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2010年1月15日 (金)

邪馬台国と卑弥呼のことを考える (4)

◆天武天皇の命により、正しい天皇家の歴史を残す
という目的で始まった「古事記」は681年から編纂
が始まり、
711年に日本最古の歴史書として完成した。
天地初発から
33代推古天皇までの音訓混じりの日本文
で書かれ、いわば国内向け天皇家の私史であった。

◆これに対し「日本書紀」は同じく天武天皇の命に
よって
681年、皇族と官僚らによって編纂がはじまる。
40年後の養老4年(720年)に全30巻が完成し元正
天皇に献上された。
天地開闢から41代持統天皇までの
「正史」で、こちらは国外に向けた国家の「正史」と
して漢文で編纂され、渡来系の有識者が編纂に関わ
ったと考えられている。

◆この「古事記」や「日本書紀」が編纂された時期と
いうのは、
7世紀後半天皇家を中心とした国家が確立
した時期であり、その正統性を国の内外に文書として
残す必要があったからだ。
ではなぜ、紀元前
660も前の不確かな歴史にも拘らず、
代々の天皇の名前が記録されているのか。
しかも天皇在位が不自然に長い。例えば初代神武天皇
78年、5代考昭天皇が82年、第6代考安天皇に至って
101年、第11代垂仁天皇は98年、有名な第16代仁徳
天皇は
86年となる。仁徳天皇の次の17代履中天皇から
は在位は数年、長くても
30年とリーズナブルになる。
そもそも天皇という称号が確立したのは第
39代天武
天皇の頃らしい。それまでは「すめらみこと」とか
「おおきみ」といわれていた。

◆このように伝承や各地に残る伝説等をもと「記・紀」
が作られていくが、
1200年以上前にさかのぼる創作
(でっちあげ)の最大の理由は対中国・朝鮮政策も
あったと考える。つまり中国・朝鮮からみれば新興国
の日本は一段下に見られ、文化の面でも劣っていた。
そこで当時の政権の中枢にあった人達は「中国なに
するものぞ。日本にもこんな長い歴史があって、
代々天皇が国を治めていたのだ。」という証拠を表す
文献が必要だったのだ。
これを「はったり」とみるか
「先進国に対する気概とみるか」当時の日本の姿が
見えておもしろい。      (続く)

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