仏教と葬式
◆仏教と葬式とは切っても切れないもの・・それが一般的常識だと思われていた。
だが、最近家族葬とか友人葬とか、必ずしもお寺に頼らず行われ、また埋葬に
おいても、海、山、樹木など自然へ還す散骨(許可はいるが)なども見られるよう
になり、戒名を不要として俗名のままでいいとするケースも表れた。
◆その背景には高額な葬式費用、不透明な戒名料、墓地埋葬費用など経済
的な側面が大きいものと思われるが、それ以外にも形骸化したお寺そのもの
の存在があるからではないだろうか。核家族化が進み、都会暮らしが定着して、
檀家の数が減り、経営に苦慮するお寺も多いと聞く。
◆そもそも何故、仏教と葬式が結びついたのか。仏教の開祖ブッダは人間の
根本的な生老病死(四苦)にあり、苦しみの根源は「煩悩」にあると説く。人生
が思い通りにならない原因は「無明」(即ち一切皆苦、諸行無常、諸法無我
を正しく知らない状態)にあることであり、教えの最終的なゴールは涅槃静寂
(煩悩に捉われず、心の安らぎ得る悟りの境地)に至ることであると説いている。
◆即ち、仏教とは生きている間に修行して悟りを開くことが目的であって、本来、
人間の生き方を教えているもの。しかしこれは天才お釈迦様だからこそ出来た
ことで、一般凡人には大変難しい教えと云えた。ブッダの死後、弟子達がその
教えを文字で書き記したのが初期の原始仏典で、後に小乗仏教と云われた。
◆しかし釈迦滅後400年ばかり経った紀元前後から大乗仏教が興った。所謂
自分ひとりの解脱を目指す小乗仏教ではなく、他者の救済を優先する利他行
を重んじるようになり、その仏教が中国、朝鮮を経て538年(?)に日本に伝わ
ってきた。即ち釈迦の手を離れた仏教は独り歩きし、後世の僧侶たちによって
膨大な5000巻以上の経典が編み出されていった。そして日本にも奈良、平安、
鎌倉時代に新しい仏教が次々に入ってきた。
◆人間の「死」は避けて通れないもの。その死者への礼を尽くすため、埋葬し
別れの儀式をすることはごく自然な人間の営みであった。死後の世界は誰も
見たことのない世界であるから、「死」そのものに対する恐怖が起こるのはごく
自然なことだった。それ故、人間を不幸から救い、幸せに導くと称する仏教者
達が入り込む余地があるし、また人々もそれを求め、「死」→「葬式」→「仏教」
という構図ができあがっていった。
◆ブッダが唱えた仏教の本質が、後世の大乗仏教によって大きく変質していっ
たことは確かで、釈尊自身、仏像を作って敬えとか、念仏を唱えれば即身成仏
できるとか、葬式には仏教を用いよとかそんなことは一切言っていない。要は
後世の聖人達は簡便な方法、謂わば「インスタント成仏法」を編み出したと云え
なくもない。これは良し悪しではなく歴史の流れだった。
◆しかし、21世紀の今、冒頭に述べた最近の仏教というよりお寺離れが徐々に
進行していることは、人間の原点回帰を追い求めている動きの顕れとも云えない
だろうか。こんなことを考え、戒名を己で考えようとしている自分はなかなか成仏
できないだろうが・・・。
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