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2011年10月 8日 (土)

奥能登三日間の旅 (1) 

◆今月5日から7日にかけて奥能登方面へ出かけてきた。その前後に富山県
高岡市の瑞龍寺と五箇山合掌集落もコースに入っていたので立ち寄った。もと
もと雨男だが、今回もご多分に洩れず、早朝家を出るときから雨で、初日は
ほぼ1日中降られたが、二日目、三日目は天候に恵まれ、絶好の旅日和。
だが、海は波高く、一部予定変更となる。


◆能登は全く初めてだ。恐竜が日本海に頭を突きだし、開けた口から舌を出し
ているような地形は思ったより広く、面積は東京都にほぼ匹敵し、伊豆半島より
は一回り広い。海岸線は日本海側の外海と内海、富山湾に囲まれて相当長い。
また自然の景勝に恵まれている点は伊豆と同様だが、畿内に近いこともあって
歴史はかなり古いものがある。今回は自分で選んだ五つのベストスポットを選
定し、その他のビューポイントは簡単に印象だけ記したい。


No.1 【国宝高岡市 瑞龍寺】
◆富山県高岡市の瑞龍寺。何の予備意識もなく、ただコースに組み込まれてい
るから寄っただけだが、これが素晴らしい名刹であったことに驚嘆する。加賀百
万石の礎を築いた前田利家、利長親子、巧みに豊臣、徳川の世を政治力で生
き延び勢力を拡大。特に利長の時代に加賀、能登、越中(現在では石川県と富
山県に相当)の三か国を領地とし、120万石の大大名となる。跡継ぎがいなか
った利長は利家の側室の子、四男の利常を養嗣子にする。また徳川秀忠と江
の次女「珠姫」を三歳にして妻に迎え、徳川との関係を盤石なものとする。


◆前田利常もよく国を治め、栄えさせた。利長亡きあと、利常は利長に対して
深く恩義を感じ、菩提を弔うため寺を建立した。その寺がこの曹洞宗高岡山
「瑞龍寺」である。造営には利長公の50回忌まで(1663年)20年の歳月を要した。
平成9年に山門、仏殿、法堂が国宝に指定。(富山県では国宝はここだけとか)
また、総門はじめ庫裏、回廊、禅堂などが重文に指定されている。


◆回廊に囲まれた中庭や境内は寺院には珍しく、よく手入れされた芝生が敷
き詰められ、雨に濡れてしっとりと落ち着いた雰囲気を出している。鎌倉時代
の禅寺の建築様式を模し、江戸時代の名匠による建築は重厚で気品があり、
歴史の浅さを補って余りある。ボランティアガイドの説明もよく、敷居の高さを
感じさせない。たまたま拾った石が価値ある宝石だった・・そんな気がする
瑞龍寺だった。 (以下写真)

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