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2011年1月 7日 (金)

駅伝の話 (4)

世界一遅いマラソン記録保持者・・・金栗四三氏のエピソード

◆箱根駅伝の生みの親で、「日本マラソンの父」と言われた金栗四三(しそう)氏
のエピソード。金栗氏はなんと世界一遅いマラソン記録保持者でもあるというので
ある。その記録、実に54年8ケ月6日と5時間32分20秒3というから驚きだ。
駅伝の話とは直接関係ないが、とてもいい話だからピックアップしてみた。


◆金栗氏は熊本県の出身。明治43年(1910)、東京高等師範学校(現筑波大学)
に入学。翌年マラソンの予選会で当時の世界記録を27分縮めるという2時間32分
45秒の大記録をだした。その結果、短距離の三島氏とともに日本人初のオリン
ピック選手に選ばれ、翌明治45年(1912)第5回ストックホルムオリンピックに初
出場を果たした。


◆しかし、結果はレース途中日射病で意識を失って倒れ、近くの農家の人が家に
担ぎこみ介抱した。眼が覚めたのは翌日の朝だった。結果的に途中棄権となった
が、その要因はいくつかあった。当時日本からスウェーデンへは船と列車で20日
もかかった。またスウェーデンは夜が明るいため睡眠に支障がでて、食事の面で
も米がなく体調維持が万全とはいかなかった。さらに当日迎えの車が来ず、競技
場まで走っていかざるを得ない破目になった。最大の要因は当日の気温が40℃
という記録的な暑さで、出場選手の半分が途中棄権。翌日亡くなった選手もいた。

◆その後金栗氏は1920年アントワープ、1920年パリの両大会にも出場するが、
ピークを過ぎており、活躍をすることはできなかった。ところが1967年(昭和42)
3月、スウェーデンオリンピック委員会から、ストックホルムオリンピック開催55年
式典に招待された。同委員会は当時の記録を調べているうち、金栗の棄権の意
志が伝わっておらず「競技中に失踪して行方不明」として扱われていた事が判明。

◆この事実に気付いた同委員会は記念式典で金栗を記念式典でゴールさせる
ことにしたのである。招待を受けた金栗はストックホルムに赴き、競技場内に
用意されたゴールテープを切った。この時「日本の金栗、ただいまゴールイン、
タイム、54年と8ケ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルム
オリンピック大会の全日程を終了する」とアナウンスされた。金栗はゴール後の
スピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました。」とコメントした。

◆晩年は故郷熊本県玉名市で過ごし、1984年(昭和59年)93歳で天寿を全う
した。                                   (この稿終わり)

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