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2011年6月21日 (火)

小田原まちあるき検定(続き)

昨日取上げた検定問題の回答と解説です。
(問 1) 正解 3
  伊藤博文は明治23年(1890)、「行幸の浜」海岸に面した現小田原市本町に別
  邸を築き、明治30年までこの地に「滄浪閣」を構えていました。その後大磯に
  移転します。現在この地は個人に渡り、かなり荒れ果てていますが、庭の一角
  に胸像があり、彼が愛した梅と椿、また海岸側には大きな黒松が残っています。


(問 2) 正解 1
  伊藤に命じられた法学者3名は明治27年の5月から秋までこの滄浪閣に閉じこ
  もり民法原案の執筆にかかります。明治31年7月に民法全5編が施行された。


(問 3) 正解 1
  岸田國士(くにお)の長女は童話作家岸田衿子、次女は女優岸田今日子。昭和
  29年に亡くなるまでの2年間に小田原西海子小路(さいかちこうじ)に居を構えて
  いました。なぜアテネなのかは長くなるので、別の機会にブログにUPします。


(問 4) 正解 3
  1の松永耳庵は電力王松永安左衛門、2の増田鈍翁は三井物産の創業者増田
  孝、3の野崎幻庵は日本経済新聞の前身の社長を務めた野崎広太のこと。因み
  に増田鈍翁と松永耳庵に原三渓を加えて近代日本三茶人と称されています。


(問 5) 正解 1
  日露戦争の功で男爵海軍大将となった瓜生外吉は晩年現、小田原市南町天神
  社横の坂の上に別邸を構えました。今でもこの坂は「瓜生坂」と呼ばれています。
  因みに妻繁子は明治4年、初めての女子海外留学生として津田梅子らとアメリカ
  に留学。ここで瓜生外吉と出会い、帰国後に結婚。繁子は増田孝の妹。


(問 6) 正解 1
  山下亀三郎は山下汽船の創業者。小田原の別邸「対潮閣」は大正5年に完成。
  秋山真之は同郷ということもあって親友だった。当時秋山は戦争の影響もあっ
  てか生死についての宗教的命題を考え続け、精神的疲労が重なっていた。
  療養のためたびたび山下の別邸を訪れていたが、大正7年2月4日未明、持病
  の慢性腹膜炎が悪化し、満50歳で没した。


(問 7) 正解 2
  閑院宮家は江戸時代四親王家のひとつ。六大目の載仁(これひと)親王は現在
  の小田原女子短大を中心とする広大な敷地に別邸を構えた。親王は明治16年
  から24年フランスに留学後、陸軍騎兵将校として活躍。日露戦争では騎兵第二
  旅団長として秋山好古とともに騎兵隊を率い戦功を立てた。後に元帥、参謀総
  長になる。髭の参謀総長とあだ名があり、イケメンで格好よかったそうだ。

以上でした。

 

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