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2010年1月13日 (水)

邪馬台国と卑弥呼のことを考える(2)

◆古代の日本に中国から与えられた「倭」という国名は中国
人が日本人を卑しめて呼んだ呼称であった。

その後日本人は、そのことに気づいたか「倭」を→「和」に
改め「ヤマト」と発音していた国名を「大いなる」「和」
すなわち「大和」という漢字をあてたものと思われる。
その後「和」は日本を意味するようになり「和式」「和風」、
「和洋折衷」などと広く使われている。
◆ついでながら、後世室町時代後半に朝鮮半島や中国沿岸を
襲った海賊は「倭寇」と呼ばれているが、
1000年以上たって
も中国や朝鮮からみると、日本はまだ「倭」だった。
また「卑弥呼」という漢字も「魏志倭人伝」に出てくるが、
この「卑」は「いやしい」、「弥」
は「いよいよ」とか
「あまねく」という意味で、発音にあわせた蔑称のあて字
だった。
この当時の日本人が漢字を理解しているならば
「太陽すなわち日」の「神子」または「巫女」つまり
「日巫女」の字を宛てたであろう。       (続く)

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