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2018年10月18日 (木)

韓国と北朝鮮 根っこは同じ

文在寅韓国大統領は、フランスのマクロン大統領と会談した際、北朝鮮は「米国が相応の措置を取れば、現在保有している核兵器と核物質をすべて廃棄する用意がある」と語ったという。(そんなことは今年6月「シンガポール米朝首脳会談」の共同声明で、「北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り組む」と謳ったはずだ。何をいまさら。本当にやる気があるなら条件を付けずに、具体策を示せと言いたい)

◆さらに続けて「金委員長は誠実で冷静、礼儀正しい」と評し、「国際社会が依然として疑念を持っていることに不満を感じている」と主張。「困難の末に合意にこぎつけたこれらの努力へ、報いるべき時が来た」と述べ、「非核化は正しい決断だったと保証する必要がある。金委員長が核兵器の廃棄に向け、戦略的な決断をしたことを確信した」と仏紙に述べたという。(早く朝鮮戦争終結宣言をせよと言うことか)

◆文氏に言いたい。いくら同胞とはいえ、年下の若造にそこまで懐柔されたのかと。「国際社会が依然として持っている疑念」とは何か、祖父・父親という独裁者の血を引く三代目が誠実で冷静、礼儀正しいという人物ならば、政敵とは言え叔父を粛清し、兄貴を白昼堂々と暗殺するだろうか。北朝鮮は今年核兵器とミサイルの実験を停止しているが、核実験場を爆破した際に国際査察官を招くと言う約束を反古にした。舌先三寸で相手を惑わす得意技は衰えていない。口先だけの核廃棄で、世界中が経済制裁を解くならば、北にとって文大統領は功績大なりとして表彰状ものだ。

◆文氏がいみじくも述べているが、金正恩が核兵器の廃棄に向けて、戦略的な決断をしたとはまさに言い得て妙。「核兵器の廃棄」を餌に様々な交渉で、取るものだけ取って究極的なもの大切に仕舞い、いざと言うときの切り札にとって措く。ということはいずれ南北が統一されれば、統一された朝鮮半島は核保有国となり、米・中・露とは対等に立ち向かい、日本を下に見ることができる。なるほど「核兵器の廃棄に向け戦略的な決断」とはそういうことだったのか。文氏が揉み手をして、金正恩に寄り添う姿に納得がいくではないか。

◆「恨」の国、朝鮮半島。日本から受けた恨みは2000年経っても忘れることはできないと前大統領は言った。ところが、1950年に38度線を超えて朝鮮戦争を勃発させた北朝鮮。1987年、北の工作員によって乗員・乗客115名が命を絶った大韓航空爆破事件。こうした北による数々の事件・暴力・拉致などはすべて水に流すという大寛容の精神を文氏は持っているらしい。その一方で、1965年の「日韓基本条約」、1998年の「日韓共同宣言」、2015年の「最終的かつ不可逆的な合意」という「反省と未来志向に向けた国と国の取り決め」には不誠実だ。逆に、慰安婦問題、竹島問題、歴史認識問題などは韓国国民の世論だとして繰り返し利用しながら、金正恩と協調して世界平和を演出する。韓国歴代大統領は不幸な結末を招いた歴史があるが、もともと朝鮮半島のDNAを引き継ぐ二人、果たして文大統領は?そして金正恩の将来とは?

2018年10月10日 (水)

長崎ブラリ街歩き(後)

◆長崎駅前の高架広場を横切った辺りの一帯を西坂と呼んだ。この辺りを歩いているうちに、ビルとビルの隙間から何やら大きな観音様の像が見えた。思わず狭い石段を登り、境内に立って驚いた。「えっ!何これ?」、なんともグロテスクな亀の像の上に巨大な観音像が立っている。調べてみるとこの寺は1628年に建立された福済寺という寺院で、興福寺崇福寺、と合わせて「三福寺」と呼ばれる黄檗宗の由緒ある寺院だった。また後述する聖福寺と合わせて「長崎四福寺」と呼ばれる寺院でもある。興福寺、崇福寺は既知の寺院で子供の頃から馴染みがあったが、迂闊にも福済寺は知らなかった。戦前は本堂などの建築物は国宝に指定されていたが、長崎市への原爆投下で焼失したと言う。

Photo (万国霊廟長崎観音像)

◆しかし、何で亀の上に観音様が? 実は1979年(昭和54)に平和を祈願して建立されたもので、「万国霊廟長崎観音」が正式名称とのこと。中国の謂れによるものだそうだが、亀の形をした霊廟を台座として建っている姿はいかにも奇妙だ。高さは18m(地上から34m)、重さは35tあるという。昭和54年といえば東京で社会人になって10年余。その後何度も帰省していたが、終ぞ知ることがなかった。40年ほど昔にできたとは思えぬほど真新しく、ひょんな切っ掛けで知ることとなった。内部には地球の自転を示す「フーコーの振り子」(長さ25.1m「で日本最大級)が取り付けられているという。今度行ったときに覗いてみよう。

福済寺は坂本龍馬が初めて長崎に滞在した時の宿泊所。また勝海舟は長崎海軍伝習所時代に福済寺の隣の本蓮寺に滞在した。また数100m離れたところには「いろは丸事件」の談判が行われた聖福寺(国の重要文化財多数)があり、維新の志士たちが闊歩したゆかりの地となっている。
Dscf3680 聖福寺山門

◆長崎駅前の西坂の丘の斜面に沿った細長い地域は、歴史的に由緒ある寺院仏閣、教会などが点在する。1597年2月5日、秀吉の命により西坂の丘で殉教した二十六聖人を記念して、記念館と記念碑(レリーフ像)が建つ。それに付随して建つ双塔のデザインの小さな教会「記念聖堂」が印象的だ。「聖フィリイポ教会」と称するこの教会のデザインは「スペインゆかりの地に立つ現代建築」というテーマで、サグラダ・ファミリア教会で知られるガウディのスタイルを意識的に取り入れたというが、ちょっとオーバーじゃないかという感じ。いずれにしろ、長崎の街は古いもの新しいもの、いろいろ取り混ぜ、進化しているようだ。(本稿終り)
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「二十六聖人記念聖堂」

2018年10月 9日 (火)

長崎ブラリ街歩き(前)

◆所用があって、先週長崎に行ってきた。台風24号が過ぎ去った長崎の街は秋空に覆われ、真夏日そのもの。所用を済ませ、帰りのフライトまではまだ時間があるので、ブラ歩きする。長崎は行くたびにどこか変わっており、新しい発見がある。

◆長崎県庁が今年初め、新庁舎に移転したと言う。まず外観だけを傍観した。場所は浦上川の河口、長崎港の最奥部にあたるところで長崎駅から徒歩5分、周りが水辺の絶好のスポットである。近年、各県の県庁舎は外観が立派で大振りなのに対し、意外と小さく地味で、控えめな造りである。それもそのはず、地上8階建て、それほど自己主張をしていない。長崎港が奇抜なデザインの建築物に取り囲まれているから、それほど目立たないのだろう。ただ、窓に木目調の縦の桟が不規則に並んでいるのが気になるというか、印象に残るデザインだ。新しい建物だが、シックで落ち着いた雰囲気を出しており、西側の浦上川と南側の長崎港という両面が水面(みなも)に接した立地は、他ではあまり見られない情景ではなかろうか。

Photo 新装なった長崎県庁

◆浦上川は子供の頃、黒く濁って汚かった。戦後日本の都市河川の御多分に漏れず、工場排水、生活排水が影響していたのだろう。昭和20年8月9日、この川の2km上流では水を求める多くの人が川に入り、無数の焼死体が浮かんでいたという。2歳に満たなかったが、この地にいたことは確かだった。73年後の今、水は青く綺麗で、河口の岸には遊歩道が通り、街路樹が植えられている。平和が当たり前の世の中になって、その有難さが見失われがちだが、忘れてはならないことだと思いを新たにする。

◆小学校から高校まで、少年時代と多感な青春時代の一時期をこの地で過ごした。特に小学校時代の思い出は昨日のことのように思い出される。友達と遊んだあの場所、行き来した友人宅、商店街、風呂屋さん・・今どうなっているんだろう。60数年ぶりにそれら思い出の地を巡ってみた。入り組んだ狭い道路、商店街などの区画割、古い人家など、ほぼ昔の面影を残しているが、半分以上は姿を変えている。そして何より活気が感じられない。友人5~6人の家があった場所は分かるものの、姿は変わり、一人として在住していない。これが時の流れというものだろう。(続く)

2018年9月15日 (土)

自民党総裁選と憲法論議(後)

安倍総理は9条(1)項の「平和主義」と(2)項の「戦力不保持」はそのまま維持し、新たに9条の2として「自衛隊の存在」を明記し、法的根拠を与えようとする考えを打ち出した。即ち、現実をそのまま認め、宙ぶらりん状態の自衛隊を正式に認知しようというもの。これなら現状と大きく異ならず、比較的国民に受け入れられやすいと判断したのだろう。
        ◇         ◇         ◇

ところが、この案に対しては「実質、現状が変わらないのであれば、何も憲法を改正する必要がないではないか」と、左派系政党をはじめ、憲法改正反対派から声が上がる。また、安倍さんは「史上初めて憲法改正した総理として名を残す考え」ではないかと、穿った見方する人もいる。しかし、もっとも大きなポイントは、(2)項の「戦力不保持と交戦権の否認についてそのままにした上、いくら憲法上に自衛隊を明記しても、戦力ではないという従前からの主張の矛盾については、何ら解決策にはなっておらず、対立の図式は変わらない。
        ◇         ◇         ◇
対立候補の石破氏はまさにこの点を突き、安倍さんの提言は「まやかし」であるとして、大胆にも(2)項の「戦力不保持と交戦権の否認」を削除し自衛隊を通常の軍隊であることを明記し、保持を定める。その上で国際法上の「交戦権」を認めようとするもの。もちろん自衛隊の暴走を防ぐため、文民統制(国会や内閣による)の原則を明確に定めるという。
        ◇         ◇         ◇
さて、どちらの議論が正しいか。理論的には石破氏の提言が正しい。自衛隊は軍隊ではないなどという非現実的なところを改め、矛盾がなくなり、スッキリした形になる。しかし、この憲法案だと、反対勢力から逆に「戦争ができる国にしようとしている」などと喧伝され、それに乗じて、中・韓・北朝鮮あたりから「右傾化だ、軍国主義の復活だ」などと逆宣伝されるだろう。そして(1)項で平和主義の貫徹を謳っているにも拘らず、そのことには目もくれない。その辺りを意識してか、持論の改正案については、「緊急課題ではない、理解無き憲法改正をスケジュール感ありきでやるべきではない。」とトーンダウンしている。これはこれで「機を見るに敏」な政治家の姿勢をよく表している。ではいつ理解を得られるのか?
        ◇         ◇         ◇
結局総理の案は「現実」を直視した案で、自衛隊員の立ち位置について「」に訴えた形ではあるが、根本的な矛盾を孕んだままであるのに対し、石破氏の案は「理想」を追求した案で正論ではあるが、現実性に欠けるきらいがある。これほど難しい安全保障や憲法改正について国民に判断せよといっても簡単ではない。為政者は安全保障上の長期的ビジョンと国益を第一とした外交方針を示したうえ、そのための憲法改正の必要性を丁寧に説明して、理解を得るしかない。このまま何もせず、放置したままで、「他国侵略の難」が起こったときに、「時すでに遅し」では済まされない。(終)

2018年9月13日 (木)

自民党総裁選と憲法論議(前)

9月20日に投開票される自民党次期総裁選。我々一般人には1票を行使する権利はないが、事実上時期総理の決定であり、注視せざるを得ない。メディアの予想では、国会議員票(405票)では8割程度が現職安倍総理・総裁に、約104万人といわれる党員票(405票に比例配分)では、地方に人気がある石破氏が過半数を上回る見込みだと言う。しかし、全体では安倍さんの有利は動かないと言う見方が大勢を占めている。
      ◇        ◇       ◇
本格論議を極力避けている安部さんに対し、石破氏は正々堂々と議論し、世論を味方につけ、その勢いで党員票の大幅獲得を狙う。しかし北海道地震や、総理のロシア極東会議出席で、その論戦の場は狭まった。メディアの報道にしても表面的な現象や評論的な立場に終始し、国民が最も知りたがっている、石破さんが総裁になったら日本はどうなるのか安倍さんが続投したら、どう変わるのか、あるいは変わらないのか、その辺のところは全く触れられていない。この二人の政策で大きく違うところは「外交安全保障」とそれに関連する「憲法改正」問題だ。その辺に焦点を絞り、考えてみたい。
       ◇        ◇       ◇
憲法9条の「戦争の放棄」と「戦力及び交戦権の否認」についての改正問題は自衛隊の存在の規定を巡って、70年に亘り違憲か合憲かの不毛とも思える論争を繰り返してきた。即ち、1項では、「日本国民は国際平和を誠実に希求し、戦争及び武力による威嚇・行使は国際紛争解決の手段としては永久に放棄する」と平和主義を貫徹することを謳っている。その上で、2項において「前項の目的を達成するために、陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定している。この規定は世界に類を見ない完ぺきな平和憲法であり、世界が目指すべき崇高な目的ではある。しかし、理想だけでは現実社会の統治が困難であることは、真剣に取り組む政治家ほど実感するのではなかろうか。
       ◇        ◇       ◇
長年問題となってきたのは第2項の規定であり、自衛隊は陸海空軍その他の戦力に当たるのか当たらないのかと言う問題である。しかしながら戦後70年を経て、自衛隊は国民の間に定着してきた。交戦権は認めないといっても、自衛権まで否定されるものではない。近年では近隣諸国による日本の領土・領海への侵略のみならず。サイバー攻撃などでインフラを麻痺させようとする戦略にも対応を余儀なくされている。
       ◇        ◇       ◇
こうした現実に直面しているにも拘らず、「自衛隊は戦力ではない」という苦しい弁明が70年ほど続いてきた。国民もこうした矛盾に慣らされ、「憲法上に規定されていなくても実効があればいいんじゃないの」という軽い気持ちで憲法問題や安全保障問題を捉えているのではなかろうか。問題なのは憲法上に自衛隊の存在、機能、制限など何の規制もないまま自衛隊が存在していることだ。海外から見れば立派な軍隊であり、戦力ではないと言っても全く通らない話だ。(続く)

2018年8月31日 (金)

少年時代の夏の日の怖い思い出

昭和20年8月9日、長崎に原爆が投下され、両親、祖父母と一家5人は長崎港外の漁村に移り住んだ。当時まだ2歳頃で全く記憶がない。記憶にあるのは幼稚園に上がったころで、毎日祖父の肩車に担がれ、教会に敷設された幼稚園に通い始めた頃である。昭和25年4月、市街地の小学校入学と父の通勤のため、長崎の元の実家の近くに転居した。祖父母はそのまま残り、一家4人で(疎開先で弟が生まれていた)引っ越した。10数軒あった貸家は全て焼け出され、何も残っていなかったという。
     ◇         ◇          ◇
長崎の家から港外の祖父母の家まで直線で6kmほど、数10年前に周囲が埋め立てられ陸続きとなり、バスで往還可能となった。しかし当時は長崎港から40分ほどの定期便船を利用するしかなかった。学校が休みに入ると、よく祖父母の家に出かけた。磯や砂浜のある海岸まで歩いて5、6分。地元の子供達や島の自然との触れ合いが大きな楽しみだった。そんなある日、島の真ん中の小高い山の中を子供達2,3人で探検した。灌木が鬱蒼と生い茂り、両側が背丈より高い叢の中に紛れ込んだ。人一人通れるほどの道があり、突き当たったところに、蔦や葉っぱに覆われた横穴を塞ぐ、レンガの壁が見えた。小さな明り取りがあって、わずかに中が見えるが、真っ暗で何も見えない。すると、何かの気配を感じたのか、ぞーッと悪寒が走った。皆我先にその場から走って逃げた。昭和26年~27年頃、神の島という長崎港外の島で、小学校低学年頃の話である。
     ◇         ◇          ◇
それから時が経ち、1990年代後半から長崎に行く機会が増えた。長崎訪問の際は、祖父母の墓があるこの地も何度か訪れた。そうした中、2012年2月、長崎ガイド協会に所属する小学校の友人の案内で、実に60年振りに、少年時代に怖い思いをした赤レンガの壁のある建造物を訪れることができた。なんと草深い怖いイメージは一掃され、今は「神の島公園」となって市民の憩いの場となっていた。怖かったレンガ造りの横穴の周囲は綺麗に整備され、ここがかつて砲台であったことを示す看板が架かっていた。60年前の怖い思い出は、戦後まだ6、7年しか経っていなかった頃の話で、ひょっとして兵士たちの怨霊があちこちに残っていたせいだったかもしれない。
     ◇         ◇          ◇
公園の最高地点に立つと、細長い長崎港が外に向かって広がっている様子が手に取るようによく見える。この少年時代の体験のわずか10年前、昭和17年5月20日夕刻、港内にある三菱重工長崎造船所で建造された戦艦「武蔵」が、最終艤装工事のため、呉工廠造船ドックに向かって出航した。長崎港では厳戒態勢が敷かれ、市民は港内を覗くことさえできなかったという。しかし神の島のこの砲台では、守備兵たちがその巨体に度肝を抜かれながら見ていたはずだ。因みにこの数年前工業高校を卒業した父親は、設計技師の端くれとして三菱重工に就職し、「武蔵」の電気系統設計にも従事したと聞いた。そんなことに思いを馳せつつ、2005年に完成した女神大橋や昔ながらの高鉾島、四郎ケ島、伊王島などを眺めていた。
Photo
神の島公園より、女神大橋を覗く。「武蔵」はこの狭い港を外に向かって出航していった。

Photo_2 戦艦「武蔵」




2018年8月12日 (日)

「クジラ食文化」の復活を

1週間ほど前、鎌倉市の由比ガ浜海水浴場に、体長10.5mのシロナガスクジラの子供と見られる死骸が漂着した。クジラの迷い込みや漂着はそれほど珍しいことではない。数年前、相模湾に面した我が家の近くの砂浜でも、6mほどのザトウクジラの子供の死骸が打ちあがった。しかし、シロナガスクジラの漂着は非常に珍しく、国内では初めてらしい。
    ◇        ◇         ◇
推察だが、国際捕鯨取締条約によって1970年後半から、シロナガスクジラなどの大型クジラの捕鯨が禁止され、1986年から商業捕鯨が完全に規制された。これにより許可された一部の調査捕鯨のみとなり、大型クジラにとって天敵の人間から捕殺されることがなくなった。その結果、シロナガスやナガスクジラなどの生息数も増えて、日本近海にも回遊するケースが増えてきたのではなかろうか。ところが大型クジラが増えてきたため、イワシやサンマなどの小魚が減り、それらを餌とするマグロなどの漁獲高も減ってきている。
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クジラが増え過ぎたという科学的なデータはまだ確認されていない。しかし、ある程度増えた段階では、国際的合意を前提に捕獲可能種類や頭数などを取り決め、捕獲を認めることを検討してもよいのではないか。なお、その際入札制度を採用するなどして、その資金はクジラ資源の保持のために充てればよい。鯨食文化は何も日本の専売特許ではない。世界各地の沿岸部では古くから鯨肉を食していた。中世ヨーロッパにおいては、特にイルカが食用として好まれた。今では信じられない話だが、イルカは比較的最近まで欧米諸国で食用とされた経緯があり、英国の宮廷では17世紀頃までイルカの肉が供された。
           ◇         ◇        ◇
しかし、沿岸鯨類資源は乱獲により次第に枯渇していき、漁場が沿岸から遠洋へと移動するにつれ、冷蔵・冷凍技術がない当時においては、徐々に食用とすることができなくなっていった。それにも拘らず19世紀から20世紀にかけて競うように捕鯨が継続された理由は、鯨油やクジラヒゲなどに工業原料としての価値があった為である。欧米全体で見ると、鯨を食用とする発想そのものが失われていった。但し、ノルウェーやアイスランドなど沿岸での捕鯨が継続された地域では、例外的に鯨肉食が残存している。北極圏の先住民にも、鯨食の文化があり、今でも国際捕鯨委員会より特定の鯨の捕獲が認められている。
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伝統と歴史のある日本のクジラ食文化については他国と本質的に異なることは改めて述べるまでもないが、南氷洋の国際捕鯨が禁止に転じてから、日本のクジラ食が批判に晒されることになった。クジラを食することが野蛮な行為と映り、「可哀そう」という情緒的感情が先だったからに他ならない。また、半世紀近い鯨の食文化の断絶で、若い世代を中心にそれを受け入れる傾向が増えてきたことは残念でならない。日本は増え過ぎによる弊害や適性数の維持について科学的に説得する努力を継続しなければならない。和食が世界的な評価を得ている。鯨肉もその食材の一環であるという理解を得るような努力も必要ではなかろうか。
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2018年8月 2日 (木)

韓国の土用の丑の日

今年の土用の丑の日は7月20日と8月1日。できるだけこの日は避けて、夏に1~2回はウナギの蒲焼きを食すことにしている。夏バテ防止に効くような気がするが、スーパーで安いものを見つければほとんどが中国産。国産は年々高くなっている。
さて、お隣の国韓国でも夏の盛りに、3回訪れる「付日」(ポンナル)と呼ばれる日に、滋養食を食べる習慣があるそうだ。この食材が鰻ならぬなんと犬肉。もともと犬肉を食用にする文化は中国や朝鮮半島に古くからあった。「羊頭を懸けて狗肉を売る」という諺があるくらい、犬肉(狗肉)は古くから食されていたのだろう。

       ◇         ◇          ◇
2000年頃、犬を扱う精肉店はソウル近郊の犬肉市場で約50店ほどあったが、現在は20店に減ったと言う。韓国では若者の犬食離れが進んでおり、世論調査でも「最近1年間に犬の肉を1回でも食べたことがあるか」の問いに、50~60歳以上で50~60%、50歳未満で20~40%、全体では「ある」が30%、「ない」が70%と若者世代ほど「ない」が多くなっている。また「犬の肉を食べることをよく思うか」の質問には44%が良くないと答え、「良い」の37%を上回った。
       ◇         ◇          ◇ 
「読売新聞」のこの記事を読んで、大いに驚いた。韓国の犬食文化は子供の頃聞いてはいたが、今だに続いていたのかという驚きである。韓国ではソウル五輪(1988)、平昌五輪(2018)を通して、欧米メディアや一部アスリートたちが犬食習慣を批判した他、海外の動物愛護団体が犬肉食の禁止を韓国政府に迫った。政府も一時的に禁止の措置をとったが、長続きしなかった。中高年を中心に根強い食の志向が強いからである是非の論争は40年以上続いてきたが、歴代の韓国政府は対応を後回しにしてきた。
       ◇         ◇          ◇
韓国の畜産法ではは「家畜」として扱われている。ところが「畜産物衛生管理法」では家畜には当たらない。このため、犬肉は合法でも違法でもない「グレーゾーン」として取引されてきた。その結果、政府は実態を把握しておらず、業者任せだという。このため、精肉業者らの団体は犬にも衛生管理法を適用し、販売を合法的にせよと主張する。もしこれを明文化すれば国際社会からの批判が強まる。一方動物愛護団体などは、犬の食肉処理は動物保護法違反だとして、禁止を求める。
       ◇         ◇          ◇
人類は2~3万年前から狼を飼いならし、人間の相棒として「犬」を作り出し、またペットとして信頼関係を築いてきた。そうしたDNAは人類共通のものだと思っていたが、中国や朝鮮半島では、まだ異文化が残っている。先進国の仲間入りしたはずの韓国で、犬は「家畜かペットか」の問題を解決できないまま、この問題を放置してきた。こうした現状こそ、韓国人気質そのものを表しているように思えてならない。

2018年7月28日 (土)

天正遣欧少年使節団のこと

先月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録された。今年は日本にキリスト教が伝来されてから、約470年が経つ。1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸してから、九州方面を中心に布教活動は広がり、有力キリシタン大名も出現した。天正10年(1582)には、大友宗麟大村純忠有馬晴信の名代として、4名の少年使節団がローマ法王の元へ派遣されるまでに至った。ザビエル来日から33年後のことである。
    ◇           ◇           ◇
選ばれた少年使節団は伊東マンショ(主席正使)15歳・・豊後大友宗麟の名代。千々石ミゲル(正使)14歳・・大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。中浦ジュリアン(副使)15歳・・大村藩、原マルチノ(副使)13歳・・大村藩の4名。少年たちは、有馬晴信(今の島原方面を治める大名)が建てたセミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれた。1582年2月、イエズス会のヴァリニャーノに引率されて長崎港を出港した。
     ◇           ◇           ◇
一行は2年半かけて1584年8月、ポルトガルのリスボンに到着。以後マドリッド、イタリアのトスカーナ、ピサ、フィレンツェを経て、1585年3月、ローマに入り、ローマ教皇グレゴリオス13世に謁見した。法王は礼儀正しい4人の少年に涙し、異例の抱擁接吻をしたという。ローマ市も市を挙げて大歓待した。その後ヴェネツィア、ベローナ、ミラノなどを訪問して、1586年4月リスボンを出発、帰路に着いた。全行程、実に8年5か月余、一行4人は苦労の長旅を終え、1590年(天正18年)7月、長崎に帰港した。しかし4人の悲劇はすでに始まっていた。
     ◇           ◇           ◇
一行が苦労の長旅をしている間に、長崎で大村純忠が死去、豊後では大友宗麟が死去、最悪なのは1587年、豊臣秀吉によってバテレン追放令が発布されたことだった。この時点では異国人宣教師が追放されただけで、まだ禁教にはなっていなかった。1591年3月、聚楽第に招かれた使節団は巨大なアラビア馬を関白秀吉に献上。さらに秀吉の前で、西洋音楽を演奏した。歴史にif は禁物だが、秀吉に信長や光秀のような教養や素養があれば、西洋音楽にも理解を示したであろうが、そうはならず事態は悪化していった。1596年には長崎西坂の地で26聖人の殉教事件が起きた。
     ◇           ◇           ◇
4人のその後だが、伊藤マンショは司祭に叙階されるも、江戸幕府がキリスト教禁令を発布した1612年に長崎で死去した。千々石ミゲルは棄教。中浦ジュリアンは司祭に叙階されるが、1633年長崎で穴づりの極刑を受けて殉教、2007年に福者に列せられる。原マルチノは持ち帰った印刷機でキリシタン関連の出版をし、司祭になったが1629年、追放先のマカオで死去した。こうした苦難の歴史が秘かに引き継がれた先に、今回の世界遺産登録があることを我々は忘れてはならない。

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「天正遣欧少年使節顕彰の像」:1982年、使節の出発400年を記念して、長崎空港(長崎県大村市)近くに建立されたもの。

2018年7月22日 (日)

日本はサッカーに向いていない!?(続)

【理由その4:サッカー人気の格差】
世界のスポーツを俯瞰すると、人気度ではサッカーはトップクラスだろう。中でもW杯は世界最高峰と位置付けられ、世界最大のスポーツイベントであることは間違いない。そもそも世界でサッカーの人気が高いのは、単純で分かりやすいこと、ボール一つあれば誰でも簡単に入り込める気軽さがあること、その上で団体競技としてサッカーは観戦型よりも応援型の特性を有し、興行型としてビジネス面での優位性を併せ持つ。つまり欧州の資産家が豊富な資金を背景に、クラブチームの覇権を争うビジネスを展開する理由が存在する。
日本もサッカー人口が増えたとはいえ、サッカーは多くのスポーツの中の一つに過ぎない。野球、相撲、ゴルフなどいくつも人気のあるスポーツはあるが、やはり日本人はオリンピックにこそ、最高の価値を置く人種だ。つまり、サッカーに対する情熱・愛着と言う点では世界の多くの国に一歩譲るかもしれないが、それを無理して改める必要はないし、ありのままでよいのではなかろうか。


【理由その5:巨額の金に日本は太刀打ちできない】
サッカーはもともと貧しい国の間で広まっていった。実力さえつければ、欧州を舞台とするプロサッカーチームが大金を出しても選手を集める。優秀な選手の移籍を巡って巨額の金が動く。欧州のプロリーグで活躍する有名日本選手の年俸は4~5億円ほどらしい。これに対して、ロナウド、メッシなど超一流選手は80~90億円と、まるで桁が違う。J1リーグで活躍する日本選手の平均年俸は2661万円、1億円以上は27人、その半数が外国人で最高は6億4千万、日本人最高は1億4500万円ほどだという。野球と比べてかなり低いが、この辺が限度なんだろう。逆に言えば日本選手でロナウドやメッシ並みに稼ぐ選手が現れたら、それこそW杯優勝を狙えるチャンス到来ということになるのだろうが、まず無理な話だ。


理由その6:持ち込まれる政治問題】
サッカーは熱狂するあまり国際間の社会問題、人種問題、移民問題などが「政治とスポーツ」の問題として表面化することがある。今回もドイツの代表に選ばれたトルコ系2人のドイツ人が、訪英中のエルドアン・トルコ大統領を表敬訪問した。ドイツではエルドアンは人権無視の強権政治家という見方が一般的。大半のドイツ人の反発を買うことになり、試合のたびにブーイングが起こった。結局前回優勝のドイツは予選敗退という憂き目にあったが、このように政治問題が試合に影響を及ぼすことがよくある。かつて韓国戦で起こったように、日本にその意図がなくても、政治問題のPRの場として利用されるケースは往々にしてあった。

【最後に】こうした歴史を踏まえた上で、日本が目指すべきサッカーの姿が、50年前のメキシコオリンピックのU-23にある。アマチュア精神がまだ残るこの大会で、日本はサッカー先進国を次々に破り、銅メダルを獲得した。長いサッカーの歴史の中でメダルをとったのは後にも先にもこの大会だけである。日本はオリンピックのサッカーU-23にこそ、照準を合わせるべきと愚考する。

2018年7月21日 (土)

サッカーは日本に向いていない!?(前)

サッカーW杯ロシア大会は、フランスの5年ぶり2回目優勝で幕を閉じた。ベスト16になんとか進出した日本は、優勝候補の一角ベルギーとの対決で、歴史に残る善戦を見せたが、最後は本気になった欧州の底力を見せつけられ、ベスト8の壁を突き破ることはできなかった。日本は確かに年々力をつけ、強豪国と対等以上の戦いぶりを見せてはいる。では、近い将来日本は優勝することができるだろうか。答えは「否だ」。理由はいくつかある。

【理由その1:欧州・南米勢の歴史的な巨大な壁】
サッカーW杯は4年に1度の国際大会、その人気はオリンピックを凌ぐと言われている。過去、1930年の第1回ウルグアイ大会から、今年の第21回ロシア大会までの88年間で、優勝は欧州勢が12回、南米勢が9回、準優勝は欧州勢(含む北欧、東欧)が16回、南米勢が5回となっている。欧州・南米以外で3位になったのは、アメリカとトルコが1回だけ、アジア勢では日韓共同大会で韓国が4位になったのが最高だ。近年アジア勢や中東勢の活躍、及びアフリカ勢の台頭で、勢力分布に変化の兆しも現れたが、欧州・南米の壁はまだまだ高くて厚い。


【理由その2:埋められない身体能力の格差】
では何故この2大陸だけに偏っているのか。そもそも英国の庶民の間で生まれたサッカーは、西欧人とそこから派生した南米大陸でまず普及した。長年の歴史の中で、サッカーに適した身体能力が育まれ、スピード、バネ、球際の技術などが発達したのではないか。技術という面では日本もひけをとらなくなったが、車に例えれば、小型エンジンで性能はよいが、圧倒的な高出力のエンジンには歯が立たないようなもの。組織的チーム力では戦えても、個人の総合力ではまだまだ敵わない。


【理由その3:「フェアープレイ精神」の日本、「勝ちが全て」の世界の価値観】
サッカーは成り立ちからそうであるように、謂わば疑似的な「ムラの争い」を象徴している。戦争と言う言葉はスポーツに適切ではないが、サッカーは特に人間の本能に埋め込まれた集団間の争いを表象する要素がある。国と国の代表チームが戦うとなれば、観客は選ばれた自国の戦士の応援団となり、自然とナショナリズムが高揚する。こうした集団の闘争心を掻き立てるスポーツは、サッカーの右に出るものはないだろう。「いい試合をした」と評価されるより、どんな手を使っても勝ちにこだわる姿勢が支持される。ブラジルの花形ネイマールが転ばされて、大げさに痛がり、PKを執拗に要求する姿が見られた。ブラジル国内ではそっそく子供達が英雄の真似をしている姿がTVで流されていた。スポーツマン精神を重視する日本では教育上好ましからざる場面だった。(続く)

2018年7月16日 (月)

酷暑の日本列島、大丈夫か「東京オリンピック」

◆西日本に甚大な被害をもたらし、200人を超える人命を奪った記録的な大豪雨。いまだ6000人余の人達が避難生活を送り、関係者やボランティアの必死の復旧作業の中、熱中症で倒れる人も続出していると言う。大雨・洪水の後は、日本中が連日の猛暑で、悲鳴に近い声もあがっている。人の体温を超えるような炎天下の気温は、まさに殺人的だ。

◆連日の猛暑に、日本を訪れた外国人観光客は経験したこともないあまりの暑さにダウン寸前。少しでも涼しいところを求めてさまよっている。彼らは日本の夏の暑さが半端でないことを実感したようだ。

◆2年後の2020年、7月24日から8月9日にかけて、東京オリンピックが開催される。また、8月25日から9月6日にかけてはパラリンピックも開かれる。自然現象であるから予断はできないが、開催中の気温は最低でもこの夏の気温と同程度と想定した上での計画でなければならない。

◆水泳競技、ヨット・ボート・カヌー等の水上競技、冷房が効く屋内競技は問題ないだろうが、マラソン、競歩、サッカーなど屋外の長時間競技は厳重な暑さ対策が求められる。選手への対策と同等以上に観客への暑さ対策も重要だ。競技中に死者が出たなんてことになったら、大会運営当事者だけでなく、日本全体が批判にさらされる。それ以上に何故こんな時期にオリンピックの開催を決めたのか、根本的な問題が問われるだろう。

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2018年7月 3日 (火)

潜伏キリシタン世界遺産登録を祝す

ユネスコの世界遺産登録委員会は6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産に登録すると発表した。長年の苦労が報われたことをまず喜びたい。長崎では数年前からこの運動を始めていたが、そのことを全面支持する旨、本ブログで書いたことがある。長崎・天草地方には、約250年に亘る隠れキリシタンの歴史があり、平戸島、五島列島、西彼杵半島、また熊本県天草諸島の集落に、子孫らが守ってきた文化や教会群が散在する。これらを世界遺産に登録しようと2016年に一度申請したものの、諮問機関の指摘でいったん取り下げた。
     ◇       ◇       ◇
何故だろうか。問題はコンセプトの捉え方にあった。当初は、小さな集落にある素朴な教会建築の文化的価値を中心に登録申請したものの、今ある教会群は、当然ながら禁教期間の250年間、一度も現存したものではない。明治以降に禁教が解かれたあと、集落の信徒らの献身的な努力で建築されたもので、長くても150年ほどのもの。建築物それ自体に大きな文化的価値があるとは認められなかった。要は物理的建築物よりも、潜伏期間の歴史に焦点を当てたものに改めるべきとの指摘がなされた。
     ◇       ◇       ◇
1614年、全国にキリスト教禁教令が発令、1637年、「島原・天草の乱」(原城跡の史跡)のあと、キリシタンたちは長崎・五島・天草の目立たぬ海岸集落に散って、既存の宗教や社会と共生しながら秘かに信仰を続けた歴史があった。そして、幕末の1865年(慶応元年)、長崎の外国人居留地のフランス人らによって大浦天主堂が建築された。それを機に浦上村の潜伏キリシタン14、5名が命懸けで名乗り出て、信仰を告白した。弾圧に耐えながら250年、信仰を貫き通した事実は「宗教史上の奇跡」として世界に驚きを与えた。こうした歴史的、文化的、宗教上の価値を構成する12の資産をもとに再度申請して、登録されたものだった。登録を審査するユネスコ委員の中には「類まれな資産だ」、「登録に値する」などと称賛が相次いだと言う。
     ◇       ◇        ◇
今まで、平戸、島原、西彼、五島、天草などを訪れる機会が何度かあったが、これらの遺産群に直接お目にかかったことは少ない。五島の福江島ではいくつかの趣きのある教会に立ち寄ったが、残念ながらこの中からは登録遺産に選定されたものはなかった。ただ、長崎市内で育ったこともあり、大浦天主堂は何度も訪れている。一昨年、娘家族との長崎旅行の際の大浦天主堂の感想一番、「入館料が高いばかりで、中身は詰まらない」。
何でもそうだが、こうした歴史建造物などは見る人に下地があるかないかによって、評価に天地の差が出る。先日NHKで国宝「大浦天主堂」の歴史的建造物の意義、建築に関わる秘話、ステンドグラスが醸す光の芸術等々、深く掘り下げた番組を放送していた。こうした情報を得た上で、実物に触れるならば、大きく評価が変わったものと思われる。


Photo 大浦天主堂

2018年6月23日 (土)

国歌「君が代」に思う

サッカー・ワールドカップ ロシア大会。初戦の強豪コロンビアに快勝したことで、日本中が盛り上がっている。次のセネガル、ポーランド戦の健闘が期待されるところだが、スポーツの国際大会ほど、国がひとつになるということを実感させられることはない。特に国旗掲揚国歌演奏では、どこの国民であっても、誰しもが自国への愛着を感じる瞬間だろう。「日の丸」の掲揚、「君が代」の演奏は、学校行事で敢えて反抗する教師だろうが、憲法改正反対を唱える野党であろうが、考え方の右・左に拘らず、こうした国際スポーツ大会にあっては、国への愛着心が自然発生的に芽生え、「日の丸」の掲揚と「君が代」の演奏が自然に受け入れられている証ではないだろうか。
       ◇         ◇        ◇
国歌「君が代」の誕生の経緯については様々言われているが、明治期早々、日本が海外諸国との交流に当たって、外交儀礼の場で国歌が必要であることを知るようになる。当時、日本には国歌という概念自体がなかった。このままでは文明国扱いされないので、急遽作ることに相成った。いい歌詞はないかと既成のものを探したところ、『古今和歌集』の詠み人知らずの短歌「君が代」が選ばれた。
       ◇         ◇        ◇
当初は「我が君は」で始まったが、平安時代末期に「君が代は」に言い換えられたと言われる。歌詞の内容は、「君」というのは天皇だけでなく、将軍という意味や、目の前の「あなた」という意味でも1000年ぐらいの間に使われ、その人が「千代に八千代に」健康で長寿であるようにとの祝いの歌として使われてきた。江戸時代にはポピュラーソングだったという歴史さえあったという。英国はじめ多くの君主国は、「国王万歳」という国歌を作っている。「君」を天皇ととらえれば、これはちょうどいいとなったようだ。
       ◇         ◇        ◇
作曲は国歌の制定を進言した英国人軍楽隊長フェントンが当たったが、讃美歌調のため不評だった。そこで宮内省の奥好義が付けた旋律に、雅楽奏者の林廣守が曲を起し、ドイツの海軍軍楽教師エッケルトが五線譜に直して、西洋和声をつけて編曲、1880年に「君が代」が完成した。この「君が代」は子供の頃は歌いにくく、古臭くて好きではなかった。しかし齢を重ねるに従い、その良さが分かってきた。この歌には1500年近い日本の歴史と伝統を感じさせ、庶民にも愛されてきた歌であり、重厚・荘厳な曲調であり、また明治期の国際化の中で外国人も一翼を担って誕生したという背景を併せ持つ。
国際スポーツ大会において、選手たちには「気を引き締め、奮い立たせる」歌であり、サポーターには「選手たちと心をひとつにさせてくれる」歌でもある。まさに日本の国歌として最高・最適な国歌ではなかろうか。


       「君が代」        歌詞:古今和歌集「詠み人知らず」
                      作曲:林 廣守
 
       
君が代は  千代に八千代に  さざれ石の 
                巌となりて    苔のむすまで

        


    

2018年6月18日 (月)

江戸の敵を長崎で討つ

「江戸の敵を長崎討つ」という慣用句がある。偶然予想もしなかったような場所で、積年の恨みをはらす、の意味で使われていたようだが、今日ではこの慣用句自体廃れてきた感がある。しかし、この慣用句は間違って伝わったもので、もともとは「江戸の敵を長崎討つ」というのが正しいのだそうだ。
 ものの本によれば、江戸時代、文政年間に大阪の一田七正郎という職人が巨大な涅槃像を竹細工で作り、浅草で展示に供した。これが大好評を博したが、江戸の職人たちにとっては面白くない。江戸っ子気質で負けてはならじと、布袋の像を作って対抗したが、にわか作りのこととて、大阪陣に完敗を喫してしまった。
 ところがちょうど同じころ、江戸で、長崎からきた興行師がオランダ船の見世物を打った。あちこちが機械仕掛けで動くカラクリ使用の模型船で、大砲の轟音までおまけについていた。人気は非常に高く、先の大阪の竹細工は大きく水をあけられた。
そこで、「江戸の敵を長崎が討った」と言われ始め、いつの間にか由来が忘れられて、「長崎」が、「長崎」に変わっていったのだという。

~で」は場所を表し、「~が」は主語を表す。大きく意味は異なるが、「北朝鮮が非核化を目指す」が、いつの間にか「朝鮮半島の非核化に」変わってしまった。主語と場所が曖昧になると、こういうぼやけた表現になるという典型例ではなかろうか。

2018年6月15日 (金)

「女」の付く字を分析すれば

漢字に纏わる面白い記述を見つけた。
」という字はもともと、左右の手を重ねて、科(しな)を作り、ひざまづいている女性のさまをかたどった象形文字が原点となっている。
その「女」を部首にした漢字には、(若い女の美しさ、好ましい、好む、よい)、(アイ、目元が美しい、美人)、(ケン、うつくしい、見目がよい)、(キ、ひめ)、(ミョウ、たえなる、しなやか)、(シャク、麗しい)、(キョウ、なまめかしい)など、さすが女性の美しさをもとにして作られた字が多い。

だが、そうでない漢字も少なくなく、だれが考えたのか、その字源のナゾを解けば、女性からおしかりを受けそうなコジツケがあると言うのだ。

としてもっともいときが「」時代、(たそがれ)ないうちに挙げるのが結式。新郎に抱かれて寝に横たわると夫婦生活が「」まる。夫に体をせて身をわせると「妊娠」する。亭主の鼻につくようになると、女編に鼻と書いて「かかあ」と呼ばれる。息子が色気づいてばかり目が向くと、勉強の「げ」になると教育ママがる。夫の浮気を嗅ぎだしてはのようになって「(や)」き、相手の女が(にくい)と、ヒステリックに「(ねた)」む。この現象を嫉妬と呼ぶ。着飾ってクラス会とやらに出かければ、女三人寄って「(かしま)しい。若い男に言い寄られると、柳を描いて「(こび)」を売る。
そろそろ我が家でも「」をって孫の顔でも見たいと息子に「(めと)」らせる。女も長い間やっているとくなり、「」(しゅうとめ)と言われて煙たがれる。肌もうって「」となり、頭にをいただいて「(やもめ)」となる。最後はいて「(うば)」となって女の一生は終わる。

2018年6月 9日 (土)

「飛んで火にいる夏の虫」の話

「飛んで火にいる夏の虫」という諺がある。夏の夜、灯火を目がけて飛んでくる羽虫がその火に焼かれて死んでしまうことから、一般的には、自分から進んで身を投じることの例えに使われる。 「今敵陣に乗り込めば、それこそ飛んで火にいる夏の虫だ」というような使われ方をする。昆虫が光に向かって飛ぶ習性を利用して、害虫を駆除する誘蛾灯などに使われる。昆虫はその波長の光に最もよく感応することから、進んで飛び込んでいるように見えるが、ある昆虫学者の研究によると、光が好きで遠くから光を目がけて飛んでくるのではなくて、飛び立った空間を漂流しているうちに、光の刺激によって、嫌でもその光源に飛び込まされてしまうと言うのだ。
           ◇             ◇           ◇
つまり、昆虫が能動的に「光」に飛び込むのではなく、受動的に「光」に飛び込まされてしまうと言う説だが、虫などは心理活動を持たないから、光や熱などの自然界の要因から直接の刺激を受けて行動を変えさせられる。人間はそれらを克服しようとする意志を働かせるから、虫とは違う。我々の周りは刺激の源だらけだ。それを避けようとして余計に緊張を高めることがある。普通に打てば何のこともないのに、ハエを意識するあまり、強く叩いて結局打ち損じてしまうことがある。よくスポーツ選手で、練習では妙技を見せるのに、本番になると力を発揮できず負けてしまうケースが間々ある。これも心理的刺激を強く受けすぎるがための影響だろう。
           ◇             ◇           ◇
「失敗はすまい。あれだけは避けよう」と思い詰めていると、そういう感覚自体が刺激源となって、失敗の道に引き込まれてしまいがちになる。今年の読売ジャイアンツは昨年同様、心理的刺激を強く受け過ぎ、失敗の道に引き込まれてしまった感がある。セ・パ交流戦に入って、ついに最下位に転落してしまった。
巨人は他球団以上に観客が多く、いつも満席状態の中で、プレッシャーが強く働く。「失敗はしまい。いいところを見せよう」といった心理的刺激を自ら働かせ過ぎて、結局失敗の泥沼に陥ってしまっている。巨人から転出したDeNAのロペスや日ハムの大田など、水を得た魚のように伸び伸びと活躍している。一方他球団で活躍した外国人選手が巨人に入団した途端、期待外れの成績しか残していない。これらは正にそのことを如実に物語っていると言えよう。今求められるものは、夏の虫になって火に飛び込むことではなく、火を見て楽しむ余裕を持つことだ。

2018年6月 3日 (日)

数詞の三桁区切りと四桁区切り

数のケタ区切りは世界的には三ケタ区切りが一般的だが、本来日本では四ケタ区切りが主流だった。しかし、世界中どこの国を探しても、日本語の数詞ほど整然と首尾一貫して合理的な数詞は存在しない。日本では一、十、百、千、万と整然と位取りが上がる。九十九の上は十が10個で百、百が10個で千、千が10個で万と整然としている。さらに十万、百万、千万、一億、十億、百億、千億、一兆・・・と4桁ごとに位取りが上がるという整然とした理論で成り立っている。
             ◇       ◇       ◇
即ち、10の1乗=10、10の2乗=100、10の3乗=1000で、1にゼロが4個で1万(10の4乗)、ゼロが8個で1億(10の8乗・・1万の1万倍)、ゼロが12個で1兆(10の12乗・・1億の1万倍)、ゼロが16個で1京(10の16乗・・1億の1億倍)、というようにゼロが4個ずつ増えていくに従い、桁の呼びかたが変わっていく。因みに10の68乗が無量という呼び方になるが、まさに天文的数字が続くことになる。ゼロの数が多くなると(数字が多くなればなるほど)読み取りにくくなる。日本本来の数字の桁取りは4桁区切りだった。
例えば1(兆),2345(億),6789(万),0123などと4桁区切りで表示すれば、大変読みやすい。これを1,234,567,890,123と3桁区切りの表示にすれば、読み辛いこと甚だしい。

             ◇       ◇       ◇
英語の場合、基数は 1(one)~10(ten)・・だが、日本式ルールに従えば11=ten-one、12=ten-two、13=ten-three、・・、19=ten-nine、20=two-tensとなるはずだ。ところが実際は、11=Eleven、12=Twelve、13=Thirteen、・・、19=Nineteen、20=Twentyとなる。21以上になると日本式ルールに近くなり、Twenty one、22=twenty two、23=Twenty threeとなる。
11=Eleven、12=Twelveは序数(物の順序を表現する言い方で、英語の"first","second",
"third"はそれぞれ「1」「2」「3」の序数)から来ているもので、基数と序数の混在がやや複雑化させている要因だ。1000=1 thousand (10の3乗)、百万=1million (10の6乗)、10億=1billion (10の9乗)と3桁ごとに位が上がっていく。即ち西欧式は3桁区切りであり、西洋式読み方にマッチしたもの。これを日本式に読むと大変読み辛い表記方法となる。

             ◇       ◇       ◇
しかし、近年は役所やビジネスの文書でも、マスコミや学校教育でも西欧方式の3桁区切りが浸透、日本本来のソロバンでさえ3桁区切りの仕様となった。本来優れた日本式数字の表記・呼称は今や西欧式のそれに駆逐され、3桁区切りがグローバル・スタンダードとなってしまった。PCまでに組み込まれてしまい、もはや4桁区切りに戻すことは不可能だ。しかし、このことは現在日本社会においても、相通じるものがあるように思える。日本は優れた技術や業績を残すことはあっても、それが世界的標準になることは少ない。何か特別な問題を抱えているのだろうか。

2018年5月27日 (日)

続・名字の話 (珍名・奇名篇)

名字のことを調べてみると、難読名字、洒落の利いた名字、成り立ちが気になる名字、中には珍名・奇名など、千差万別であるところが面白い。

手始めに数字に関わる名字から
四月一日 (わたぬき)  ・八月一日(ほづみ・ほうづみ) ・五百旗頭 (いおきべ)
一寸木 (ちょっき) ・四十物 (あいもの・よそもの)  ・四十住 (あいずみ)
五十里 (いかり) ・一青 (ひとと、しとと、しともと--女性歌手がいたね)
 (いちじく)--頓智だね。  ・一口 と書いて(いもあらい)--何でだろう。
一番合戦 (いちまかせ) ・四十万 (しじま) ・七五三 (しめ)
四十八願 (よいなら・よそなら) ・廿 (つづら・はたち) ・百目鬼 (どうめき)
百目木 (どめき・どうめき) ・八十一隣 (くくり)--9×9=81だから?
・「」と書いて、(いちたらず)、百に一足りないからか、(つくも)とも。99だから?


季節・天候・風流などに関わる名字
明保能 (あけぼの) ・月見里(やまなし) ・雲母(きらら) ・天生目(なばため)
月日 (おちふり)  ・日日(ひび) ・年年(ねんねん) ・明日(ぬくい あけひ)
栗花落 (つゆ、つゆり)--栗の花が落ちる頃、梅雨入りの季節だそうで。
水流 (つる、みながれ、みずなが) ・行方 (なめかた) ・小鳥遊 (たかなし)


知り合いにいた名前です。
我那覇 (がなは) ・喜舎場 (きしゃば) ・行天 (ぎょうてん)
・瀬〆  (せしめ)  ・青天目(なばため) ・横目 (よこめ)


その他気になる名前
 (そよぎ)  ・王来王家 (おくおか)  ・先生(せんぷ、 せんじょう)
鷹左右 (たかそう) ・ (もぎき、えだなし) ・忽滑谷(ぬかりや そかつや)


めでたいけど、名前がプレッシャーに?
恋仲  ・幸運  ・宝船(ほうせん) ・国宝 ・極楽  ・寿 ・極意 ・天命


こういう名前の家に生まれたら悲劇?
名無し (ななし) ・住所 (じゅうしょ) ・珍名(ちんな) ・南蛇井(なんじゃい)
浮気 (うき、ふけ) ・金玉 (きんぎょく)  ・女陰 (めかげ)
色摩 (しかま、しきま、いろま)  ・助平 (すけへい)
三分一所 (サブイッショ)--北海道出身か?
いやはや、日本にはいろんな名前があるものですな。

2018年5月19日 (土)

名字の話

NHKのレギュラー番組「日本人のおなまえっ!」を時々見ている。最近はテーマが枯渇したのか、蕎麦屋さんには、なぜ「~~庵」という名前が多いのか、とかラーメン屋にはなぜ、「来々軒」という名前が多いのか、といった名字以外の謂われなどについても取り上げている。それはそれで雑学的知識としては面白いのだが、12万もあるといわれる日本人の名字を全部紹介する訳にもいかず、過去に放送したように、名字の多さベストテンとか、成立の謂われ、レア名字、読み方困難名字など、ある程度絞って、「へーなるほど、そうだったのか」と興味を持たれるようなテーマでなくては長続きしないだろうし、それにも限界があるだろうと思っていた。
                ◇          ◇           ◇
以前、家紋・姓氏・地名研究家の丹羽基二氏が著した「日本の苗字」に接したことがある。著者によると、日本には約12万語の苗字があるという。こんなに多い国は世界にはない。なぜこんなに多くなったのか。その理由を著者の丹羽氏が挙げた。
①日本には苗字に関するタブーがないこと。
②漢字を組み合わせれば無限に造成できること。
③明治8年以降、だれでも苗字を名乗らなければならなくなったこと。
などを挙げる。③に関しては勝手に珍姓をつける者が現れ、例えば「天皇陛下」と付けたものが現れたりした。役場の方では、さすがにこれは止めさせたが、それなら「陛下」ならいいだろうと主張するので、村長が間に入って「陛上」で落着。この姓は「はしがみ」と読んだとある。

        ◇          ◇           ◇ 
日本の苗字」によると、古くからの文献をもとに統計をとってみたら、8割以上が地名からきていることが明確になった。残り2割は、役職、職業、建造、用具、動植物、種々な曰く、略称などによるものだったという。また、漢字の当て字が多いことが様々に変化する要因にもなっている。「窪田」などは「くぼ地の田」から起こった地名だが、「久保田」などの瑞祥名に変化するといったケースだ。丹羽氏は「日本の苗字」を編集して分かったことをいくつか列挙した。
①約100の姓で姓全体の37%を占め、約5000の姓で92%に達する。
②同音異字の姓は一つの発音に対し約二通りある。
③ほぼ300の漢字で姓全体の90%を書き表せる。

④姓に用いられる漢字は約3500字である。
         ◇          ◇           ◇
ところで、上記の文章の中にも、ミョージは「名字」とも「苗字」とも書き表される。どう違うのだろうか。広辞苑によると一般的には「名字」が正当で、「名字帯刀」などと使われる。もともと「名字」は代々伝わるその家の名。姓。家名。古代では氏の名、氏と姓(かばね)とを合わせた名とある。では「苗字」とは何か。もともと「苗裔」(ビョウエイ)からきた言葉で、末裔などと同様に、末の血筋、遠い血統の子孫などの意味。現在では「名字」と全く同じ意味で使われているが、常用外の用法であるという。

«誰も見ていない、誰も聞いていない大相撲放送の話