« 反捕鯨運動の本質(後) | トップページ | バラ満開 »

2011年5月25日 (水)

酒匂川の渡し今昔

◆歌川広重が「東海道五十三次」で小田原をモチーフにしたのは、小田原宿の手前
一里程の酒匂川の渡しの場だった。版画には酒匂川の東岸から西側を見て、手前
に「渡しの風俗が詳細に描かれ、遠景に細かい茅葺の小田原宿、小田原城、そして
背景には広重独特の色彩で、箱根の険しさが誇張され、真近に迫っているように描
かれている。


2011_0525010

◆ここから描いたのではないかと思われる地点に「酒匂川の渡し」の石碑が立っ
ている。それによると古くは船渡しが行われていたが、延宝2年(1674)に禁止
されて徒歩(かちわたり)制が施行され、冬の時期は水量が少ないため仮橋を
架けて往来し、増水する夏の時期には、画に描かれているように、川越人足の
助けを借り、手引き、肩車、輦台(れんだい)など路銀を払って渡らねばならな
かった。


◆この制度は明治4年に廃止され、今はこの地点から20mほど下流に国道1号
線の酒匂橋が架かっている。渡しの現場だったと思われる場所を入れて小田原
宿、小田原城方面を撮ると、箱根の一番高い部分は画面の右側にはみ出てしま
う。逆に箱根山のピーク(神山)に焦点を合わせると、渡しの現場は左の外には
み出してしまう。つまり広重は画材に適したいい部分を寄せ集め、デフォルメして
描いたことがよくわかる。ついでながらこの浮世絵のアングルだと土手の上10m
以上の高さから描いたように見られるが、そんな高台はないので、これまた想像
を働かせて描いたものだろう。

2011_0525001

◆現在はここからは小田原旧市街はもとよりお城も、ビルや建造物に隠れ
て一切見えないが、今から180年ほど昔は広重の画のように、この辺りは
一面葦が茂り、草茫々であったことは確かだろう。

« 反捕鯨運動の本質(後) | トップページ | バラ満開 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1299847/40124375

この記事へのトラックバック一覧です: 酒匂川の渡し今昔:

« 反捕鯨運動の本質(後) | トップページ | バラ満開 »

2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ