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2011年8月14日 (日)

夏の思い出

◆夏休みとお盆シーズンで高速道路はどこも渋滞だ。首都高を通り抜け、常磐道
を走って取手までお墓参り。猛暑の中、人と車がこれだけ移動する現象を見てい
ると不況など感じられない。高速道路が有料だろうが、無料だろうが動くときは動
くもの。企業の輪番操業等は果たしてどれだけ効果があったのか。結局、朝7時
45分
に家を出て帰宅は6時過ぎだった。

◆夏休みといえばやはり小学生の頃が思い出される。長崎港外の祖母の家に
兄弟二人で出掛けた。段々畑のイモ畑の中を2~300mも降りていけば、そこは
もう磯の香漂う海辺。潮が引けば、あちこちに潮溜りができ、ちょっとしたプール
にもなれば、小魚が泳ぐ水族館にもなる。畳半分ほどの「お風呂場」も出現する。
陽光でちょうどよい湯加減となり、体が冷えたらここで温める。


◆低学年だった我々兄弟はまだ泳ぎに自信がなく、専ら足の届く範囲で蜷(小型
の巻貝)を採る。これがすぐ桶一杯になるので持ち帰って、茹でてもらい、これが
格好のおやつとなる。小さなタコがとれた時は最高だ。近所の悪ガキと一緒に
よく海に出かけたが、腹が減ったらその悪ガキがイモ畑からサツマイモを掘って
きて塩水で洗い、まるごとかじるのだ。まるでどこかの猿と同じだが、腹が減った
我が身にとっては結構おいしかった。


◆彼が泳げるようになった切っ掛けは兄貴に手漕ぎ舟で沖に連れて行かれ、そこ
から海に放り投げられてからだという。仕方なく、海の中を歩いて帰ってきたという
のだ。「まさか、息ができないではないか」と云えば「その時は海の底を蹴って頭
を水面に出して息をつき、また歩いては水面に顔を出す・・その繰り返しで帰って
きたのだという」 その時は「フーンそんなものか」と半信半疑だったが・・。

◆6年生になった頃、親戚の兄さんに手漕ぎ舟で釣りに連れていってもらった。
あまりの暑さに海に入りたくなった。10mは泳げるから舟の周りを泳いでいれば
何とかなるだろう。櫓を漕いでいる兄さんも「大丈夫、入れ」と励ます。「勇気だ」
と自分に云い聞かせ、船べりを掴んだまま海の中に体を入れた。足はつかない、
底は見えない。手を放した瞬間、力を抜き自然に任せることにした。
泳げた!気持ちいい!初めて得た快感だった。

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