる利益や種々の口銭などの貿易利銀が市民に分配されました。時代によっ
て増減はありますが、1823年以降は箇所銀(土地持ち1箇所につき)年134匁
(約16万円位)、竈(かまど)銀(借家人1竈につき)年35匁(約4.2万円位)が配
られたのです。お上からこれだけの「ばら撒き手当」をもらえば、商売気もなく
なりますよね。長崎人には当時のDNAが今も残っているのです。


◆確かに長崎には年中行事が多くあり、遊び人が多かったようです。民謡
「ぶらぶら節」によく顕れています。私は生粋の長崎っ子ではないので、DNA
は何%でしょうか?(続く)

Dscf3691
出島のカピタン部屋のダイニングルーム

 

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