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2011年11月 1日 (火)

今日から11月

秋は「深まる」という表現をよく使う。「秋、真っ盛り」などとはあまり云わない。
「盛夏」と云っても、「盛秋」とは云わないように。むしろ「清秋」というように秋は
詩心をかきたてるらしい。


  秋深き  隣は何を する人ぞ     (芭蕉)
芭蕉が大阪で病床に伏していた時、詠んだ句で、この2カ月後に没した。
「秋深し」とも伝わるが「秋深き」が正しいようだ。


  柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺    (子規)
10数年前、斑鳩の里を旅した時、この句にぴったりの光景に出くわした。
残念ながら柿は食っていなかったが・・・。


  桐一葉  落ちて天下の  秋を知る  (片桐且元)
片桐且元は若い頃、羽柴秀吉の膝下で、柴田勝家との「賤ケ岳」の合戦で、
福島正則、加藤清正らと「賤ケ岳七本槍」の一人として活躍した。秀吉死後、
豊臣・徳川の対立を避けるため和平交渉の間に立つが、豊臣方に疑われ、
最後は家康につくも非業の死を遂げる。「桐」は豊臣の家紋、同時に自分の
姓にも引っかけ、秀吉の天下のはかなさを云いたかったのか。


 秋の日の  ヴィオロンの  ためいきの
   身にしみて  ひたぶるに  うら悲し。 (ヴェルレーヌ、上田 敏 訳)
この詩は高校の教科書で習ったように思うが、リズムがあって格調高く、お気
に入りの詩となった。


日本は遥か1000年も昔から、詩にかけては世界の最高水準を行っていたの
ではないだろうか。小倉百人一首をざっと見ただけでも「秋」を詠ったものは
多い。次はほんの一部。


   秋風に たなびく雲の  絶え間より
        もれいづる月の 影のさやけさ
     (藤原顕輔)

   村雨の 露もまだひぬ  まきの葉に
          霧たちのぼる  秋の夕ぐれ
    (寂蓮法師) 

   さびしさに 宿を立ち出で  ながむれば
         いづこもおなじ   秋の夕暮れ   
(良せん法師)

ついでながら百人一首ではないが、西行法師が大磯を吟遊した時詠んだ歌

   こころなき  身にもあわれは  知られけり
             鴫立沢の   秋の夕暮れ
   (西行法師) 

「秋の夕暮れ」がよく使われているが、清少納言も枕草子の中で、
「秋は夕暮」が一番と述べている。とは云うものの、詩心なき身にはトンと
いい表現が湧いてこない。

 

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