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2010年3月 4日 (木)

島崎藤村と「千曲川のスケッチ」 (2)

(3月3日の続き)
         「千曲川旅情の歌」
  
昨日またかくてありけり   今日もまたかくてありなん
  この命なにをあくせく     明日をのみ思いわずろう

  いくたびか栄枯の夢の    消え残る谷に下りて
  河波のいざよう見れば    砂まじり水巻き帰る

  嗚呼古城なにをか語り    岸の波なにをか答う
  過(い)にし世を静かに思え 百年(ももとせ)もきのうのごとし

  千曲川柳霞みて       春浅く水流れたり
  ただひとり岩をめぐりて   この岸に愁いを繋ぐ
                                (落梅集より)

実に格調高く、リズミカルで覚えやすい。
藤村は大正12年1月、51歳のとき脳溢血で倒れ、50日ほど病臥の後
}小田原で保養する。大正14年6月には国府津海岸で保養した。

小田原出身で明治初期の文学界で詩や評論を通して指導的な役割
を果たした北村透谷は藤村より4歳年上で、交流も深かったが、
明治27年満25歳のとき、若くして芝公園の自宅で縊死をとげた。
小田原城址公園には島崎藤村の筆による透谷の記念碑が建てられ
ている。
藤村の晩年は暖かい海辺を好んだのか、昭和16年69歳のとき、
大磯に家を借り、麹町の自宅との間を往復した。
なおまだ執筆活動は続けていたが、昭和18年8月21日、大磯の借寓
で再び脳溢血で倒れ、帰らぬ人となった。亨年71歳。
その3ヵ月後に小生が長崎でここの声をあげる。(←全く関係ない)

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