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2017年4月22日 (土)

領海、接続水域、排他的経済水域について

中国船の尖閣諸島への領海侵犯、北朝鮮の我が国の排他的経済水域へのミサイル発射実験など、我が国の海域への一方的な侵犯が多発して、緊張感が高まるばかり。そもそも領海とは何か、接続水域排他的経済水域(EEZ)とは何か?今一度おさらいしたい。

【国連海洋法条約】は、海洋法に関する包括的・一般的な秩序の確立を目指して1982年4月に第3次国連海洋法会議にて採択され、1994年11月に発効した条約だ。17部320条の本文と9つの附属書で構成されている。2013年4月現在、165の国・地域と欧州連合が批准しているが、アメリカ、トルコ、ペルー、ベネズエラは火締結国となっているという。

【領 海】とは沿岸から12海里約22km)までの海域のこと。領土や領空のように沿岸国の主権が及ぶ。自国の内水域に対して国家は領土と同程度に排他的な権利を行使することができると決められている。因みに1海里とは1緯度の60分の1(1852m)のことで、1756年に決められた。

【接続水域】は領海の外側にあり、基線(沿岸)から24海里の範囲で、沿岸国が設定する水域のこと。接続水域は領海の外側12海里までの海域を指し、沿岸国が通関や出入国管理、衛生上の規制への違反を防止するために規制権を行使できる。


【排他的経済水域】EEZ(Exclusive Economic Zone)とも言われる。この制度は新たに創設されたもので、沿岸国は自国の領海に接続する水域で、領海基線から200海里約370km)までの水域を排他的経済水域として宣言することができるというもの。この制度は天然資源の探査、開発、保存、管理などと言った経済的目的にのみ限定された権利のことであり、主権的権利を有するが主権そのものではない。そのため排他的経済水域における沿岸国の「排他性」は、極めて制限されたものと言える。条約に定められた目的以外のための利用に関しては基本的に公開としての地位を有し、外国船舶や外国航空機は他国の排他的経済水域において、沿岸国の主権的権利を侵害しない限り、航行・上空飛行の自由を有する。沿岸国には自国の排他的経済水域における生物資源の保存・最適利用促進の義務が課せられ、その水域における漁獲可能量と自国の漁獲能力を決定した上余剰分については他国に漁獲を認めなけらばならないとされる。

【島の定義】水に囲まれていて高潮時にも水面上にある自然に形成された陸地を島と定義する。島にも独自に領海、接続水域、EEZ、大陸棚が認められるとされた。この条約では人工島は島としての地位を有さないとしている。(以上はウィキペディア参照)

◆さて問題はこれから。中国が尖閣諸島で公船、漁船、偽装漁船、時に艦船を派遣し、日本のEEZはおろか領海侵犯を繰り返している。日本が物理的・経済的に実効支配しているとは言えない状況下にあって、中国は尖閣の領有を主張している手前、日本より早く実効支配を得るための戦略的行動である。日本は防戦を強いられるのではなく、海保の庇護のもと漁業の展開、海底資源の探査、島の生物資源の調査保存など、条約で認められていることを粛々と実行して、実効支配を高めていくしかない。もちろんその前提として国際世論を味方につけておくことが求められる。北朝鮮のミサイル発射に関しては、ことが複雑で、簡単にはいかないので、別途ブログにUPしたい。

2017年4月19日 (水)

「教育勅語」と「十七条の憲法」

◆森友学園問題に端を発した「教育勅語」が俄然注目を集めるようになった。私の友人で明治神宮まで出かけ、ペーパーをもらってきた人がいる。その印刷物には、「教育勅語原文」及び「口語文訳」、発布の意図を分かりやすく説明した「明治天皇と教育勅語」、そして勅語の要点を記した「教育勅語の十二徳」がA4一枚に収められている。

◆「十二徳目」のうち前半の6項目は、個人として立派な人格、平和な家庭、道義的な良い社会づくりを目指すものであり、後半の6項目では勉学、人格向上、社会貢献、遵法・秩序など教育の向上を指針としている。「教育勅語」と呼んでも、明治天皇に限らず、いつの世でも目指す指針は不変のものと思われる。
但し、最も問題視されているのが最後に謳われた「義勇」即ち、原文では「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と述べられている点だろう。口語訳では「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と書かれている。これとて普通に考えれば、自国が他国から攻められようとすれば、愛国心があれば祖国を守ろうとする気持ちを持つのは自然の成り行きと言える。


◆問題なのは、かつての日本軍は軍国主義を推し進めるために、この規定を拡大解釈して、「教育勅語」そのものを国が求める人材の在り様に利用したことにある。御上からの押し付けが結局この国の歴史に大きな過ちを残した。戦後昭和23年、国会で勅語の排除と失効が決議されたことで決着しているはずだ。
ところがこの葬られたはずの「教育勅語」が忘れた頃に頭をもたげてくる。その要因は現代社会における道徳心の欠如、社会秩序の乱れ、倫理観の喪失などと裏腹の関係にあると言っても過言ではない。「戦後の道徳教育がないがしろにされてきた結果の顕れである」とはよく聞く話である。


◆明治天皇を1400年ほど遡った祖先の一人、聖徳太子が604年に「十七条の憲法」を定めた。現代語訳を読んでみたが、これは法典というより道徳律であり、当時の朝廷に仕える諸氏族、役人に対して、守るべき態度・行動規範を示した服務規定ともいうべきものである。これが現代でも政治家・役人・勤め人等にそのまま当てはめられるのではないかと思われる。「教育勅語」のように子供たちに直接押し付けるのではなく、まず教える側の教師や教育者に対して、「十七条の憲法」を参考にした「期待される教師像」を明文化してみてはどうだろうか。子供は後姿を見て育つものだ。

 閑話休題:新解釈笑辞典
  ・「教育勅語」・・子供達には暗唱を強要しながら、それを指導した教育者は
   真逆なことをして、国会で糾弾されたり、破産することを指す。 

2017年4月17日 (月)

「小田原~熱海」人車鉄道と軽便鉄道の話(2)

小田原熱海間に、軽便鉄道の敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった」で始まる芥川龍之介の短編小説『トロッコ』。モノの本によれば、神奈川県湯河原出身の力石平三が26歳の時に上京して、ある雑誌社に務め、芥川の弟子となって小説のもとになる材料を提供した。小田原~熱海間にそれまでの人車鉄道に代わって軽便鉄道が開業したのは明治40年12月のこと。主人公と思える力石少年が、切り替えのための土木工事を興味深く見物して体験したことを回想手記にまとめ、芥川がそれをもとに大正11年、30歳の時に短編小説に仕上げたものだと言われている。

300pxatami_railway_in_taisho_era(写真は熱海軽便鉄道、ウィキペディアより)

◆自分も長崎の少年時代にトロッコを利用した道路工事現場で似たような経験をしたので、良平少年の気持ちが手にとるように分かる。以前は芥川の実体験から書かれたものとばかり思っていたが、東京生まれで都会しか知らない芥川が、材料だけをもとに見たこともない農村生活や少年の経験、心理を生き生きと描写しているのはやはり天才としか言いようがない。小説では具体的に工事現場はどの辺で、どこまで行ったのかは記せられていないが、風景描写や諸状況から独断すると、湯河原町の東のはずれ辺りから小田原方面へ向かって真鶴町を越え、ひょっとしたら今の小田原市の西端、江之浦や根府川近くまで行って、夕闇迫るトロッコ道を一人涙を堪えながら、走って引き返したものと思われる。


軽便鉄道といえば、夏目漱石の「坊ちゃん」を思い出す。漱石が四国・松山に赴任し、軽便鉄道に乗って温泉に通ったのが、明治28年(1895)。 小田原と熱海間の軽便鉄道の開通が明治40年(1907)だから、12年前のことだった。松山軽便鉄道は距離も短く、平坦な場所だったため建設も比較的に楽だったのだろう。その点小田原~熱海間軽便鉄道は距離も長く、地形的にも難工事だったことは想像に難くない

◆まず、線路幅を61cmから76.2cmへ拡幅。勾配個所は極力減らし、カーブを緩めるための土木工事が必要だった。その時排出された大量の土砂を運ぶのが、少年が見た「トロッコ」だった。全線の距離は小田原・早川口~熱海間で25.3km、駅数14、所要時間2時間15分だったというから人車鉄道に比べ、早くなったとは言え、半分程度の短縮に過ぎなかった。その後会社の所有者や形態の変遷を経て、大正13年(1924)に廃止。1922年には国に移管され熱海線となって本格的なSLが運転された。(軌間は標準の106.7cm) 1934年に丹奈トンネルが開通すると同時に熱海線は東海道線に改められた。

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(写真は1907年、軽便鉄道に切り替えの際に導入された7号蒸気機関車。熱海駅前に展示されている。ウィキペディアより)


【軽便鉄道余話】

・営業当初は蒸気機関車煙臭さや夏の時期の暑さが不評を買った。またSL特有の煤煙に辟易した沿線住民が列車を襲撃する襲撃する時間も発生したという。
・漱石の弟子内田百閒が、湯河原町滞在していた夏目漱石を訪ねた際、軽便鉄道に乗車した。客車は小さくて中腰でないと立っていられず、のろくて勾配区間では逆行しそうになり、線路上の落ち葉でも機関車が滑るため、機関士がいちいち降りてどけていたと書き残している。

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写真左は根府川駅近くの新白糸橋の上を走るJR東海道線。鉄橋の下を国道135号線が走っている。それと並行して手前に新幹線が走っている(写真右側)。
撮影場所は県道740号線、100mほどの間に四つのルートが走る。(終わり)

2017年4月15日 (土)

「小田原~熱海」人車鉄道と軽便鉄道の話(1)

◆小田原~湯河原~熱海間は今でこそ新幹線、JR東海道線、国道135号線と付随する有料道路、県道740号線(旧道)など複数の交通手段があるが、江戸時代から明治初期にかけては交通の難所だった。今でも急峻な海岸線を見れば一目瞭然だ。明治21年(1888)に小田原馬車鉄道が国府津~箱根湯本間に開業したが、熱海方面に行くためには小田原で駕籠か人力車に乗り換えて、悪路を走るしかなく大変不便だった。因みに明治22年にはこの難所を避ける形で(御殿場回り)、東京~神戸間を走る東海道鉄道が開通している。

◆熱海の人達は箱根に対抗して、客の呼び込みを図るため、鉄道の早期開通を希求した。しかし、資金難と難工事のため取りあえず生まれたのが、世にも奇妙な豆相人車鉄道だった。この鉄道は、明治29年(1896)3月、熱海~小田原間で全線開通した。それまでは海岸線や狭い崖渕の道を駕籠か馬か人力車で通るしかなかった。この鉄道はトロッコ方式の車両を車夫が人力で押して走らせるもので、明治40年に軽便鉄道が開業するまで約10年余りの間、交通の主役として活躍した。正確なルートは定かではないが、大半は山よりの旧道(現県道740号線)と海よりの国道135号線を重なりながら南下していった。地形的にも曲がりくねった勾配の厳しい道で、下り坂では足踏み式のブレーキで速度を調整しながら、線路幅61cmの狭い軌道を走るため、スリル満点の乗り心地だったという。

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 ウィキペデアより                            根府川のモニュメント

◆この人車鉄道は1両が最大6人乗り、2~3人の車夫が押し、全長25.6kmを約4時間かけて走った。最大6車両が一組となって、1日6往復のダイヤが組まれ、上等・中等・下等の車両ランクがあって、運賃もかなり高額だった。従って地元住民が気軽に利用できるような交通機関ではなく、乗客は湯河原・熱海への湯治客や観光客が殆どだった。また乗客は登り勾配区間では下車させられたり、客車の後押しを手伝わされたりしたというから滑稽な乗り物として紹介されることも多かったという。

◆この人車鉄道の車両を自費で復元した人がいる。小田原市根府川の山の中腹にある「離れのやど 星ケ山」の代表内田昭光さんで、内田さんは残された写真を元に、設計図を描き起こし、2009年に車両を復元させた。内田さんの話によると、重さは150kg、平地なら大人一人でも簡単に押すことができるそうだ。もともと地元のミカン栽培を生業にしており、祖父の代にはその畑の中を人車鉄道が走っていたという話を聞いたことが、復元の切っ掛けだったという。
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「離れのやど星ケ山」敷地内にある復元された人力車両。片側真ん中に乗降口があり、4人、2人の対面乗車方式。これは上等タイプで、幌屋根式やガラス窓無しタイプなどいくつかのパターンがあった。

◆国木田独歩もこの人車鉄道に乗ったことがあり、その時の体験談をもとに短編「湯河原より」を書いている。また、知人に「実に乙なものであり、変なものである」という感想を記した書簡を送っている。今や小田原~熱海間はJR東海道線で約25分、新幹線では約9分。およそ120年ほど前に、西欧技術の粋であるSLが全国的に普及し始めた頃、独自の工夫で編み出した日本的な人車鉄道。牧歌的な中にも、将来への技術の発展を予想させる「芽」が見て取れる。(続く)

2017年4月11日 (火)

桜は満開になったが・・

小田原でも桜の満開は例年になく遅く、8~9日(土・日)頃満開になったようだが、
気持ちは少しも弾まない。
それもそのはず、ここ1週間ほど雨、曇り、小雨の繰り返しで、まさに
菜種梅雨と呼ぶにふさわしい春雨前線にスッポリはまってしまったようだ。
今日も朝から小雨が降り続き、冷え冷えとしている。

桜はスカッとした青空を背景にしてこそ、その美しさを100%発揮する。
今年の桜は週末までもってくれるのか、それとも散ってしまうのか。
ちょうど今のような時期の桜の哀れを詠んだ和歌を見つけた。


 花は散り その色となく ながむれば
          むなしき空に  春雨ぞ降る


                        (式子内親王 『新古今和歌集』)


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    (2014年 小田原城桜)

 

2017年4月 5日 (水)

桜はまだかいな

4月も5日を過ぎたというのに、ここ小田原の桜はやっと二分咲きか三分咲き。
東京では満開というのに、どうしたことだろうか。
例年、東京とほぼ同時期に満開を迎えていたはずだが、
今年はふざけ過ぎた冬の後で、当てが狂ってしまったのか。

歌心はないが、昔から桜を詠んだ歌は数が多い。すぐいくつか思い浮かぶ。
満開を歌ったものより、散る桜を詠んだものが多いようだが、
桜は散り際がよいということなのか。


・青丹によし 奈良の京は 咲く花の
          にほうがごとく  今さかりなり    小野 老
・いにしえの 奈良の都の 八重桜
          けふ九重に にほひぬるかな    伊勢大輔
・世の中に 絶えて桜の なかりせば
          春の心は  のどけからまし     在原業平
・久方の  光のどけき  春の日に
          しづ心なく  花の散るらむ      紀 友則
・花の色は 移りにけりな  いたづらに
          我が身世にふる ながめせし間に  小野小町
・高砂の 尾上のさくら さきにけり
          とやまの霞  たたずもあらなむ   前中納言匡房
・春風の 花を散らすと 見る夢は
          覚めても胸の さわぐなりけり     西行法師 
・ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の
          花も花なれ 人も人なれ      細川ガラシャ (辞世)
・風さそふ 花よりもなお 我はまた
          春の名残を いかにとやせん    浅野内匠頭 (辞世)
・敷島の 大和心を 人問はば 
          朝日に匂う 山桜花          本居宣長


 春爛漫の花の下  花よりもなお お酒かな     昼提灯

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2017年4月 3日 (月)

天皇陛下の退位問題を考える。

◆昨年8月、天皇陛下が退位を示唆する「お言葉」を発して8か月余が経った。多くの国民は理解を示したものの、国会においては「特例法か、皇室典範の改正か」で与野党が対立し、政争の様相を呈したが、最終的には共産党も含め、正副議長の取りまとめに合意した。天皇制の問題は日本の国の形を表す憲法の第1章に掲げられた最重要事項であり、与野党が一致して合意したことは喜ばしい。ところが自由党(小沢党首)だけは天皇のお言葉を忖度していないとして反対しているらしい。本当にどうしようもない一派ではある。

◆特例法の名称は「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」とし、典範付則に退位の文言を明記。付則に特例法は典範と「一体をなす」との根拠規定を置き、今回が将来の「先例となり得る」とした。政府は5月の大型連休後、特例法案と皇室典範の付則の改正後、皇室経済法など関連法の改正案を国会に提出し、今国会中に成立させたいとしている。

◆さて問題はこれからだ。平成30年(2018年)中に今上天皇が退位され、皇太子が即位されるとすれば、58歳での即位となる。因みに今上天皇は56歳で即位されたので、85歳の退位となり、在位30年となる。現皇太子も30年は在位されると想定すると、2048年に88歳で退位となる。その場合、継承順位の第一は秋篠宮に変わりないとすれば、秋篠宮の天皇即位は83歳となる。高齢での即位となるため、在位期間は短くなるが、90歳で退位されると仮定すれば、2055年に今の悠仁親王が即位されることになる。悠仁親王はその頃50歳になるが、その男子が皇太子として存すれば特に問題は無い。

◆昨日、たまたまTVの番組で-池上彰緊急スペシャル「皇室がわかれば日本がわかる」-を見た。皇室の在り方について、国民一人一人が考える時ではないかと結んでいたように思うが、具体的には男系男子が存在しなくなった場合に備えて、どのように対応するかという問題に置き換えてもよいのではないかと思う。

◆この場合三つの方途が考えられる。
(1)継体天皇の即位に倣って(507年)、歴代の天皇を5代ほど遡り、その子孫を見つけ出す。然しながら今は一般人であり、国民がどう受け止めるかという問題が残る。
(2)女性宮家」の創設を認め、安定的な皇位継承を図る。しかし、これについてもどこまで認めるかの課題がある。おそらく天皇直系の孫に限定すると現在3名。男系女性の天皇は過去に推古天皇、持統天皇など何人かの例があり、女性天皇を認めるならばこの辺までは異存がなかろう。ところがその女性天皇の男子を天皇として認めるとなれば、1700年以上継続されたとする「万世一系」の系譜が崩れることになる。即ち、その男子の父親は天皇家と異なる一般人となるであろうから、それを国民がどう判断するかにかかっている。
(3)後継者が無くなったことを機に、天皇制を廃止するという意見がある。この場合、国の形が根本的に変わることになり、憲法改正が必至となる。また、2000年近く続いた世界に比類ないレガシーとしての天皇制を2000年後の我々日本人だけの判断で捨て去ってよいのかという問題に関わってくる。いずれにしろ難しい問題だ。

2017年3月30日 (木)

金権主義と恋愛の関係(下) -小説「金色夜叉」に学ぶ-

◆仮に、宮が富山のプロポーズを断り、貫一との結婚を選んでいたら、平凡な恋愛小説に終わっていただろう。しかし、貫一は資産家との結婚を宮の裏切りと見た。当の宮自身もそうした後ろめたさを感じるところもあった。読者にとっても、宮への批判とこの先の展開が気になるところで、作者紅葉の巧妙なストーリーの運びがみてとれる。今の若い娘は、貧乏学生より玉の輿を取るのに何の抵抗があるだろうか。これで逆恨みされるなどあり得ない。しかし、小説はここから、金権主義と恋愛の関係について考えさせるよう、大きく展開していく。

◆「金色夜叉」はセリフの部分を覗いて、華麗な美文調の文語体で書かれている。現在の我々にはやや読み辛いところがあるが、明治の頃の庶民の教養が伺い知れる。しかし、自然主義文学の口語文小説が一般化すると、その美文がかえって古めかしいものと思われ、ストーリーの展開の通俗性ばかりが強調され、日本文学の伝統的技法に寄せた名文(三島由紀夫紀)の部分が真剣に検討されることは少なくなった。

Photo〇さて、宮の熱海行きを聞いて、貫一は宮の本心を確かめるべく熱海へ直行する。そこで見たものは富山と散歩中の宮の姿。富山も宮を追っかけて熱海へ来たのだった。その夜、宮と海岸に出た貫一は宮を詰問する。宮は訳を話し何度も詫びを入れるも、貫一の怒りは収まらず、ついには「操を破った浮気女」と罵倒する。ここで、泣いて許しを請う宮を怒りに震える貫一が蹴り飛ばす有名なシーンが生まれた。

「1月の17日、宮さん、よく覚えてお置き。来年の今月今夜は貫一は何処でこの月を見るのだか!再来年の今月今夜…10年後の今月今夜…一生を通して僕は今月今夜は忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、1月の17日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから、月が…月が…月が…雲ったらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで今夜のように泣いていると思ってくれ」(原文)

貫一にすがりつく宮を突き放し、勢いのまま蹴り倒すと、泣き伏す背中に恨みの言葉を投げかける。「宮、おのれ、おのれ姦婦、やい、貴様のな、心変わりをしたばかりに間寛一の男一匹はな、失望の極発狂して、大事の一生を誤ってしまうのだ。学問も何ももうやめだ。この恨みのために貫一は行きながら悪魔になって、貴様のような畜生の肉を啖ってやる覚悟だ…(原文) 何たる男の未練!か弱い女性相手の悪口雑言!そして女々しい責任転嫁!読んでいる方が恥ずかしくなる。どう読んでもこの部分はいただけない。

◆しかし、何故これが名セリフとなり、名シーンとなるのだろうか。まだ男尊女卑の風潮が残り、女性の心変わりは許されないという時代の背景があったにせよ、決して許されるものではない。実は金権主義の風潮が表面化し、「金がすべての世の中」なりつつある今、作者はそのアンチ・テーゼとして金権主義と恋愛の関係を対比することによって問題点を浮き彫りにしたのではなかろうか。

〇貫一が消息を絶ってから4年。宮は貫一への思いを残したまま結婚生活を続けるが、優しい夫、裕福な暮らしの中でも、夫を心から受け入れることはできなかった。貫一は名うての高利貸しのもとで、夜叉の如く、冷酷非情と言われながら金を追い求め、己の所業の虚しさを嘆いていた。「5年前の宮が恋しい。俺が100万円積んだところで、昔の宮は得られんのだ! 思えば金もつまらん。少ないながらも今の金が熱海に追っていった時の鞄の中に在ったなら…ええ!」  俗っぽい話が、しかし気になる話が延々と続いていく。(終)

2017年3月29日 (水)

金権主義と恋愛の関係(上) -小説「金色夜叉」に学ぶ-

◆熱海の海岸を散歩すると、いやでも貫一・お宮像お宮の松が目に入る。言うまでもなく、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」の有名な一場面をモチーフにしたもの。余談だが、ある学生が「きんいろよるまた」と読んだという笑い話も残っている。
自分はこの像を見るたびに気恥ずかしい思いに捕われる。外国人が見てどう思うだろうか?多くの外国人は「男性が女性を足蹴にしている、何故?」、「なぜこんな銅像が建っているの?」、当然だろう。日本在住54年のC・W・ニコルさん(1995年日本国籍を取得)さえ、「男性が女性を蹴ることは許せない。例え、文学作品の一部だとしても許せない。撤去した方がいい」という意見を伝えている。確かにその通りで、いくら外国人に説明しても理解を得るのは困難だろう。日本人の自分さえ理解できないのだから。


Photo◆では何故、一見野蛮なこのシーンが日本人には受け入れられいるのだろうか。それには原作と時代背景を知る必要がある。この作品は1897年(明治30)1月に読売新聞に連載され、1年で一旦終了するが、読者の強い人気と要望もあって、「続編」、「続々編」等が断続的に連載され、1902年5月まで連載された。しかし紅葉の病気もあり、未完のまま終わっている。因みに紅葉は翌1903年に満35歳で没している。

◆時代は明治中期を過ぎ、日清戦争に勝利した日本は資本主義が発達し、鉄鋼・造船・鉱業・銀行などの産業資本が確立、労働組合の結成など近代化に邁進していた。社会的には貴族、上流社会、庶民、書生など様々な階層が混然一体となって前向きに進んでいた時代だった。
一方文学界でも、樋口一葉、泉鏡花、与謝野鉄幹・晶子、国木田独歩など古い日本文化の上に立った新しい風が吹き始めていた。そうした中で尾崎紅葉は「金権主義と恋愛の関係について」をテーマに「金色夜叉」を発表し、大衆の心を捉えた。


〇15歳の時に両親を亡くした間寛一は、彼の父親に恩を感じていた鴫沢隆三夫妻に引き取られ、息子同然の世話を受ける。鴫沢家には一人娘「」がいた。当初夫妻は宮との結婚は考えていなかったが、貫一の素行の正しさ、学問に励む姿勢に惹かれ、次第に宮との結婚を考えるようになった。貫一も宮を愛し、宮もゆくゆくは彼の妻になるものと納得していた。ところがある日、着飾った女性が集まるカルタ会の会場で、英国帰りで銀行家の御曹司富山唯継に見染められ、その後人を介して結婚を申し込まれる。宮は着飾らなくても際立った美貌の持ち主だった。

〇宮は貫一に好意は持っていたものの、一方で高貴な暮らしに憧れ、玉の輿に乗ることを夢見る普通の娘だった。そうした期待を持っていたこともあり、貫一を愛する気持ちを整理できないまま、富山との結婚を決意する。貫一に直接言えない宮は、父の隆三
に伝言を頼み、母と二人で熱海に向かう。隆三にとっても資産家と姻戚を結ぶことは名誉なことであり、貫一に対する後ろめたさもあって、「海外留学も援助するから宮のことは諦めてくれ」と頼む。貫一は大恩人である隆三の頼みには黙って頷くしかなかった。(続く)

2017年3月27日 (月)

自虐史観からの脱出と道徳教育の再興

◆戦後の歴史教育は日本の歴史の負の面ばかり強調して、あまりにも偏った歴史観を国民に植え付けてきたという見方がある。確かに誤った皇国史観や軍国主義が日本を破滅に導いたことは否定できない。そして「自虐史観」と言われる歴史認識が蔓延し、その教育を受けた結果、「自分の国の歴史に誇りを持てない」、「昔の日本は最悪だった」、「日本は反省謝罪を」という意識が根付いた。特に左翼系や進歩的と自称する多くのメディアは、ことある毎に「自虐史観」を働かせてきた。

◆戦後の歴史観を「自虐史観」と呼ぶ人々は「日本の歴史学が戦後民主主義教育によって著しく歪められた」とする。一方でこのような主張は「歴史修正主義」であると、日本の多くの歴史学者や戦勝国であるアメリカの歴史学者なども批判する。「戦勝国」を名乗る中国や韓国からも教科書問題や歴史認識に関して、「歴史を捻じ曲げるもの、反省と謝罪が足りない」と、事ある毎に批判し続け、外交にも利用されている。

◆話は変わるが、「日本の総務副大臣が正式な外交関係のない台湾を公務で訪問し、日本の観光イベントの開幕式典に出席した」というニュースが日本の各メディアから一斉に報じられた。加えて、わざわざ「中国の反発が予想される」と付け加えている。このニュースを報じること自体、何ら問題はないが、わざわざ「日本政府はこんなことをしているんですよ。中国は日本政府を批判しないのですか」と言っているように見えないだろうか。彼らの根底に「自虐史観」が透けて見えるようだ。二つの中国を認めていないからといって、忖度する必要があるだろうか。

◆2014年1月、自民党は運動方針案に「自虐史観に陥ることなく日本の歴史と伝統文化に誇りを持てるよう、教科書の編集・検定・採択で必要措置を講ずる」と明記した。戦後教育を受け始めた我々世代には自由で民主的な教育は当たり前のものであったが、戦前の教育はずいぶん窮屈なものだったと理解できる部分はまだあった。「道徳」の時間は1958年から復活されたが、名ばかりで実態は無かった。戦前の「修身」のイメージもあり、道徳教育そのものが忌避される風潮があって、他教科に比べて軽んじられていたことは否めない。

◆それらの積み重ねが、少年犯罪の増加いじめ問題の頻発などの教育の荒廃を招いたといっても過言ではないだろう。政府は24日、来年度から使用する小学校の道徳高校教科書の検定結果を公表した。特に小学校の道徳は「考え、議論する道徳へ」大きく転換し、教科書の質量増強を図るという。また高校の地理歴史や公民では最新の政治情勢を反映して、領土問題なども正確に記述するとしている。遅きに失した感もあるが、戦後長く続いた自虐史観と中・韓に対する忖度の姿勢から脱して、ようやく左・右に傾かない本当の日本の姿勢が示されるものと期待している。

2017年3月21日 (火)

豊洲移転問題を政争の具にするな

◆築地から豊洲への市場移転問題は都議会の「百条委員会」で4日間計21人の証人喚問をして、一区切りを付けたものの、特に真新しい事実は見られなかった。今後も引き続き事実の解明は必要だろうが、犯人探しもさることながら、肝心なのは今後どうするのかという決断ろう。
考えられる選択肢は小池知事も述べている通り、(1)安全・安心宣言をして、豊洲へ移転する。(2)老朽化した築地市場を建替える。(一部営業を縮小しつつ、10年以上の時間をかけて部分的に順繰りに建築する)の2案しかないと思う。問題なのは豊洲市場の安全性は確認されたとしても、安心かどうかの判断は「都民が下すもの」として小池知事が先延ばしの姿勢を見せていることだ。
特に、この夏の都議選に持ち込み、その判断を都民に問おうとしていることはポピュリズムそのものだ延期は自分の一存で決定し、決断はその責任を都民に丸投げしているように見える。丸投げされた都民も困惑するだろうが、小池新党とも言える「都民ファーストの会」が自民党を悪役に仕立てて、大躍進。まさに移転問題を利用して勢力を伸ばす図式が見えてくる。


◆安全・安心に関する問題は宗教論争に足を突っ込むようなものだ。移転反対派はどんなに汚染対策を施して、科学的に安全な数値が出たとしても、過去にあった汚染土壌の上に建っている限り問題だとする。例え地下水を口にしたり、利用したりするものではないとしても、安全性への疑問は消えないとする観念に凝り固まっているのだろう。そうした心理を利用した一部勢力や政党が存在することも国内各地の紛争の裏で垣間見られる現象だ。

◆ここにきて、築地市場の過去の有害物質による土壌汚染が指摘されている。さらに以前から言われていた耐震強度不足、サビ等で老朽化著しい建築物、開放型市場による鳥・ネズミ等の衛生被害、自動車排気ガスの問題が一段とクローズアップされだした。(なお、国際水準では生鮮市場は外部と遮断される閉鎖型でなければならないとされている)
移転反対派はこれらの指摘があっても「今まで問題がなかったのだから、有害物質が残る豊洲より築地市場のままでよい、問題点は徐々に改修すればよい」とする立場のようだ。


◆小池知事も豊洲市場の安全性に関して「法的に求められていることはカバーしている。世界的にも閉鎖型で温度管理していくことが主流だ。また衛生面で優れていることも否定しない。」と言いつつ、「安心の判断基準」については、「豊洲市場には不信感がある。それを取り除くための材料がまだ欠けている。長年営業してきた築地ブランドという安心感がある」とまさに盲目的な信仰心に支配されているようだ。

◆テレビで築地市場関係者が語っていた。仮に安全宣言して、豊洲に移転したとしても、スーパーで「当店は豊洲市場のものは販売しておりません」とPRされたら、お仕舞だと語っていた。つまり問題なのは風評被害なのだ。
発生から6年経過した現在に於いても、福島原発から避難を余儀なくされた児童たちが避難先で差別を受けたとか、学生が侮辱を受けたという例があった。ここが日本なのかと悲しくなる。韓国・中国ではいまだに東北・関東産のものを放射能汚染の恐れありとかで輸入規制しているという。これと同じことを日本の東京で多くの市民が行っているのだ。風評被害は「作る者」、「流す者」、「被害を受ける者」で構成される。誰もがその構成メンバーになり得るものなのだ。日本人よ。もう少し賢明になろうよ。

2017年3月19日 (日)

博さんが選ぶプロ野球史上最強ベストメンバー

内外ともにいやなニュースばかりで、気が滅入っちゃいそうですが、こういうときはスポーツが一番。WBC小久保JAPANは期待以上に頑張っていますね。下馬評ではイマイチでしたが、いざ本番となると、予選一次リーグ、二次リーグとも無傷の6連勝。全員野球のサムライ魂がヒシヒシと感じられます。

いよいよ敵地アメリカに乗り込んで、最後の決戦。応援に力が入るのは日の丸を背負っているからでしょうか。アメリカも今回ばかりは真剣さが感じられます。国技の野球でありながら、過去一度も優勝していないという屈辱がそうさせるのでしょう。

さて長いプロ野球の歴史の中で、多くの名選手が誕生し、球史に名前を刻んできました。そこで、自身が独断で「史上最強・ベストメンバー」を選んでみました。


 1番 鈴木イチロウ (中堅)     2番  福本 豊  (遊撃)
 3番 王 貞治    (一塁)      4番 長嶋茂雄  (三塁)
 5番 松井秀喜    (右翼)          6番  山本浩二   (左翼)
  7番 高木守道    (二塁)     8番  野村克也  (捕手)
  9番 張本 勲    (指打)


〇先発投手:稲生和久  中継:江夏 豊  抑え:佐々木主浩

どうでしょうか? 他にも 投手なら沢村、金田、野手なら川上、千葉、中西、
豊田、広岡、落合なども選びたいところですが、枠に限りがありますので・・。


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2017年3月12日 (日)

朴槿恵大統領罷免後の韓国社会

◆韓国憲法裁判所による朴槿恵大統領の罷免決定は、罷免を求める世論が7割を超え、弾劾を棄却する選択肢はなかった。韓国の司法は法理や法治主義よりも、国民に寄り添うことが優先される側面がある。日本では「司法といえば純粋な法理に基づいて、最終的な判断を示す組織」と認識されるが、韓国はそうではない。何故なのだろうか。

◆戦後,韓国は軍出身の大統領の下で、人権は踏みにじられ、司法は政治権力の道とされた。国民の間には「司法はその片棒を担いだ」という認識があって、司法に対する不信感は根深いものがあった。1987年の民主化宣言以降(大統領直接選挙制で盧泰愚大統領が誕生)、司法は過去への後ろめたさがあって、信頼を取り戻すべく、国民感情情緒を重視するようになった。国民に寄り添うと言えば聞こえはよいが、それは移ろいやすい国民感情におもねることになり、司法の判断が外交上の諸問題にも影響を及ぼすことが多々見られることとなった。慰安婦像問題などはその典型だろう。
(以上は11日付読売新聞、奥園秀樹静岡県立大准教授の寄稿文を参照)

◆また、11日付産経新聞電子版によると、拓殖大学の呉善花教授は朴槿恵氏を大統領から罷免した韓国社会について「韓国には悪者を完全に潰すという国民性がある。そのような国民感情を前にして憲法裁判所も全員一致で罷免を決定した。今後、韓国の北朝鮮化が進むだろう」と語った。呉氏は次期大統領選では、朴氏弾劾を先導した文在寅氏が当選するとの見方示し、その上で「親北朝鮮の姿勢は隠し、慰安婦や強制連行などで反日を強め、国民の情緒に訴えるだろう」と述べた。

◆続けて韓国の内政が、北朝鮮と同じように社会主義的な政策に傾くと指摘した。呉氏はその理由として「韓国では貧富の格差が拡大し、伝統的な韓国らしさが失われたと考えられている。一方、北朝鮮は民族の主体性を保っているとして親近感を持つ国民は多い」と指摘した。北朝鮮の弾道ミサイル発射や、金正男氏がマレーシアで殺害された事件もあったが、呉氏は「金正恩は、韓国の北朝鮮への接近は後戻りしないと自信を持っているのだろう」と述べた。


◆だが、韓国が北朝鮮に傾くとして、それまで韓国経済が保っているだろうか。日・米あってこその韓国経済だ。財閥の寡占が続くとはいえ、いったん資本主義を経験した韓国経済がその枠組みから離れ、負の遺産の塊といえる北朝鮮経済を支えるだけの力があるだろうか。韓国が大きく左傾化するならば、金正恩体制の食い物されるだろう。「移ろいやすい韓国民の感情はまた大きく右に振れ、かつての体制に戻ろうとするだろう。いずれにしろ朝鮮半島の春は遠いし、慰安婦像、拉致被害者問題は当分の間解決しそうにない。

2017年3月 7日 (火)

金正男殺害事件に思うこと

◆2月13日、マレーシア・クアラルンプール国際空港で起こった金正男と見られる男の殺害事件。20日以上経過しても連日、続報が流されている。事件は当初マレーシア警察の迅速な動きで、インドネシアとベトナム国籍の犯人女性二人が捕まり、早い時期に解明されるものと思われた。ところが事件は思わぬ方向に展開した。北朝鮮の国家ぐるみの捜査妨害、加えてマレーシア当局や韓国への誹謗中傷に終始する。対するマレーシアも北朝鮮へのビザ免除制度を廃止し、北の駐在大使を「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)に認定し、国外退去を命じた。北も当然ながら同様の報復措置を講じたが、今や国交断絶寸前まで差し迫ったようだ。

◆今までのところマレーシア警察当局は、同国在住の北朝鮮工作員と見られる人物を犯人一味として逮捕したが、証拠不十分として釈放。国外退去を命じたが、もう少し調べる方法がなかったのか。外交当局はウィーン条約に則り、毅然たる態度をとっていたが、仮に日本の国際空港で、外国人による他の外国人への同様な殺害事件が起こった場合、かつその裏に微妙な国際門題が見え隠れする事件であった場合に、果たして適正な捜査、適正な判断ができただろうか。というのも、日本はかつて金正男が成田空港に偽造パスポートで入国しようとした際、国際問題化するのを恐れたのか、ただ単に入国拒否、国外退去を命じただけという経緯があるからだ。

◆その際これを奇貨として、拉致被害者と交換するなどの外交交渉を考えなかったのだろうか。今回の金正男殺害事件も、過去のテロ事件と同様、北朝鮮は「金正男ではない、北は犯罪に関わっていない、韓国の陰謀だ、ねつ造だ」と言い張り、絶対に非を認めない。このまま二人の犯人女性をトカゲの尻尾切りに仕立て、ウヤムヤに終わらせたい腹のようだ。一方事件の真相が明確になると困る国、中国の影も見え隠れする。正男氏の身元が明らかにならないよう、息子のマレーシアへの渡航を抑え、このまま闇から闇へと葬って、北朝鮮への影響力を保持したいようだ。

◆いずれにしろ、唯一ビザなし渡航を認めてきたマレーシアという友好国を敵に回し、同じように北朝鮮と国交を結ぶ諸国にも警戒感を与えてしまった。国際的経済制裁でますます追い詰められ、海外に頼るべき相談相手となる首脳もいなく、ますます孤立感を深めようとしている。結果、頼るべきは核とミサイルだけとなり、開発・実験にシャカリキとなる。ついには自暴自棄となり、近隣諸国を巻き込んで暴発することが現実の脅威となりつつある。しかし、韓国は目前に迫った次期大統領選で親北朝鮮政権誕生が確実視される。実現すれば当面北の脅威は後退するだろう。今回のミサイル実験は在日米軍を標的にしたものと強調する。まさに日本が標的になる時がきたと真剣に捉えるべきだろう

2017年3月 2日 (木)

韓国大統領代行の発言を支持

◆昨日3月1日は韓国の「3・1独立運動」の記念日だったという。日本の朝鮮半島統治下の1919年に朝鮮各地で起きた独立運動を記念する日とのことで、昨日もソウル市内で記念式典が行われ、朴槿恵大統領の代行を務める黄教安(ファン・ギョアン)首相が演説の中で注目すべき発言を演説を行った。

独立運動記念日とは何なのか?あくまでも運動が始まった記念日であって、独立記念日ではない。歴史を紐解いてみよう。日清戦争に勝利した日本は1895年、下関条約において清国に対し、「朝鮮を自主独立の国」と認めるよう要求し、これを認めさせた。つまり朝鮮が自力で清国から独立したものではなく、日本の力を得た上での独立だった。
もともと反日色の強い朝鮮は1897年、「大韓帝国」と改号。その後も権力闘争に明け暮れ、国王一族はわざわざロシアの影響下に入って、反日を煽った。かくして満州から朝鮮半島に「侵略」してきたロシアと、それに危機感を持った日本は朝鮮半島の支配権を巡って日露戦争を戦い、1905年辛うじて日本は勝利した。
それでも朝鮮の独立を支援してきた日本は、「大韓帝国」に当事者能力がないとして、保護下に置くべく、1910年日韓併合条約に調印し、「大韓帝国の併合」に踏み切った。因みに併合に反対していた伊藤博文が暗殺されたのはその前年1909年のことだった。ここから韓国が言う「日本の植民地化」が始まることになる。その9年後の1919年に対日独立運動が始まった訳だが、真の独立は日本が太平洋戦争に敗戦する1945年8月15日となる。


◆話を黄首相の演説に戻そう。黄氏は大部分を金正男殺害事件に割いたが、一部で日韓関係について「未来志向的な正しい歴史認識に基づき、断固対応していく」と強調。慰安婦問題に関する2015年末の日韓合意については「合意の趣旨と精神を心から尊重し、実践しなければならない」として、その上で「日韓二つの国が互いに信頼し、発展していくだろう」と述べた。日韓関係は昨年12月末に釜山の日本領事館前に慰安婦像を設置するなど合意の精神とは真逆な方向に向かっているとして、政府は駐韓大使や総領事を一時帰国させるなど、冷え切っている。こうした中で黄氏は合意への韓国世論の理解を求め、対日関係の改善を訴えた形だ。

◆韓国では左派系野党をはじめ国民の7割近くが2015年末の日韓合意の破棄を求めている。こういう時期に、しかも「3・1独立運動記念日」の当日に、親日的な(外交上当然ではあるが)発言をしたということは、かなり勇気のいることだと思う。しかし、穿った見方をすれば朴槿恵政権がレームダックになった今、そして次期野党政権が確実視される今だからこそ、世論におもねることなく本音の発言を吐露したのかもしれない。韓国民の真の理解を得るにはまだまだ時間がかかりそうだ。

2017年2月25日 (土)

スポーツの話題二つ

◆冬季アジア大会の女子フィギュアースケートでアラブ首長国連邦(UAE)の女子選手が話題になっている。と言っても成績ではない。成績は19位で仕方がないとしても、まだイスラム圏では女性がスポーツをするのは珍しく、しかも人前で肌を見せないという習慣のある国々だ。女子フィギュアーは美しく見せるため、手足・背中などは極力肌色に近い薄いものを着けて、女性美を強調するように衣装にも工夫を凝らしている。

◆ところがUAEのこの選手は映画の主人公に憧れて、12歳からスケートを始めたという。この大会では頭から足先まで全身を覆うように、まるで忍者のようなスタイルだ。さすがに手足は肌にフィットしているが、生地は分厚そう。フィギュアースケートは衣装も得点の対象になるそうで、このスタイルでは減点は免れずイスラ圏にとっては大変損なスポーツとなる。それだからこそ、果敢に挑戦したこの女子選手に拍手を送りたい。何でも最初の扉を開けるのは勇気がいるものだ。彼女に続く女子選手が続々と出てくることで、イスラム地域のスポーツ観や宗教観が柔軟になってくれば、大変良いことではないかと思う。

◆もう一つ。米大リーグで今季から投手は敬遠の意思を示せば4球投げなくても、打者は1塁に進塁できるというルールに改めるという。どうやら時間短縮が目的のようだが、「ちょっと待ってよ」と言いたくなる。4球投げるから「四球」だろう。記録上、その投げない4球は、球数に数えるのか、数えないのか。過去のデータとの整合性は?

◆このルール変更は概ね投手達には好評のようだ。「無駄な球数が減る、リズムを崩さなくても済む、暴投する可能性が減る」など、歓迎する声が多いという。一方野手陣ではイチロー選手は「敬遠も野球の一部であり、変えるべきではない」というコメントを出している。確かに過去に敬遠球が暴投になり、サヨナラ負けしたケース、敬遠球を打ってサヨナラ安打にしたクロマティや新庄選手のケースもあった。確か長嶋選手が敬遠球をホームランにした例もあったと記憶している。また長嶋は度重なる敬遠にバットを持たずに打席に立ったこともあった。敬遠は時に野球を面白くしてくれる。何でも合理的にすればよいというものではないと思うが。

Dscf0527  野球の殿堂で


2017年2月22日 (水)

スーパー春一番

先日春一番が吹き荒れたと思ったら、20日(月)は近年まれにみる台風のような大荒れの一日となった。玄関ドアも風圧によって、開けるのも一苦労。鉢植えは倒れ、土は飛び散る。大粒の雨はサッシの溝を伝ってジワジワ溢れ出る。
春一番よりも勢力が強いから、「スーパー春一番」と言った方が的確だろう。明日23日も強烈な春の嵐が来襲するとの予報。いったいどうなっているのだろうか、最近の天候は?
まさか、強権(狂犬)トランプ大統領のせいではないでしょうな?
狂風ついでに「春一番」の替え歌を作ってみました。


     もうすぐ古希ですね

♪ 髪の毛が 白くなって 増えていきます
   物忘れも ひどくなって 思い出せません
   もうすぐ 古希ですね ちょっと洒落てみませんか

   風が吹いて 髪の毛を 飛ばしていきます
   前の方から 後ろの方へ 広がってきました
   もうすぐハゲですね ちょっと触ってみませんか

   つるりと寂しい感触  嘆いても仕方ない
   青春時代に若返り  忘れませんか
   もうすぐ古希ですね  恋をしてみませんか ♪

2017年2月17日 (金)

今日は春一番

スーパーに買い物に出かけた。晴れているので歩いて出かけようとしたら、雨が降るかもしれないから車の方が良さそうだと言われ、しぶしぶ従った。ところがそれが正解だった。帰る頃には、晴れているのに横殴りの雨が降ってくる。時折、暗くなって強風が吹き荒れ、大粒の雨が叩き付ける。まさに予報通り「春一番」だ。
「春一番」と言えばキャンディーズの歌を思い出す。昭和51年3月の発売だから、今から41年前。ところが全然古臭さを感じない。むしろ今では珍しいほど美しい日本語の歌詞が新鮮だ。


   「春一番」  作詞・作曲:穂口雄右  歌:キャンディーズ
雪が溶けて川になって  流れて行きます
つくしの子がはずかしげに  顔を出します
もうすぐ春ですね  ちょっと気取ってみませんか
風が吹いて暖かさを  運んできました
どこかの子が隣の子を  迎えにきました
もうすぐ春ですね  彼を誘ってみませんか
泣いてばかりいたって 幸せは来ないから
重いコート脱いで  出かけませんか
もうすぐ春ですね  恋をしてみませんか 

日だまりには雀たちが 楽しそうです
雪をはねて猫柳が  顔を出します
もうすぐ春ですね  ちょっと気取ってみませんか
おしゃれをして男の子が  出かけて行きます
水をけってカエルの子が  泳いで行きます
もうすぐ春ですね  彼を誘ってみませんか
別れ話したのは  去年のことでしたね
ひとつ大人になって  忘れませんか 
もうすぐ春ですね  恋をしてみませんか

雪が溶けて川になって  流れて行きます
つくしの子がはずかしげに  顔を出します
もうすぐ春ですね  ちょっと気取ってみませんか
別れ話したのは  去年のことでしたね
ひとつ大人になって  忘れませんか 
もうすぐ春ですね  恋をしてみませんか
もうすぐ春ですね  恋をしてみませんか


Photo今年の啓蟄は3月5日。まだ2週間以上ある。毎年のことだが、ほんの一瞬の春の兆しなのだろう。
そういえば今年の北国の雪は例年に増して深いようだ。
外はまだ強風が吹き、ガラス窓を揺らしている。


2017年2月14日 (火)

映画「アラバマ物語」を鑑賞して

Photoグレゴリー・ペックは最も好きな俳優の一人だ。「ローマの休日」、「白鯨」、「大いなる西部」、「ナバロンの要塞」など、幅広く深みのある演技が印象深い。ところが彼がアカデミー主演男優賞を取った「アラバマ物語」は、見る機会がなかった。たまたま東宝シネマの「午前10時の映画祭7」で上映していたので、やっと鑑賞する機会を得た。
映画『アラバマ物語』は1962年製作、原作は1960年に発表されたハーバー・リーの同名の小説。彼女の自伝的小説『アラバマ物語』(原題:To Kill a Mockingbird)は1961年度のピューリッツァー賞を受賞、翌1962年に全米で900万部を売り上げる大ベストセラーとなった。そして同年12月には映画が完成した。


◆舞台は1930年代、アメリカ南部アラバマ州の田舎町。まさに西部劇の世の中が終わり、馬に代わって車が普及し始めた時代だが、まだ西部劇の面影が色濃く残っていた。人種的偏見が根強く残るアメリカ南部で、白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の事件を担当する弁護士アティカス(グレゴリー・ペック)の物語。映画は主人公が担当した裁判を中心に展開するが、この作品は単なる法廷ドラマに終わらず、子供の視点から見た大人の世界や、周囲の人々に対する純粋な好奇心などをノスタルジックに描いている。

◆妻と死別した主人公(グレゴリー・ペック)は公平で穏やか、その知性と人柄で周囲から厚く信頼されている町の弁護士。小学生の兄と妹、二人の父親でもある。こうした古き良き時代のアメリカの田舎町を背景に、弁護士としての公平な仕事を通して、人種差別や貧困など社会の「悪」の一面を、無垢な子供の目を通しても描かれている
人種差別の激しいアメリカ南部で、黒人の弁護をする弁護士は、周囲の心無い人々から中傷を受けるようになる。裁判当日、陪審員は全て白人、被告にとっては絶望的な状況の中で、主人公は被害者、被告、証人らの証言の矛盾を突き、真実を暴き出す。最後に全白人男性の陪審員に向かって「先入観を持たず、明白な証拠をもって審議してほしい」と訴えるが・・2時間後、陪審員達が出した結論は・・無情にも有罪だった。


◆近年ハリウッド映画はカネをかけたド派手なアクションものやCGを駆使したコケ脅しものが多く、殆ど見る気がしない。かつてハリウッドは映画の都と言われるだけあって、健全な娯楽もの、文芸物、社会派ものなどで、全盛時代を築いた。この「アラバマ物語」は2007年にアメリカ映画協会が選んだ”映画ベスト100”中、第25位にランクされ、2008年には同映画協会によって最も偉大な法廷ドラマ第1位に選出されたそうだ。確かにその先駆的な実績は見て取れる。

2017年2月 9日 (木)

「アパホテル騒ぎ」に投じたウィグル人の一石

★旅先のホテルの部屋に宗教書が置かれていることを、しばしば目にすることがある。無宗教の身にとって多少の違和感を持つことがあっても、そのこと自体ホテルの経営者の自由であり、見なければ良いだけの話。先日外国人旅行者がアパホテルに宿泊して「南京大虐殺」を否定するような内容を含んだ書籍が置かれていることを問題視、ネット上で拡散する騒ぎとなった。そして札幌で行われる「冬季アジア大会」で中国が宿舎(札幌のアパホテル)の変更を要望する騒ぎにまで広がった。

★また、この騒ぎが飛び火して、新宿の「アパホテル」付近に中国人と見られる100人ほどが押しかけ、デモをしかけた。これに対し「行動する保守運動」を中心とした右派系グループら百数十人が対峙した。この時の様子を取材した産経新聞電子版の記事の一部を転用する。

【転用】保守運動代表者の桜井氏は「20万人しかいなかった南京市で30万人の虐殺?ふざけたことを言うな」と声を張り上げた。さらに「要請文という名の強要書を彼らはアパホテルに出そうとしている。絶対にそんなことをさせちゃいけない」と訴える。そこで中国人と見られる2人組と口論もみ合いとなり、殺気立った雰囲気となった。その時桜井代表は1人の外国人男性にマイクを渡した。男性は中国・新疆ウィグル自治区出身者で、静かに語り出した。
「中国の官製デモが、この素晴らしい民主国家、アジアのモデルである日本で行われている。こんな素晴らしい国家で、こんなくだらないデモが・・・」 男性はトゥール・ムハメットさん。世界ウィグル会議日本全権代表を務め、世界ウィグル会議のラビア・カーデイル氏(70)が来日し、講演した際に通訳を務めた。ムハメットさんは続けた。
「1949年の中華人民共和国建国以来、数えきれない殺戮、弾圧、海外侵略を行っています。中国中央民族大学のイルハム・トフティ先生もウィグル人の基本的人権を守るために発言しただけで、無期懲役の判決を受け、新疆ウィグル自治区の獄中にいます。どうしてこの素晴らしい(日本という)国家で、こんなデモをするのか。建国以来、ウィグル人、チベット人に対する虐殺は許されません。私はこの平和な日本で、平和がいかに大切か痛感しています」
そこまで話すと、ムハメットさんは「日本の秩序を守ってくださる警察官に心から敬意を表します」と言って締め括った。ムハメットさんのツイッターによると、「全く個人で、アパホテルデモに反対する気持ちで、新宿に来た」のだと言う。目視で100人程と見られるデモ隊は沿道に陣取った右派系グループとのトラブルを避け、要望書の提出は断念したと記事は締め括ってあった。【転用終り】


★このムメットさんの訴えに大きな感銘を受けた。中国から長く虐げられてきた新疆ウィグル自治区の出身者だからこそ、その訴えに説得力がある。それにしてもデモ参加者は就業ビザか就学ビザで来日した中国人と推察されるが、日本に滞在して「言論の自由」の有難さを感じていないのだろうか。と言うより、言論の自由の何たるかが分っていない。憲法21条・1項には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とある。私権が制限される共産主義国家に育ったものには理解できないのかもしれない。国家の体質が個人の骨の髄まで沁み込んでいるとしか言いようがない。

«フェイク・ニュースの横行を憂う