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2010年1月14日 (木)

邪馬台国と卑弥呼のことを考える(3)

◆そもそも日本の歴史の教科書で最初に固有名詞が登場
するのは卑弥呼であろう。
それ以前は複数の豪族国家が
分立し、対立が続いた時代とされるが、固有名詞はなか
なか登場しない。ところが古事記や日本書紀によると、
日本の紀元は神武天皇が即位した神武元年、西暦でいえば
紀元前
660年にあたる。今から2670年前のことになる。
中国では春秋時代、ギリシャでは都市国家が成立した
ころだ。歴史の教科書では日本はまだ縄文時代で竪穴
式住居にすみ、狩猟生活を営んでいたと教わった。

◆神武天皇以前は神統譜とされ固有名詞はたくさん登場
するが、いわゆる神話の世界だ。
神武天皇以降にも代々
の天皇が名を連ねるが、津田左右吉博士によると、
15代応神天皇(西暦270年~310年)以前の物語は
フィクションであると断じている。

◆この時代はいわば伝説の時代といってよく、例えば
日本武尊は
12代景行天皇の子とされるが、全国各地に
日本武尊にかかわる話が残っている。日本武尊の遠征は
大和政権が地方豪族を統一するための遠征だったと
すれば、日本武尊にかかわる話はあながちフィクション
とばかりも言っていられない。モデルとなる人物はいた
のだろう。ただし時代が卑弥呼以前のことか、同時代か?
黒岩重吾氏は卑弥呼より
100年以上もあとの4世紀末のこと
だという。(続く)

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