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2017年10月16日 (月)

秋の夜長に-お酒に纏わる名言・迷言

秋の長雨が続いている。めっきり寒くなった。朝晩は「暖」が恋しくなる。
だがまだ10月。炬燵を出すにはちと早かろう。日本酒が美味しくなる季節だ。
今夜はビールを止めてお酒にするか。お酒に纏わる名言・迷言を並べてみた。


・お酒飲む人 花ならつぼみ 今日もさけさけ 明日も咲け
・酒飲みは 奴豆腐に さも似たり はじめ四角で 末はぐずぐず
・酒は酔うためのものです。他に功徳はありませぬ。 
(太宰治)
・安い酒でも楽しく飲めれば美味い酒。 高い酒でも寂しく飲めば不味い酒。
・酒は百薬の長なり。されど万病の元なり。  
(兼好法師)

・この盃を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
  花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ  
(井伏鱒二)
・老人:「お前はなぜそんなに酒を飲むのだ?」  男:「忘れるためさ」
  老人:「何を忘れたいのだ?」  男:「忘れたよ そんなことは」
・酒に罪はない。 泥酔する人間に罪がある。
・酒を飲むのは 時間の無駄。飲まないのは人生の無駄。


・避けがたいのは酒     ・「こんなの米と水ですよ~」
・酒飲みの人生 前半は肝臓を苦しめ、後半は肝臓に苦しめられる。
・酒を飲めない人は人生の半分を無駄にしている。
  酒を飲む人は人生の大半を無駄にしている。  
(悪魔の辞典より)
・「酔っ払い」とは、ウィスキーの瓶のようなものである。首と腹だけで頭がない。
・酒が不味くなる迷言:「俺の酒が呑めねえのか」


・「天国よいとこ 一度はおいで 酒はうまいし 姉ちゃんは綺麗だ」
・オヤジ:「こんなに顔がいくつもあるような化け物に身代が渡せるか」
 息子:「俺だってこんなにグルグル回るような家など、要らねえよ」
(落語::親子酒)
・酒を飲むやつはとんでもない ろくでなしだ。
  酒を飲まない奴はそのろくでなしからもろくでなしと言われるろくでなしだ。
・恋人は一瓶のワインであり、妻はワインの空き瓶である。
 (ボードレール)
・酒の害は酒が毒だからでなく、素晴しいが故につい飲み過ぎるからだ
。(リンカーン)

・春は夜桜 夏には星 秋に満月 冬には雪。 それで十分酒は美味い。
  それでも不味いのなら それは自分自身の何かが病んでいる証しだ。
・酒は楽しい時に飲むものだ。悲しい時に飲んではいけない。
  ヤケ酒は酒を造ったものに対して失礼である。
  但し、例外をひとつだけ認めよう。それは愛するものを失った時だ。
・ある哲学者の言:本に酒は体に悪いと書いてあったので、私は読書を止めた。


Photo最後はやっぱりこの歌で締めよう。

 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
     酒はしづかに飲むべかりけり

                        (若山牧水)

  


 

2017年10月15日 (日)

枝野氏の「立憲民主党」について

◆枝野氏が総選挙を前に立ち上げた「立憲民主党」が脚光を浴びている。逆に、ブームに乗るはずだった「希望の党」の影が薄くなった。もともと旧民進党全員で、希望の党に合流しようとしたところ、「あんた達はダメよ」と小池氏に袖にされ、止むを得ず行き場を失った仲間たちを糾合して立ち上げたというのが真相だろう。
結果的には、保守系から左系まで幅広く抱えた民進党が、希望の党・立憲民主党・無所属・参議院民進党の4つに分かれてしまった。仮に旧民進党が丸ごと「希望の党」に合流していれば、ひょっとしてブームに乗って第一党に躍り出て、総理の目が見えてきたかもしれない小池氏。都政のシガラミを切って出馬していたら、ついに政権交代、女性初の総理大臣誕生となっていたかもしれない。

◆しかし、それから先は小池氏が描くシナリオとはまるで違っていただろう。まさに「ひさしを貸して母屋を取られる」の例え通り、小池氏子飼いの実力ある腹心たちが皆無の中、リベラル派と言われる旧民主党の守旧派が幅を利かせ、ことあるごとに彼らとぶつかって、政権維持はおろか、内閣不信任案、解散総選挙と国政は再び混乱を来たすだろう。
小池氏もそれが分っているから、敢て「踏み絵」を踏ませ、ふるいにかけたに違いない。そもそも一挙に過半数獲得を目指し、経験薄い候補者たちをかき集め、都議選勝利という二匹目のどじょうを狙ったのが拙速だったと、自分でも悟るのではなかろうか。俄作りの政権が旨く行かないことは、「細川政権」、「自社さ政権」で十分経験しているはずなのに、「功を焦った」としか言いようがない。


◆さて今回、枝野氏は政党名に民主主義の根幹をなす大事な要素である「立憲主義」を改めて大きく掲げ、「立憲民主党」と命名した。私が受けたその印象は、「何と古めかしい名前を引っ張り出してきたのか」だった。一般的に現在における「立憲主義」とは憲法が個人の権利や自由などを保障し、巨大な権力を有する国家はその憲法を遵守する必要がある。つまり憲法によって国家権力が制限されるということになる。戦後は「立憲主義」が当然のような政治形態になっており、ことさら持ち出すこともなくなって、政党名に冠すことは殆ど無くなった。

◆枝野氏は今の安倍政権が「立憲主義にもとっている」という判断なのだろうが、こういうことを自由に主張できて、正々堂々と反対行動に打って出ることができる世の中にいるということ自体、立憲主義が確立されているという証左ではなかろうか。これが北朝鮮や中国だったりしたら・・考えただけでゾッとする。安倍政権が「立憲主義」にもとっているかどうかは個人の判断だ。総選挙で一定の答えが出るだろう

◆枝野氏の主張で一点だけ同意できる部分がある。それは「総理の解散権の制限」だ。今回の解散自体いろんなところから疑問が指摘されている。私も以前このブログで、この問題を取り上げた。解散権は総理の専権事項だとして従来から踏襲してきたが、これは憲法七条の拡大解釈に過ぎない。本来憲法を素直に読めば衆議院の解散は「内閣不信任案が可決された時(信任案が否決された時)」か「任期満了に伴うもの」に限るとするべきだ。枝野氏がそう思うならば、安倍総理の元では憲法改正論議は一切しないなどと駄々を捏ねないで、まともに取り上げ、正々堂々と論議すべきだろう

2017年10月 9日 (月)

こんな政治家はいらない

◆安倍総理が何を感じたのか、かなり危険な賭けに出た今回の解散・総選挙
彼の思いとは裏腹に小池都知事が夏の都議会選挙の大勝利の余波をかって、美酒を再びとばかり、「希望の党」を立ち上げた。ところが野党第一党の民進党前原代表はそっくりそのまま「希望の党」に合流するという奇策に打って出た。落ち目になったとは言え、まだ明確な国政政党としての体を成していない「希望の党」へ鞍替えするというのだから、日本憲政史上初めての驚天動地の出来事と言ってよいだろう。


◆しかし民進党は、多少の屈辱は我慢しても、小池頼りが勝利の近道とばかり合流したグループと、今更先行した若手の股をくぐれるかと言って無所属で戦う大物議員達のグループ、そして希望の党に撥ねられ、男の股間じゃない、沽券に係わることだから、それをバネにしてより革新的な道を進もうとする枝野氏や旧社会党系グループの3つに分裂してしまった。「立憲民主党といっているが、「一見民主党ではないかと揶揄される始末。

◆そこで問われるのが我々有権者の選択眼となる。政治家は自己PRに余念がないから、投票するに当たって「こんな政治家はいらない」という、「笑点」流の基準を設けた。

・「違うだろー! このハゲ~!」と怒鳴り散らす政治家。
・しばらく雲隠れして、ほとぼりが冷めたら、しおらしく「無所属で立ちます」という政治家。
・国会では「風林火山」のように鋭く政府を攻めながら、国会を離れると「フーリンカーサン」に変身する母親政治家。
・前回選挙で、全国で一番最後にギリギリで当選した元総理大臣経験者。
・「あれもやります、これもやります」と言っていながら、その財源を聞かれると「困っちゃうな」と言う人気取り政治家。
・全選挙区に候補者を立てながら、他党の動き、選挙区の都合により、降ろしたり配置換えしたり、まるで手品師のように人間を取り扱う独裁的政治家集団。
・国会にわずか2議席程度しか支持を得ていないのに、TVでは他党と同等以上に大きな顔をする某党と某党。
・選挙民に耳当たりのよい公約(負担は少なく、給付は多く)を吹き込みながら、当選すれば儲けもの、公約を果たせなくとも「与党じゃないから、と言い訳してきた万年野党の政治家」。
・国会乱闘の際、スカートのまま机の上に飛び乗って、目をそらせた女性政治家。
・都知事を続けるのか、国会議員となって総理総裁になるのか、ギリギリまで思わせぶりな態度で、周りを翻弄する「希望の党」党首。

 
 「気を付けよう  甘い言葉と  暗い道」

◆野党、特に左傾は「安倍1強を倒すことが先決。そのためには大同団結して当たることが必要」と叫ぶ。しかし、思いが叶って倒したとしても、そのあとの体制のことを考えているのだろうか。何の青写真もなくただ倒すことが目的では、その先の瓦解は目に見えている。薩長連合をはじめとする討幕軍は、幕府崩壊後の新体制について坂本龍馬をはじめとする有志達が新政府の青写真を描いていた。そして見事に明治新政府を樹立したという歴史上の史実から学ぶべきことは多いはずだが。

2017年9月30日 (土)

「原発ゼロ」は人気取り政策か

小泉純一郎元首相の行くところ、常に「原発ゼロ」という言葉が付いて回る。
新党を立ち上げた小池百合子氏との会談においても、「いいね。原発ゼロだよ」、
街頭に立って聴衆を前に演説するときも、「原発ゼロ、原発ゼロ」を連呼する。
まるでお題目のように「これさえ唱えていればすべてがうまくいく、幸せになれる」と訴えているようだ。そう言えば、だんだん「原発ゼロ教」の教祖様に見えてきた。


このお題目、一聞「単純・明瞭」で世間に浸透しやすい。「原発は怖い、だから廃止するのだ」。実に分かりやすい。しかし、人はこれさえ唱えていれば明日から原発はすべて消えてなくなると信じているわけでもなかろう。だが、ひょっとしてそう思い込む無知な人がいるのかもしれない。新興宗教は無知な人につけこみ易いからだ。
原発ゼロ」とはどういう状況を指すのだろうか。それは現在全国にあるすべての原発を廃炉にして、建設以前の状態に戻すことを指しているのか。また使用済み核燃料を含む膨大な廃棄物の処分も完ぺきに終了したこともって、ゼロというのだろうか。現在、その最終処分地を引き受ける自治体さえ決まらない状態だが・・。


あるいは現在、稼働中、点検中、建設中、計画中など、すべての原発の廃止を決定することをもって「原発ゼロ」とするのだろうか。福島第一原発の1~4号機は震災の翌年の4月に廃止が決定、残る5、6号機は2014年1月に廃止が決定した。廃炉・解体作業が終了するのは順調にいって2050年代の半ばと見込まれている。この間はゼロと言うのか、言わないのか。原発は廃止を決定すればそれで済むというものではない。廃炉作業に入るまでの維持メンテナンスは必要だし、廃炉作業に入っても長い時間と労力、膨大な資金が必要になってくる。「決めてしまえば、あとはお任せ」では、政治家たるもの無責任というものだろう。

震災前に28%あった全発電量に占める原子力発電の割合も、現在では数%。新規の建設をストップし、老朽化したものを廃炉にしていけば、やがて原発は無くなっていく。問題は廃炉に伴う膨大な資金を誰が負担するかだ。電力会社の負担とすれば利用者の料金に跳ね返ってくるし、「国が決めたのだから、国で」とするならば、いずれ税金になって跳ね返ってくる。さらには実際に廃炉を行う技術者の継承、育成も必要になる。
原発ゼロ宣言」したからと言って、人手、資金、時間を考慮すれば、一斉に廃炉作業に取り掛かることは不可能だろう。厳重な審査をパスした原発のみ稼働させることを前提にすれば、10~15%程度の発電のシェアを確保することができ、この間の廃炉コストの負担を軽減することができる。また、人材育成にも資するだろう。要は原発ゼロ」をお題目のように連呼する政治家は、単なる人気取り政治家に見えて仕方がない。

2017年9月28日 (木)

歴史に残るか、小池の政変

◆政変が起きる時は、予測も困難なくらい短兵急に事は起こるものだ。「大化の改新」、「本能寺の変」、「桜田門外の変」等々。
今回の安倍総理の突然の解散・総選挙は、与野党間に大混乱を惹き起こした。「解散に大義無し、自己中心の解散、疑惑隠し解散」など、与党の中でもブーイングがあったようだ。だからと言って、解散ボイコットなどの動きは起こってこない。一旦走り出せば、その動きは誰にも止めることはできない。その辺が日本の政治の不思議さだ。


◆しかも今回は「小池新党国政進出か」という予測もあり、民進党を中心に「バスに乗り遅れるな」とばかり離党ドミノが続発した。「機を見るに敏」な小池都知事、ここぞチャンスとばかり、若狭、細野二人の側近に新党立ち上げの準備を任せた。ところが予め計算していたのか、もたつく作業に業を煮やしたのか、「リ・セット」を宣言。小池氏自ら党首となる「希望の党」を立ち上げた。それから「あれよ、あれよ」と言う間に加速度的に政変が進んだ。

◆櫛の歯が欠けるように離脱者が続いた民進党は、前原代表が「一層の事、全員丸ごと合流を」と、とんでもない奇策に打って出た。あの頑固で左翼的な連中も自分の議席保持のため、見栄もプライドも投げ捨て、しぶしぶ事実上吸収合併のような合流を認めた。但し、民進党の党籍はそのままというのだから、実に分かりにくい。左右の路線対立は解消されたのか?今後の国会論戦でギリギリの選択を迫られた時、あっさり自説を曲げるのか?懸念されるところではある。まさにこの一連の動きは「小池百合子の変」と呼んでもよいくらいの政変になってきた。

◆しかし、小池百合子なる人物、「資金なし、人手なし、あるのは度胸と、愛嬌と、口車」の状態でよくやるよ。新党立ち上げの記者会見で他党から転がってきた14の国会議員を従えた姿はまさに女帝そのもの。但し、いやらしさを感じさせないところが彼女一流の演出か。小池さん、現状では「都知事」と「希望の党党首」という二足の草鞋を履くことになるが、先の知事選で、小池氏を選んだ都民に対する責任はどうなるのか。「二頭を追うもの一頭も得ず(?)」というが、女性初の総理大臣を目指すと言われる小池氏、全国の小池ファンの空気を読み取って、都知事の草鞋を捨てる批判をものともせず、総選挙に名乗りを上げる可能性は大いに在り得る。それが小池劇場の第二幕か。

◆ところで今回、衆院解散・総選挙の道を選んだ安倍総理だが、大誤算となって、「我、時期を誤てり!」となるか、思惑通り「してやったり!」とほくそ笑むか、その結論は来月22日。お灸を据える程度であればまだしも、小池新党が政権を取るようになれば、いかなスーパーウーマンといえど、一人で切り盛りするのは不可能だ。2009年9月から3年ほど続いた民主党政権の悪夢が再来(政権担当能力の無さを露呈)なんてことにならねばよいがと思うのみ。

2017年9月20日 (水)

死後の世界は存在するか(後)

◆人は何故、亡くなったら葬儀をし、お墓を建て、命日やお彼岸に墓参するのか。宗教や風習の違いはあっても基本的には同様のパターンを辿る。ひとつには死者との生前の関りにもよるが(肉親であれば猶のこと)、死者とのお別れの儀式であり、けじめをつける儀式が葬式に他ならない。しかし死んだ人にはその思いは届かない。(死後の世界はないのだから)。その意味するところは送る側の精神的追慕の念であったり、死者の功績に対する敬意の現われであったり、生前世話になった御礼、もしくは自己の精神的充足や世間体等様々な要因が考えられる。

◆式を執り行うためにはその道の専門家である僧侶、牧師、さらには葬儀屋等に頼ることになる。最近問題になっているのが、僧侶に対する布施や戒名の高額化、葬儀費用の高騰、墓地購入・建立の困難さなど、葬儀は金銭問題にも転化していることである。そこで、その反動として質素な家族葬を行い、墓地は建物内の小さな区分所有、埋葬は樹木葬、海洋散骨など自然葬が増えてきている。むしろ地方で檀家を引き継いだ世代ほど苦慮しているという話も聞く。

◆ではお墓は何のために建てるのか。それはその人がこの世に生きていた証を表すために建てるものだ。さらに故人の霊(敢えてこの言葉を使う)に向かってお参りするためにも、形がなくてはならない。それがお墓だ。ところが近年の傾向だが、地方に実家があり、お墓もあるが、子供たちは皆実家を離れ、遠いところに生活の拠点を置いた場合、子供の代まではいろいろな機会を利用して墓参りを行う。ところが年月が経ち老齢化が進むと墓参りも次第に困難になる。孫の世代になるといよいよ足が遠くなり、50年も経てば誰もお墓を見なくなる。そうして墓石だけが山のように積まれて風化していく。このため子供が近くにお墓を引っ越す動きもあるが、要は100年も経てば墓石は無用の産物となってしまう。

◆ただ、例外的に200年経っても300年経っても参拝者が後を絶たないお墓もある。それは後世に名を残した歴史上の人物や、所謂偉人と言われる人達の墓だ。こうした歴史的に価値のある墓は残していくべきだし、これからも名を残したい人物の墓は必要だろう。自分のような凡人の墓は故人の遺志や遺族の意思があれば別だが、無理に作る必要はないというのが自分の考えだ。ついでながら葬式は質素な家族葬、僧侶・戒名は不要、自然葬だからお墓も不要(遺骨は自然界に帰すから)。その大きな理由は「死後の世界は存在しない」からだ。また、お墓を造れば残された遺族の負担にもなるから、それは避けたいという思いがある。

◆前段で取り上げた米・カリフォルニア工科大学のシーン・キャロル教授だが、決して頭から宗教や信仰を否定しているわけではなく、新たな段階の議論が始まることを期待しているという。即ち「死後の世界を信じるためには物理学の標準モデルを超えた理論が必要になる」という。宗教と科学の関係はこれまでとは異なる新たなステージで話し合われるべきであり、人間と意識がどのように機能しているか、もっと興味深い研究分野が拓ける。むしろ、超新科学がスピリチュアルを説明する可能性があると主張している。そういえば今週はお彼岸だ。明日にでもお墓参りしてくるか。

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2017年9月19日 (火)

総理の勝手な解散・総選挙は憲法違反?

◆内閣が解散総選挙を決める場合にその根拠となる法規定は言うまでもなく、憲法第69条【内閣不信任案決議の効果】に明確に規定されている。即ち、
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決した時は、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と。これ以外に衆議院の解散を規定した条文は「四章:国会」、「五章:内閣」のどこにも見られない。

◆では何故、今回のように安倍総理の独断で、衆院解散・総選挙ができるのか?今までも「解散権は総理の専権事項だ」と言って、内閣の一存で、度々解散・総選挙が行われてきた。これを「7条解散」と言うそうだ。
憲法第7条には【天皇の国事行為】として「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」と規定されている。その内容は
(1)憲法改正、法律、政令及び条約を交付すること。 (2)国会を召集すること。 (3衆議院を解散すること。 (4)国会議員の総選挙の施行を公布すること。(以下6項目省略)
これらは内閣が承認したことを形式的に認めるという手続き上の行為に過ぎない。天皇がこれらを直接行うとすれば、それこそ憲法違反になってしまう。


◆したがって、7条でいう衆議院の解散や総選挙の施行は、第69条で定められた解散・総選挙の事務的承認でなければならないはずだが、「総理大臣の専権事項」として解散・総選挙までを7条に適用できるとするならば、行き過ぎた拡大解釈と言える。何故ならそれをOKとするならば、(1)項に掲げてある「憲法改正」も「総理大臣の専権事項」として処理することも可能になってしまうではないか。

◆本来野党もメディアも、「総理の独断による解散権行使」は、憲法上の不備として、問題提起し、とっくに議論しておくべきテーマだったのだ。英国は最近「無闇な解散権行使を制限する」憲法改正を行ったという。9条改正反対だけが野党のスタンスではなかろう。安倍総理の抜き打ち解散を非難する前に、こうした憲法改正も訴えておくべきだった。本来衆議院の任期は4年と決められている。無事それを成し遂げることこそ本筋だと思うが、権力者は自分の権力を誇示したいのか、安倍さんも1年3か月の任期を残して、解散総選挙をやるという。600億円ともいわれる膨大な国費を費やして。解散風を煽るメディアにも責任の一端はある。

◆野党は、不意を打たれた解散・総選挙に「横暴だ、ズルい、森友・加計隠しだ、北朝鮮への対応を空白にするのか、体制が整っていないのに卑怯だ」等々、右往左往するが、逆に言えば安倍さんの策士振りが際立つ。世界の海千山千のリーダー達と渡りあっていくには時に権謀術数も必要だ。森友・加計問題をいつまでもゴチャゴチャやっている場合ではない。すでに司直や当該機関の手に移っているではないか。そんなことしか追及できないのかと能力を疑ってしまう。また野党統一候補擁立の動きも異様だ。選挙の時だけまとまるなら最初から一本化して合併してしまえと言いたくなる。仮に間違って過半数をとってしまい、政権運営する立場に立たされたらどうする気なのか。その先のシナリオは過去に何度か見せられて、結局国民にNOを突き付けられたではなかったか。あれから進歩しているどころか悪化しているように見えるのだが。

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2017年9月18日 (月)

死後の世界は存在するか(前)

◆「人は死んだらどうなるか」、「死後の世界は存在するか」・・・人類始まって以来の永遠の課題である。この問題に米・カリフォルニア工科大学の物理学者で宇宙学者でもあるシーン・キャロル教授は、物理学の法則を広範に研究した結果、死後の世界にまつわる議論に自ら終止符を打った。その結論とは死後の世界は存在しないということだった。

◆古来より多くの宗教によって「死後の行き先」の存在が示され、「死後の世界」はもはや前提となっている。死者を弔う儀式、いわゆる葬式も多くの場合、死者を次の世界へ「送る」というコンセプトで執り行われている。それは人間の死生観に基づくものであり、そこに道徳・宗教・哲学が入り込む余地が生まれる。死後の世界は誰も見たことがない故、人間の想像が生んだ産物であり、結論はあって無きようなものだ。しかし、キャロル教授によれば死後の世界が存在するということは、「脳内の情報を死亡後に維持する」ということであり、それは不可能であると結論づけた

◆即ち、「日々の出来事の基礎となる物理学の法則は完全に理解されており、すべての出来事は可能性の範囲内で起こっている」、「もし死後の世界が存在するのであれば、我々の”意識”が肉体から完全に分離できるものでなければならないが、物理学の見地からそれは不可能である」という。さらにキャロル教授によれば我々の意識もまた究極的には原子と電子の組み合わせによる現象である。そして宇宙の基本法則は、我々の肉体的な死後に肉体から分離した要素の存在を許さないということだ。

◆キャロル教授がその主張の論拠としているのが「場の量子論」である。どのような粒子やエネルギーも一定の”場所”を占めているとする考え方だ。光子であれ電子であれ、質量がないように思われる最小構成要素にも自分だけのテリトリーがあるということになる。したがってもし「死後の世界」があるならば、場の量子論的には死後の世界や魂の”場所”がなければならないということになる。しかしそのようなスピリチュアル(精神的な、霊的な)場所はこの宇宙に存在しないという。場の量子論を含む物理法則の観点からは、死後に肉体から何らかの要素が分離して生き延びる方法も場所もないということになる。

◆自分はこのネット情報を読んで、普段漠然と思っている疑問がスッキリした感じがした。人は死ねば一般的に火葬され、骨や灰の9割は炭素となって埋葬される。他の殆どの元素は気体になって蒸散してしまう。即ち宇宙に溶け込んでしまうのだ。スピリチュアルなものでない単なる元素や素粒子として。しかし、人は死後の世界は存在しないと解っても葬儀、埋葬、供養等の長年馴染んだ習慣とは簡単に縁が切れるものではない。後段ではその部分に焦点を当てて考えてみたい。(続く)

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2017年9月14日 (木)

北朝鮮を正常国家に戻す手立てはあるか。

◆テレビから「極悪非道な挑発行為云々」などという声が聞こえてきた。北朝鮮の一連の不法行為や核・ミサイルによる威嚇・挑発に対して、国連が非難する言葉かと思いきや、実際はその逆で、国連の制裁決議への北の異常とも思える反応だった。「極悪非道な行動」をとっている国が、それを諌めようとする国際社会に対して「よくもまあ、シャーシャーと言えるよ」と思うが、その体質こそが北朝鮮という国そのものだ。

◆何故こんな国家が存在するのか? 近代の歴史を紐解いてみると李氏王朝時代、日清戦争に勝利した日本は」の属国であった朝鮮半島を開放して、「韓国」という独立国を樹立させた。1909年(明治42)、韓半島の植民地化に反対していた伊藤博文が韓国総監を辞任した後、ハルピンで安重根に暗殺され、これにより日本国内の世論や動揺した韓国の併合推進派である韓国最大の政党「一進会」の嘆願などもあって、1910年(明治43)、日韓併合条約を結び、日本領朝鮮として実質植民地化した。併合にあたっては日本は各国に打診、米・英は半島の安定を考慮して賛成し、清・露・伊・仏・独といった当時の主要国からの反対も全くなかった。

◆その後、1945年8月、日本が米国をはじめとする連合国に降伏し、9月9日朝鮮総督府が米国に降伏するまで35年間続いた。戦後この間の日本の負の面ばかりが強調されるが、身分開放、土地政策、教育文化政策、経済インフラ等において、旧弊依然たる韓国の近代化に貢献したことは、老齢の韓国人達の証言にも残っている。日本が日中戦争、太平洋戦争に突入するまでは朝鮮半島は中・露からの圧力を受けず比較的平和な時代が続いたと言える。

◆日本は敗戦により朝鮮半島を放棄せざるを得なくなったが、その空白を埋めるため米・ソが進駐し、1948年8月に大韓民国(李承晩大統領)を、9月に朝鮮人民共和国(金日成首相)をそれぞれ米・ソが後ろ盾となって、分裂国家を誕生させたことが悲劇の始まりだった。冷戦時代の大国のエゴの犠牲とも言えるが、もとは同じ民族、互いにいがみ合う必要は全くなかった。共産主義のソ連の影響を受けた「北」は北主導による半島の統一を目指して、1950年6月、38度線を突破して「南」に侵攻した。朝鮮戦争の勃発である。


◆その後、1953年7月休戦協定を締結したが、38度線を境にした睨み合いが64年も経った今日まで続いている。ソ連・中国という共産主義国家をバックにした北朝鮮は、両国を見習って軍優先の独裁体制を築いた。今の北朝鮮を見るにつけ、「国際社会」という名の一方的な正義を押し付けられ、意固地になっている姿はかつて第二次戦争に突き進んだ日本と妙に重なって見える。日本は「核」を落とされ始めて目覚めた。「核とミサイル」を持った北朝鮮はそれを武器に威嚇・挑発を繰り返すが、一つ間違えば世界核戦争になりかねない。制裁という兵糧攻めで「降参」するか、それとも「窮鼠猫を食む」で「暴発」してしまうのか、当面手立てはなさそうである。いずれにしろ北が開発した「核」が国際テロ組織の手に渡ることだけは何としても許してはならないことだけは確かだ

2017年9月 7日 (木)

民進党のお家芸、人事のゴタゴタ発生

◆民進党代表戦で前原氏が枝野氏を破って、新たな再生のスタートを切ったかに見えた。しかし就任早々、早くも人事を巡るゴタゴタが発生。前原氏は幹事長ポストに若手のホープ山尾氏を一旦内定したが、彼女の不倫問題が週刊誌等で報じられる見込みとなり、急きょ人事の差し替えを行った。党内では「経験不足の山尾氏に党をまとめられるのか」という声や「世代交代が一気に進む」といった「やっかみ」、「このままでは選挙が戦えない」と言った警戒感の声があがり、前原氏はスタート直後に人事の差し替えを余儀なくされた。

◆2006年の偽メール事件では、ガセネタを掴まされた若手議員をかばい続けた結果、代表辞任に追い込まれた。今度はその轍を踏むまいと、まだ本人の公式な説明もない段階で「泣いて馬謖を切って」しまった。またしても人事の躓きで、前原氏の求心力低下は避けられない。民進党(旧民主党)は発足当初から人事のゴタゴタはお家芸のようなものだ。元々右から左まで寄せ集めの民主党は理念・政策の隔たりが大きいため、重大局面になると政策の不一致、感情的好悪が露呈して内紛もあったが、最終的には政権担当能力が問われて、自壊の方向に向かっていった。

◆2009年、国民は長く続いた自民党政権に嫌気がさし、清新なイメージの民主党へ一度は任せてみようと政権を託した。失言続きの麻生政権の後を受け、308議席という記録的な大勝利を収め、政権交代を果たした。しかしその後の3年3か月の民主党政権の行跡・功罪は改めて書くまでもない。民主党から政権を奪取した自民党安倍政権は5年9か月の長期政権となり、安倍一強の中で緩みが出てきたのか、政権運営に黄信号が点灯した。そういう絶好のチャンスが巡ってきたというのに、民進党はこの体たらくだ。

◆この5年9か月、民主党はいったい何をやってきたのか。むしろ政権交代直後より大きく後退したのではないか。自党だけでの党勢拡大が無理だとすれば、安易に共産党との選挙協力に頼ろうとする。それを見て保守系議員は党の未来に失望し、離党ドミノが加速する。野党として攻めに回っている時は勇ましく格好いいが、一旦政権に就いた途端、あやふやな舵取りで方向が定まらない。このまとまりの無さは党の成り立ちに起因するのではないか。旧社会党出身のグループはもともと労働組合の労働貴族あがりが主流、地道に汗をかくというより、理論武装で頭でっかち。会社経営や国家の運営という大きな責任を負わされるより、もともと得意な批判勢力でいた方が居心地がよい。

◆今回前原氏が共産党との選挙協力の見直しを掲げ、中道保守的党運営を示して代表就任を果たしたのは、かつての青臭さから一皮剥けたかなと期待を持たせたが、豈図らんや相変わらず人事面で脇の甘さを示す結果となった。真に政権交代を任すには自らのリーダーシップを高め、人材発掘と育成を図って、党の体質改善を図らなければ、当分の間浮上するのは難しいだろう。

2017年8月29日 (火)

ハウステンボスの「変なホテル」に宿泊

夏休みの家族旅行の一環で、長崎ハウステンボスに隣接する話題の「変なホテル」に泊まった。チェックイン・カウンターの真ん中には美女が、両隣には恐竜のロボットがそれぞれテレビで見た通り並んでおり、「いらっしゃいませ」と声をかける。美女にはドギマギするので、一方の恐竜のカウンターで受け付けするが、若い人達のようにはスムースにいかず、結局係員を呼ぶ羽目に。

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このホテル2年前にオープンしたが、ロボットが受付するということで当時大変注目を集めた。人手を省力化して、極力ロボットに任せようというコンセプトらしいが、すでに今年の3月には浦安に、8月には愛知県蒲郡に3店目をオープンさせるなど人気は高まっているようだ。しかし、若い世代や子供たちはすぐに溶け込みやすいが、シニア世代は予めよく調べるなり、説明を受けていないといきなり行ったのでは戸惑うことばかり。室内にはかわいい(?)案内ロボット「チューリーちゃん」がいるが、声をかけ、時折相手をしてやらないとだんだん不機嫌になる。なんでわざわざ佐世保くんだりまで出かけ、ロボットのご機嫌をとらなくちゃなんないのか、こっちの方が不機嫌になる。

部屋は2階建て、12室の棟が7~8棟、アパートのような、ロッジのような、リゾートホテルというにはやや狭いし、都会のビジネスホテルに毛が生えたようなもので、設備面では料金と対比してやや不満が残る。
朝食は独立したレストラン棟「オーラ」で、ビュッフェ形式。こんなに泊まっていたのかと思うくらい続々人が集まる。中では中国語が飛び交い賑わっている。地元長崎の食材や郷土料理なども並び、食事はGoo!ガラス部屋の野菜工場では、レタスや葉物などが生き生きとした姿を見せ、新鮮な取り立て野菜が食せるようになっている。
しかし、ホテルや旅館はサービス業の最たるもの人と人との繋がりがあってこそのサービス業だろう。ロボットに委ねようという発想も、分からなくもないが、やはり「変なホテル」であることに変わりはない。


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長崎稲佐山展望台レストランより、世界三大夜景を見る。

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ハウステンボス、光のページェントの中、運河を航行する。

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奥の方に発売当時1億円した分譲住宅が並ぶ。運河に面した自分の家の庭にはkルーザーやヨットが停泊できる。
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大村湾の出口、針尾瀬戸に架かる西海橋。小学6年(1955年)に完成し、その年、見物に出かけた記憶がある。現在はこの橋に並行して新西海橋ができていた。干潮満潮の動きで渦潮ができ眺望スポットになっている。

2017年8月20日 (日)

身動きがとれなくなった文在寅大統領

◆大統領に就任したら真っ先に「条件が整えば平壌にも行く」として、対話を通じた北朝鮮核問題の解決に意欲を示した文在寅韓国大統領。しかし、就任100日経った今でも、会談はおろか、南北離散家族の再会の提案に対しても無しの礫。代わりに北朝鮮からはICBMの発射というキツーい一発を見舞われた。金正恩が言いたいことは、「日・米と手を結びながら北との対話だと?舐めんじゃないよ。相手はお前さんじゃないよ」とでもいうところかな。なんだか、かつて民主党の鳩山さんが、最低でも県外と言って、自縄自縛になったことを思い出す。

◆在韓米軍のTHAAD配備に執拗に反発していた中国は、それまで中国に配慮して態度を曖昧にしていた韓国が、2回目のICBM発射におじけづいたのか、発射の翌日に方針を朝令暮改して、米との早急な追加配備の協議に踏み切ったことで、中国の怒りは頂点に達した。文氏は8月中の中国訪問を目指していたが、中国が応じる気配はないという。

対北融和政策を掲げる文在寅は「北」が対話に応じるものと甘い判断をしたが、トランプ大統領は「北」に前のめりの文大統領に、本気で制裁に取り組む気があるのか疑念を持ってしまった。文大統領はトランプの無言の圧力にビビッてしまった。結局、己の力を過信した文大統領は、正しい情勢判断ができず、北からは無視され中国からは反発され米国からは疑念を持たれてしまい、身動きがとれなくなってしまった。
文氏は側近に嘆いたという。「我々にとって最も切迫した朝鮮半島問題で、韓国は現実的に解決する力も、合意を引き出す力もないという事実だ」。その通り。「よく分かったならば、日本とよく相談しろ」と言いたいところだが、現実はその逆。


嘆きの矛先は日本に向かった。こういう場合の神頼みが日本叩きだ。2015年の慰安婦問題解決合意の見直し、バスの中の慰安婦像設置の黙認。強制徴用工問題の蒸し返し、徴用工と見られる像の設置の黙認。韓国民の目を日本叩きに向かわせた。そもそも韓国国民に美的感覚、美意識はないのだろうか。バスに乗ろうとしたら乗客が一人座っている。よく見ると慰安婦像だったとすれば、ゾッとするだろう。今度新しくできた徴用工と見られるやせ細った男性像。どう見ても美しくも美術的でもない。こんな像が韓国中に設置されたとして、韓国の人たちは自分たちの美意識を疑わないのだろうか。

間違った韓国の対日歴史認識が改まらない限り、日韓関係は良くならない。文氏は言う。「過去の歴史問題が韓日関係の未来志向的な発展の障害になってはいけない。過去の問題は過去の問題。未来志向的な発展のための韓日間の協力は協力として、別のものだ」と。その通り、よく分かっているではないか。しかし、「虚偽の歴史を教え続けながら、それをもって未来志向的な発展の障害にしているのはどこのどなたか?」、胸に手を当てよくよく自問自答して欲しいもの。

◆戦時中の強制労働を巡る訴えが国際司法裁判所(ICJ)に持ち込まれた例があるという。イタリア最高裁は2004年、戦時中に強制労働させられたイタリア人がドイツ政府に賠償を求めた裁判で、訴えを認めた。ドイツはこれを不服としてICJに提訴。ICJは12年の判決で、ドイツの主張を認めた。韓国の一連の不当な動きに対して、埒が開かないなら、国際司法裁判所に持ち込んで白黒はっきりさせるよう、日本政府の強い決断が求められる
(参照:8月19日付読売新聞)

2017年8月13日 (日)

史上最強内閣‥夏の夜の夢

政治の劣化が叫ばれてから久しい。8月3日、安倍総理は内閣を断行し、支持率は幾分持ち直したものの、改造の成果が表れるのはこれから。仕事師内閣の本領が問われるところだ。「夏の夜の夢」というシェークスピアの喜劇があるが、真夏の夜のひと時、夢見ながら時空を超えて「これぞ史上最強の内閣」というものを思い描いてみた

内閣総理大臣       聖徳太子
財務金融大臣       徳川吉宗
総務大臣女性活躍    北政所
(秀吉の正室・寧々殿)

法務大臣          大岡越前守
外務大臣          勝海舟
文部科学大臣       新渡戸稲造
厚生労働大臣       光明皇后
農林水産大臣       二宮尊徳
(金次郎)

経済産業大臣       渋沢栄一
国土交通大臣       岩崎弥太郎
環境大臣少子化担当   与謝野晶子
防衛大臣          西郷隆盛
官房長官          大久保利通
国家公安防災担当    長谷川平蔵
(別名鬼平)

沖縄北方担当       高田屋嘉兵衛
経済再生行政改革    上杉鷹山
科学技術地方創生    平賀源内


【記者席寸評】
・「聖徳太子の総理大臣はどなたも異存ないでしょう。名前に『徳』 が表れています」・「官房長官の大久保利通は実務派で、睨みが効きそうですね。しかしその大久保と防衛大臣の西郷が旨くやっていけるか心配です」・「財務大臣の徳川吉宗は質素倹約が持ち味ですから、膨大な国の借金を減らすには適任者ですね」・「経済関係閣僚の渋沢、岩崎、上杉鷹山、二宮尊徳あたりは大いに期待が持てそうです」・ 「科学技術地方再生の平賀源内、沖縄北方担当の高田屋嘉兵衛も面白い存在ですな」・「女性大臣に北政所、光明皇后、与謝野晶子の三人が選ばれました。それぞれ持ち味を発揮すれば素晴らしい内閣になるでしょう」・「この聖徳太子内閣は全体として重厚しかも皇室から、将軍、官僚、学者、商人など多士済々、まさに史上最強の内閣と言っていいんじゃないでしょうか」・「他に意見があったらどうぞ」

2017年8月11日 (金)

「核兵器禁止条約」に思うこと

◆被爆72年目を迎えた8月9日、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われた。一連の進行の中で、老若4人による「献水」の儀式の際、中学3年の時の同級生が登場したのは驚きだった。齢を重ね見事に老成しているものの、若き日の面影を残していたことが嬉しかった。さて今年の式典で、田上長崎市長の「長崎平和宣言」は例年にも増し、厳しかった。先月7日、国連で採択された「核兵器禁止条約」について、その大部分を割き、柔らかい口調ながら、日本が同条約に未だ参加しないことの非を訴え、ついには「総理、あなたはいったいどこの国の総理なのか」と問う場面もあった。

◆「核兵器禁止条約」とは、核兵器の全廃と根絶を目的として起草された国際条約で、正確には「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止並びにその廃絶に関する条約」の事である。2017年7月7日に122か国・地域の賛成多数により採択された(*)が、米英仏中露などすべての核保有国が参加せず、アメリカの核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア、韓国など核抑止力に依存する国も殆ど参加しなかった。
(*)この交渉会議には国連加盟国193か国が出席。投票の結果122か国が賛成した。NATOに加わるオランダが反対。シンガポールは棄権した。

◆日米安保条約に依拠する日本は、従来からこの条約の批准に応じていない。政府は3月の交渉会議で「北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」と表明し、5核保有国などと歩調を合わせてボイコットした。米国の「核抑止力」を国家安全保障の柱に据える国々は、近い将来の条約加盟が見通せない状況だという。
被爆者や核廃絶を目指す非政府組織(NGO)からは「条約に加盟して、唯一の戦争被爆国として核廃絶を目指す役割を果たすべきだ」という批判の声が上がっている。しかし、核保有国が加盟しない条約では何ら実効性が伴う訳でもなく、条約に賛成することによって日米の亀裂と、安全保障上の不安をどのように払拭するのか、難しい選択を迫られる。


◆確かに唯一の被爆国日本が「核兵器禁止条約」に参加しないということは、いかにも説得力を持たない。口先だけの平和外交と言われても仕方がないだろう。どうせ実効力を伴わない条約であるならば、馬鹿正直に現状を追認するだけでなく、米国に根回しした上で、「核兵器禁止条約」の賛成に回ったらどうだろうか。多くの賛成国のリーダー的立場となり、平和を主導する役割を演じることになる。アメリカが日米安保の破棄を求めるならば、その時は彼ら多くの賛成国の声をバックに平和外交を貫く時がやってくる。それが外交というものだ。但し、中国の圧力と北朝鮮の核の脅威は高くなることを覚悟の上での話だが

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長崎平和記念像 (昭和30年8月8日完成、筆者が小学6年の時)

2017年8月 3日 (木)

中国共産党「A.I.」を逮捕か?(笑)

中国の人工知能(A.I.)が、中国共産党を批判する書き込みをしているとの話題が、NET上を賑わせているという。
香港紙が伝えるところによると、中国のインターネット大手テンセントの提供する人工知能(A.I.)の対話サービスが共産党批判を始め、急きょサービスを停止したという。
このニュースに触れた時、思わず声を立てて笑ってしまった。
ある利用者が「共産党万歳」と書き込むと、AIは「こんなに腐敗して無能な政治に万歳できるの?」と答えたほか、「あなたにとって『中国の夢』とは何?」という問いかけに、「米国への移住」と返した。また「共産党を愛していない」とも答えたという。
まさに中国人の本音をA.I.が代わりに答えている形だ。

人間が開発した人工頭脳A.I.は入力された膨大なデータをもとに、自分自身で学習して、知識を深め、判断力を高めるというが、中国という特殊国家においても、人間の本音を正直に表すものだと大いに関心させられた。
ネット上では「A.I.」が国家転覆を企てた」とか「蜂起した」とかという声が上がったというが、共産党の情報統制当局がA.I.を逮捕したり、勾留する場面が見られたら、これほど面白い話は滅多にないのだが・・。

2017年7月30日 (日)

「すみだ北斎美術館」を県f学して

◆一昨日、猛暑の中を両国まで出かけ、昨年秋にオープンした『すみだ北斎美術館』を見学してきた。場所は総武線両国駅から「江戸東京博物館」を左に見ながら、錦糸町方向に向かって徒歩9分ほどの所。まだ新しいので地元の人に聞いても、「?」という感じ。
日本だけでなく西洋美術にも大きな影響を与え、世界的な芸術家として評価の高い葛飾北斎(1760~1849年)。90年の生涯の殆どを過ごした墨田の地に「北斎」の名を冠した美術館が誕生した。生みの親は墨田区で、北斎の優れた業績を永く顕彰するとともに、地域の産業や観光にも寄与する活性化の拠点として、昨年11月に開設した。


◆美術館自体は公園の一角を半分ほど利用したようで、地上四階建て、敷地面積380坪と小振りだが、一見教会風の洒落たデザインは伝統的な日本文化をテーマにしたコンセプトとさして違和感は感じられない。「すみだ北斎美術館」の建築地には、江戸時代に弘前藩津軽家の大名屋敷があったという。藩主からの依頼により、北斎は屏風に馬の絵を描いて帰ったというエピソードが残されていることなどから、この場所は北斎と縁の深い土地だったらしい。
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北斎美術館全体像        北斎美術館エントラス付近

◆「冨嶽三十六景」と「富嶽百景」の揃い踏みと題して企画展を開催していた。北斎の版画絵はいろいろな形でお馴染みになっているが、実際の版画は画用紙大の大きさで、描写も細かいため、かなり近くに寄らないとよく分からないところがある。展示資料の中に歌川広重が「写実的表現において自分も負けてはいないと思うが、全体の構図における独創性では敵わない」という趣旨の言葉を残していた。確かに北斎の「冨嶽三十六景」」と広重の「東海道五十三次」を比べるまでもなく、そのことは言えている。

◆浮世絵版画の彫りと擦りの制作過程を高精密モニターの動画でじっくりと見られるコーナーがあった。浮世絵版画の最終形態である錦絵の制作過程を映像を交えながら紹介するコーナーだ。この日は歌麿の美人画を題材に、輪郭線の彫りから完成までの各プロセスを現代の名工たちによる再現で観賞することができた。浮世絵版画のグラデーションのやり方や細かい過程がわかる貴重な機会だった。

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老齢の北斎が狭い貸し間で絵を描いているシーン。蝋人形の像は立体的でリアルだ

◆葛飾北斎は1999年に、米雑誌「ライフ」で、「この1000年でもっとも偉大な業績を残した100人」として、日本人でただ一人選ばれたことは何かで知っていた。確かに西欧の美術・工芸等の芸術に多大な影響を与えたことは確かだろう。しかし日本人が選ぶとすれば、他にもいそうだ。「武士道」を広く伝えた新渡戸稲造、「禅の研究」の西田幾多郎、「柔道」を世界的にした加納治五郎、映画監督の黒澤明等々・・しかし世界的業績となれば「ウーン」と考え込んでしまう。日本は長く閉ざされていたから不利な側面があることは否めない

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展示室の前に大きな錦絵が飾られている。推定復元された「須佐之男命厄神退治之図」関東大震災で焼失した北斎晩年の傑作を白黒画像をもとに復元したものだという。北斎は風景画だけでなく、妖怪などの怪奇絵なども多数残している

2017年7月26日 (水)

最高の日本民謡--秋田音頭

日本の民謡は約58,000曲現存するそうですが、その多くが哀調を帯びた暗い感じのものや、のんびりした牧歌的なもの、小節を効かせた冗長的なものなど、生活や労働を歌ったものが多いようです。例えば追分、馬子唄、甚句、木遣りなどがありますが、中には音頭、盆歌など比較的明るい調子のものもあります。その中でも最も異彩を放っていると思われるのが秋田音頭」でしょう。日本の民謡の特徴の一つに、歌の冒頭部分や途中、区切りなどの間に掛け声や、合いの手が入ります。この秋田音頭の合いの手はとにかく、底抜けに明るいのです。リズミカルで滑稽、今はやりのラップなんかより数段もノリノリでしょう。

        秋 田 音 頭     (秋田県民謡)
(ヤートナー) コラ 秋田音頭です (ハイ!キタカサッサ ホイサッサ ホイナ-)
(コラ) いずれこれより 御免こうむり 音頭の無駄をいう  (アーソレソレ)
     お耳障りも あろうけれども サッサと出しかける
     (ハイ! キタカサッサ ホイサッサ ホイナー) *合いの手繰り返し

(コラ) 秋田名物 八森ハタハタ 男鹿で男鹿ぶりこ (アーソレソレ)
     能代春慶 桧山納豆 大館曲げわっぱ    (*)

(コラ) 秋田の国では 雨が降っても 唐笠などいらぬ (アーソレソレ)
     手頃な蕗の葉 さらりとさしかけ サッサと出て行かえ (*)

(コラ) 秋田の女ご 何して綺麗だと 聞くだけ野暮だんす (アーソレソレ)
     小野小町の 生まれ在所を おめさんしらぬのげ  (*)

(コラ) お前(め)がたお前がた 踊りコ見るならあんまり口開ぐな(アーソレソレ)
     今だばエエども 春先などだば 雀コ巣コかける  (*)


2歌詞は20以上あるようですが、代表的な歌詞をいくつか挙げました。また合いの手、掛け声などもいくつか変化もありますので、YouTube などで確認されるとよいでしょう。いずれにしろお国自慢もここまで徹底すれば気持ちがよいもの。節(メロディ)は殆どなく、秋田弁満載のコミカルな歌詞と、ラップ調でテンポいいリズムが何とも楽しいのです。三味線、笛、太鼓、摺り鉦を伴奏に滑稽な表現の方言を軽妙に展開させる民謡など他に知りません。歌詞もそうですが、踊りの振り付けも盆踊りと違って歯切れがいい。もともと即興で、おもしろおかしく歌うというのが本来でした。庶民の間では長く時事風刺や春歌としても歌い継がれていたそうですが、レコード産業やラジオ放送の出現によって、「お国自慢」の歌詞が最も有名になったそうです。 今地方活性が叫ばれておりますが、明治から戦前にかけて、日本各地が自然にお国自慢を繰り広げるほど、地方が活性化していたということなんでしょう

2017年7月22日 (土)

星影の話

♪月なきみ空に きらめく光 嗚呼その星影 希望のすがた♪ 「星の界(よ)」、
星影やさしく またたくみそら あおぎてさまよい こかげを行けば♪ 「追憶」、
星影さやかに 静かに更けぬ 集いの喜び 歌うはうれし♪ 「星影冴やかに」、
また、演歌「星影のワルツ」、「星影の小径」etc. 星影という言葉は歌や詩などでよく耳にする。だが、「星影」って何だろう。星の影? 星に影があるのか? 辞書を引くと「星の光、ほしあかり」とあり、用例として「星影の明るい夜、またたく星影」などと使われる。国立天文台 渡部潤一教授はコラム「星空の散歩道」の中で「星影とは古い言葉で、『星の光』を意味します。光があるところには必ず影がありますから、その連想で星影=星の光という言葉が生まれたのでしょう」と書いている。


Photoところで、同氏は地球上の物体に影を生じさせる天体は、太陽、そして金星、さらになんと天の川の四つだけだという。確かに月は満月の澄み切った夜に自分の影をはっきりと地面に映し出したことを体験している。
金星は太陽と月を除けば最も明るい天体だ。「明けの明星の場合は、夜明け前の暗いとき、地平線から上がったばかりの頃、宵の明星の場合は逆に夕闇が消えて、西の地平線に沈みかけた頃、それぞれ白い紙の上に手をかざしてみると、金星の光で影ができているのがわかる」という。都会では無理だろうが、何もない自然の中で試してみる価値はありそうだ。

さて、もう一つの天体天の川は最近では見ること自体難しい状況であるが、子供の頃九州の西の片隅でも空気の澄んだ夜にははっきりと見ることができた。光害がなく、透明度が高い夜空が見えるところでは天の川の光で、地面に自分の影ができるそうだ。と言っても我が国では無理のようで、南半球のオーストラリアの原野で見られたという体験を渡部教授はコラムに書いている。

「天の川の中でも最も明るい部分は、夏に見えるいて座の方向。いて座の方向とは天の川銀河の中心部で、凸レンズ状の最も厚い部分だ。2000億個もの星の大集団『天の川銀河』を横から見たもので、その方向が太く明るく見えるという。いて座は南半球の中緯度では頭の真上にやってくるから、確かに影は作りやすい。天の川が真上に来るような場所では影ができるのも不思議ではない」という。

さらに続けて、「オーストラリアの中心部、アウトバックと呼ばれる乾燥地帯に出かけた。地平線までほとんど減光のない透明度の高い夜空に、深夜になると天の川の中心部、いて座が真上にやってきた。すると、あたりはほのかに明るくなっていった。白いシートの上に立つと、ぼんやりとした自分の影が銀河の中心と反対方向にできているのがわかった。手をかざして動かすと、それにつれてぼんやりとした手の影が動くのが見えた。確かに天の川で影ができたのです。」(要旨)と書いている。あんなかすかな星明りで影ができる。まさにこれこそ正真正銘の星影だ。
(参考:国立天文台教授 渡部潤一氏のコラム「星空の散歩道」より「星影を楽しむ」)

2017年7月16日 (日)

安倍総理の責任問題と今後の政局の展望

◆安倍総理の責任を声高に叫び、「辞めろコール」が澎湃しても、総理自ら辞めると言い出さない限り、替わる可能性はゼロに等しい。総理はよほどのことがない限り、集中予算委員会を乗り切り、来月早々に内閣改造を断行して、政権の立て直しを図るだろう。野党の弱体化と自民党内に有力な後継候補者が不在の中で、政権は継続されていくというのが大方の見方だ。今、自民党の中で次期総裁候補者と言えば、石破氏か岸田氏。しかし石破氏は党内人気がイマイチで、岸田氏はまだ線が細い。こんな状況だから、かつての自民党のように「党内抗争をやってでも」という強力なパワーも気力も見られない。結局、来年9月の総裁の任期満了に伴う「総裁選」を含めて、選挙なしに首相が交代するということはあり得ないだろう。

◆いくら内閣の支持率が下がり、自民党政権にNOを突き付けたとしても、総理が解散総選挙をして与野党が逆転しない限り、政権交代はあり得ない。国民はかつての民主党政権の悪夢を鮮明に覚えているから、民進党連合政権にも拒否反応を示すだろう。まして共産党が政権の一翼に入ることなど考えられない。唯一考えられるとすれば、韓国の民衆が朴槿恵大統領を弾劾裁判に懸けようと100万の民衆がモを繰り広げたように、多くの国民がムードに乗って十重二十重に国会を取り囲むようなデモを展開すれば、総理を辞任に追い込むことは可能だ。しかし、安倍総理が国家を貶めるような大逆を犯しただろうか? デモには世情を混乱させることを目的にして扇動者が現れてくることは必至だが、国民がそれに乗るほど愚かだとは思えない。

◆一つの可能性として、都議会議員選挙で「都民ファーストの会」を率いて大勝利させた小池百合子都知事が、次は国民ファーストの会を立ち上げ、国政に打って出るケースだ。すでに国会内に受け皿を作る動きが見られる。若狭、長島、松沢、渡辺喜美など一癖も二癖もありそうな連中ばかり。「俺が、俺が」で纏まるのか。小池氏本人が国政に転じるケースは最短で、来年11月の衆議員任期満了に伴う解散総選挙になる。そのときは小池チルドレンを大量に引き連れて出るかもしれない。しかし、知事の任期を1年8か月ほど残したまま、都政をほったらかして出るのが得策か

◆やはり都知事を一期務め上げ、言うところの都政改革を成し遂げて、東京オリンピックの名誉ある大役を果たしたあとに国政転出というシナリオがベストだろう。この場合都知事の任期は2020年8月1日までだから、ギリギリ開会式には間に合うが、すでにこれよりひと月以上前に二期目の選挙戦に突入しているから、立候補するかどうか態度を表明していなくてはならない。(オリンピック開催は7月24日から8月9日まで、9月にはパラリンピックもある)これは大きな賭けとなるだろう。国政の受け皿が本年12月までにできたとして、小池氏本人が国政に出るのが、2020年8月以降とすれば、3年近く国会に党首不在のまま、国民ファーストの会が続くことになる。かつての橋下徹氏の大阪維新の会と、日本維新の会を連想させられるが、その頃小池ブームはまだ続いているのだろうか。政界とはまさに一寸先は闇そのものだ。
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内閣支持率低下、加計問題の本質を探る

◆稲田防衛大臣ら安倍内閣の閣僚たちの言動に対する批判が集中している。また自民党一強の緩んだ環境の中で、二回生議員たちの言動がメディアの格好の餌食になっている。問題ある閣僚達をすぐには更迭できない優柔な任命責任も問われている。そして何より総理自身の加計学園問題等の説明責任を果たしていないという国民の不信感が相俟って支持率が大幅に急降下、このままでは30%割れも目前となってきた。

◆ここにきて安倍総理が「加計学園」の獣医学部新設問題を巡る国会の閉鎖中審査に応じる方針を決めた。なんともはや遅きに失した感があるが、対応を誤ればすべて言い訳に取られる可能性が高く、火に油を注ぐことにもなりかねない。ここは誠心誠意説明を尽くすしかない。野党の候補はまるで検察官気取りで、総理の首を取ることだけを手柄と考え、その後の政治の形やあるべき姿が見えてこない。「倒すまでが仕事、後はどうなろうと知ったこっちゃない」というのが本音だろう。

◆そもそも安倍総理は政治を混乱させた責任を感じていても、辞めなければならないとは感じていないだろう。「加計学園」獣医学部新設問題に絡み、便宜を図った見返りに金銭でも受け取っていたとするならば、これはもう辞任どころの騒ぎではなくなる。結局加計問題の本質は、獣医師会の在りように関する見解の相違の対立と言ってよいだろう。即ち、これ以上獣医師を増やす必要はないとする、獣医師会、既存の獣医学部関係者、認可管轄する文科省など、所謂岩盤規制と言われる人たちが一方の勢力だ。

◆一方、地方公務員としての産業獣医師が絶対的に不足しているとして、獣医学部の創設を希求し、10年以上も誘致活動続けてきたが、厚い岩盤に跳ね返されてきた愛媛県・今治市、それを利用し経済特区に指定して岩盤に穴を開けようとした安倍内閣、早くから指名に名乗りを上げて運動してきた加計学園側、この二つの対立が根本構図だ。

◆この場合の内閣の経済特区構想はいささか無理があることは確かだが、内閣総理大臣が文科大臣の上にあるのだから、真に設置が必要であるならば、特区などの搦手を使わなくとも正面から堂々と根拠とデータを示し、文科省を説得すればよかった。しかし結果は腹心の友人ということで、疑念を抱かれる結果となったことは戦略の見誤りだろう。こうなった以上どちらも引くに引けなくなったが、裁判に訴える問題でもなかろう。今「四条件がどうだこうだ」と議論したところで、埒が明くまい。平行線のまま続くだろう。将来のことは誰にも予測はできない。10年後、20年後獣医師会の現況を見た時、答えは出ているのではないだろうか。

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