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2017年11月14日 (火)

はじめてのコーヒーの味

コーヒーをはじめて飲んだのは、昭和34年(1959)、16歳の時だった。当時我が家では紅茶やココア、カルピスなどを飲むことはたまにあったが、コーヒーを飲むことはなかった。それもそのはずで、戦後コーヒー豆の輸入が再開されたのは1950年(昭和25)のことで、実に8年ぶりのことだったという。量も少なく、一般の人が口にすることは多くはなかったようだ。コーヒー豆の輸入が全面自由化になったのはそれから10年後、1960年のことで、この年多くのメーカーがインスタントコーヒーの製造を開始、翌年には全面自由化となって内外のメーカーが入り乱れてインスタントコーヒーブームが起こった。

つまり、コーヒー豆が完全自由化される前後にようやく口にしたということになる。これにはちょっとしたエピソードがある。高校に進学して半年ほど経つ頃のことだった。今や「世界の新三大夜景」として有名な長崎の稲佐山展望台だが、ロープウェイは昭和34年10月に開業している。通学途中にその麓の駅があった。この麓の駅は神社の境内にあり、鳥居をくぐって数10段の階段をあがったところにあった。中学・高校と毎日この鳥居の前を歩いて通学した。
Dscf1770_2 稲佐山展望台

Dscf1771_2 展望台から市街を望む

ロープウェイが完成して間もなく、通学途中で、この階段を上っていく可愛い女の子と出会った。その子は階段の途中で振り返ってニッコリ笑い、軽くお辞儀した。はて、誰だったか?翌日も、次の日も続いた。そして思い切って話しかけてみた。なんと、中学3年時の同級生だった。軽くお化粧し、すっかり垢抜けして見違えるほどだった。女の子から女の娘(こ)に脱皮したように、恥ずかしそうに微笑んだ。

しばらくして休みの日に、親父を誘ってロープウェイに初乗りした。展望台のレストランには期待通り彼女がいた。可愛いウェイトレスの服に身を包み、オーダーを聞くために傍にきた。ここでちょっぴり大人っぽく振舞おうと飲んだこともないコーヒーを注文した。運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、驚いた。独特の豊かな香りに、芳醇な味、コクのある風味というのだろうか、これぞ大人の味だと思った。その後何年かたってブルーマウンテンを飲んだ時にあの時の味に近いと思った。しかし、稲佐山展望台で初めて飲んだコーヒーに勝る味にお目にかかったことはない。それから彼女に会う機会はプッツリ途絶え、晩年になって開かれた中学校の同窓会でもその消息を耳にすることはなかった。

ついでながら、そのことがあった翌年あたり、1961年から62年にかけて、西田佐知子が歌った「コーヒールンバ」が大ヒットした。原曲は1958年、コーヒーをモチーフにした「モリエンド・カフェ」(コーヒーを挽きながら)で、ベネズエラで生まれた。日本版ではアラブの坊さんとあわれな男の話に変わっているが、コーヒーの不思議な味を軽快なテンポで歌っており、稲佐山展望台のコーヒーの味とともに忘れられない曲となった。


   「コーヒールンバ」    歌:西田佐知子   作詞;中沢清二

♪昔アラブの偉いお坊さんが 恋を忘れた あわれな男に
 しびれるような 香りいっぱいの こはく色した 飲み物を教えてあげました
 やがて心うきうき とっても不思議 このムード
 たちまち 男は 若い娘に 恋をした
 コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム 南の国の情熱のアロマ
 それは素敵な 飲み物 コーヒー・モカマタリ
 みんな陽気に飲んで踊ろう 愛のコーヒールンバ♪

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2017年11月12日 (日)

「保守」と「リベラル」を考える

◆今年の「新語・流行語大賞」の候補30語がノミネートされた。小池百合子氏が喋った「アウフヘーベン」、「共謀罪」、「忖度」、「フェイクニュース」・・これらが候補に上がった理由はよくわかる。ところが全く意味も分からない、初めて聞くような言葉がいくつかあった。それは毎回のことだから年のせいだと気にもしていない。今回も政治に関わる話題で恐縮だが、昔からよく使われてきた「リベラル」という言葉。今年ほどよく耳にし、目にしたことはかつてなかった。この「リベラル」が候補に上がってもよかったかなと思った次第。

◆日本の「リベラル」はやや左傾化した勢力に対して使われるケースが多い。何故だろうか。本来リベラル(Liberal)」とはLiberty(自由)の派生語で、「自由主義的」の意である。日本の自由民主党は英文ではLiberal Democratic Party。従って自民党の方がより正しく「リベラル」を使っていると言える。ところが、リベラルには「個人の自由や個性を重んじ、寛大な心の広い」という意味も備えている。また自由を意味するFreedomに比べて「抑圧からの解放を意識して使われることが多い」と言う。

◆日本の自民党はタカ派(=保守派)とハト派(=リベラル派)の二つの勢力が存在し、一強体制を維持してきた。アメリカの共和党(Republican  Party)は一般的に保守主義で、民主党(Democratic Party)はリベラル的立場をとっていると言われる。要するに民主党は労働運動、労組重視、マイノリティ、死刑廃止・不法移民容認・同性愛容認・宗教多様化容認等の立場に立って、共和党に対峙し、その政治姿勢が「リベラル」と目されてきた。然し、決して社会主義を目指すものではない。こうしてアメリカではこの二大政党が互いに切磋琢磨して、政権交代を繰り返してきた。

◆日本のかつての民主党の英文名は Democratic Party of Japan 、また民進党はThe Democratic party と称した。リベラルという言葉は使っていない。ところがかつての民主党や改称した民進党の左派系の人達、及び分裂して誕生した立憲民主党、社民党などをひっくるめてリベラル派と呼んでいる。本来リベラルとは路線や枠組みの問題ではなく、「何をやるか」である。アメリカの民主党が誰を対象に何をやるか、はっきりした目的・政策を持っているのに対し、日本のリベラル系と言われる左派系が路線問題や観念的対立に明け暮れ、離合集散を繰り返しているのとは対照的だ

石橋湛山鳩山一郎吉田茂など戦後日本の名だたるリーダーたちは、第一級のリベラリストだった。石橋湛山は「斬新な思想は自由な社会から生まれる。将来の為に、言論の自由は徹底して確保しておかなければならない」と述べた。左派も含め、あらゆる主張に耳を傾け、政策に盛り込んでいくという姿勢を持つ保守の健全な精神を持つ人たちが、リベラルと呼ばれていたという。ところが、現在多くの人がリベラルと聞いて想起するのは、左派的なリベラルだ。「冷戦終結以降、かつての社会主義者や市民運動家がリベラルと言う名の心地よい椅子に座り始めた。『リベラル』に保守派リベラル革新的リベラルのふたつの流れができてしまったのが今日の混乱の始まりではなかろうか。

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2017年11月 4日 (土)

与野党国会審議について考える

◆自民党執行部は、予算委員会など各委員会の質問時間を議席数に応じて配分するよう見直すべきだと主張し、これに対し野党が一斉に反発を強めている。質問時間の配分については自民党が野党に陥落した時に、それまでの与党3、野党7だった配分を、時の民主党政権を攻めるため、与党2、野党8に強引に持っていった経緯がある。その慣例が与党に返り咲いた今でも続いていたが、この衆院選の勝利を皮切りに当選3回目の若手達が質問時間の少なさに不満をぶつけ、自分達も民意を得て議席を得たのだから、平等に質問時間を与えて欲しいと執行部に強く求めたことに端を発した。

◆自民党執行部はこれを受け、議席数に応じて与党7、野党3に改めるべきだと主張するが、これは掛値であって、本音は与党4、野党6くらいで決着したいところだろう。実際の所、自民党若手にとっては、野党議員が質問する場面はTVで何度も流されるのに対し、自分たちはそういう機会が皆無に等しいので、不平等感を解消したいという気持ちを持つことは分からないでもない。政府にとっても野党の質問時間は短い方が議事運営上も好ましいところだ。ところが野党にとっては政権与党を攻め立て、自分たちの存在意義を最大限に発揮したいところだから、「妥協の余地はない」と普段はバラバラでも、この点に関しては一致団結して猛反発する。しかし、あまり突っぱねてばかりいては審議そのものが開かれず、ズルズル先送りされてしまうというジレンマを抱えている。

◆自民党の中でも石破氏のように「与党は法案、予算を提出する前に政府と散々やり取りする。その分は割り引かねばならない」とする意見も多い。本来、国会は国の重要な外交問題、安全保障問題、経済問題、税制・財政問題、社会保障問題など当面する様々な課題について大所高所から深く議論し政府の政策についてチェックすると同時に全体の均衡を図り、時には提案する場であっても良い。ところが現状はどうか。森友・加計問題に見られるように政府の失策のように見えるスキャンダラスな問題が起これば、「ここぞチャンス」とばかり、全野党が同じような質問を繰り返す。政府の説明も悪いが、野党の態度とそれに呼応するメディアの姿勢も褒められたものではない。もっと重要な政策課題はあるのにメディアが取り上げるのはこんな問題ばかり。国民も難しい政策論議より分かりやすいスキャンダラスな問題に関心を示す。危機は身近に迫っているというのに、「平和ボケの証拠」かもしれない。

◆そもそも国会質疑は野党が一方的に質問を浴びせ、政府は平身低頭して答えるのみ。これを見ている限りにおいてはどちらが偉いのか分からない。国会は議論する場ではなかったのか。そうであるなら、質問中に答弁者から逆質問があってもよい。「ではあなたならどうすればよいと考えるか」、「対案があるのか」等々。丁々発止互いにやり合い、説得するなどして、議論を活性化しなければならない。揚げ足取りや重箱の隅をつつくなどはいい加減止めて欲しい。また日本の国会は総理を延々と委員会に縛り付けることが多すぎる。野党が得点を稼ごうという算段だろうが、そろそろ国会質疑の在り方自体を抜本的に改めるべきではなかろうか。

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2017年10月29日 (日)

小選挙区制度の見直しは?

◆衆院選の結果を受けて、朝日新聞や毎日新聞などのメディアは野党が一本化していれば、与党が3分の2を超える大差で圧勝することはなかったというような論説を展開している。得票結果を見て「野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転」などと分析結果を報じているが、まるで「なぜ野党が一本化して与党に立ち向かわないのか」とか、「与党一強体制を存続させてよいのか」といったような論調にも聞こえる。換言すれば善良な多くの選挙民が現体制を容認しているのが「悪」であるかのように嘆いているようだ。

◆また、野党からは小選挙区の負の面(第1党が得票率に比べて獲得議席数の比率が高くなり、死票が多くなる。死票は過去最大50%を超えた時があった。)を取り上げて、選挙制度の見直しに言及する議員もいた。もともと自分的には小選挙区制に積極的な賛成派ではない。但し、一挙に現政権を倒し、政権交代を成しうる制度であることも確かだ。旧民主党の時代の2009年、歴史的な政権交代を果たし、その3年後にはまるでオセロゲームのように安倍政権が劇的な政権交代を成し遂げた。自分達が不利だったからと言って、制度を云々するのはあまりにもご都合主義と言えよう。

◆選挙制度にベストな選挙制度はない。日本では選挙が終わるたびに、判で押したように「現行の一票の格差は憲法違反だ」と訴える馬鹿な弁護士グループが存在する。最高裁が概ね1.0から2.0以内であれば合憲とする判断をしているにも拘らずだ。仮に限りなく平等に近づけるとするならば、全国1区の大選挙区にならざるを得ない。かつて参議院の全国区という選挙区があったが、全国組織を有する団体、有名人に限られてくる。さらに少数政党が乱立しやすくなり、不安定さを増す。

◆中選挙区に戻そうとする意見も散見されるようになった。そうなれば第一党が複数の候補者を立て、また派閥政治に逆戻りしかねない。野党分裂のままでは政権交代はますます遠ざかる。もともと野党は偏波で狭量、妥協を嫌うという性格を持っている。それらが野党共闘で一本化すること自体、選挙民はその真意を見透かしている。小沢一郎が「オリーブの木」構想を打ち出している。かつてイタリアで野党合意による連立政権を誕生させた例に倣ったものだが、長続きしなかった。理念や主義主張・政策の一致を見ないまま政権に就いたとしても、いずれ内部分裂を起こし、破たんすることは目に見えている。

◆なお、ついでながら最高裁判所の裁判官の国民審査について触れてみたい。これは衆院選挙に合わせて、必ず付いて回るもので、憲法第79条の2項、3項に規定されているが、いくら国民の権利とはいえ、国会議員の審査(選挙)と違い、その裁判官を罷免するかどうかの判断を国民に求めるのは酷と言うものだ。過去の実態でも常に数%の「不可」があるが、罷免されたためしはない。まさに形式に流されていると言わざる得ない。これについては審査される最高裁裁判官以外の全裁判官、及び検察官弁護士などの専門家にその権利を付託するなどの改憲案を考えてもよいのではなかろうか。憲法改正事項はいくらでもある。
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2017年10月24日 (火)

総選挙に見る希望の党と立憲民主党

安倍総理が無理筋とも思える解散・総選挙に打って出た「賭け」は、前原氏の民進党解体・希望の党への合流という「奇策」と小池氏のオウンゴールのお陰で、思いもかけず与党は解散前とほぼ同じ3分の2の勢力を維持した。一番ホッとしたのが安倍総理自身だろう。国民も賢い選択をするものだと感心した。

【希望の党の敗因と今後】
◆小池氏の「排除発言」が国民からソッポを向かれた大きな原因とされるが、政党である以上、原理・原則に大きな隔たりがあれば、いずれ争いが表面化することは必至。だから、そのこと自体大きな問題とは思わない。問題はそのことより、小池氏自身、都知事選・都議選の結果を天祐とせず、自分の実力と過信したことによる。人事を含めた組織のルールを軽んじ、「私がルール」だとばかり、勝手に刺客や落下傘部隊を決め、選挙民の意向を全く考慮せずに突っ走った結果だった。相撲の立ち会いで焦って突っ込んだが、自分から滑って転んだようなものだった。


◆国政に進出するには、手足となる地方議会の議員を数多く輩出して、地道な政治活動を続けること、それが確かな近道となる。ガラスの天井を破ったからといって、落下傘部隊を上から降ろしただけでは、風向き次第でどこに漂着するか心もとない。彼女が言うシガラミの無い政治とは地域に密着しない、風に乗った政治家の量産ということらしい。こうした候補者を数合わせで無理に擁立すること自体、国民を舐めている言われても仕方がない。人様にはいつも「情報公開」を訴えながら、実は自分がブラック・ボックスだったとは笑うに笑えない。希望の党は将来に希望を持てそうにないが、小池氏を総理候補として再浮上させることができるかどうかに掛かっていると言えよう。

【立憲民主党の勝因と今後】
◆今回特筆すべきは、立憲民主党が公示前の15議席から55議席へ大きく伸ばし、第二党に躍進したことだ。しかしこれは枝野氏が積極的に仕掛けたというより、希望の党に排除され、仕方なく立ち上げたというのが本筋だろう。それに判官贔屓の日本人気質と、「打倒安倍一強に賛成だが、共産党はどうも」と言う声が一挙に押し寄せた結果だ。その証拠に共産党は公示前の21から12へと大きく議席を減らした。


◆しかしながら健全な野党は日本にとっても必要だ。単に「安倍一強体制を倒す。憲法改正反対」だけでは共産党と同じだ。国民に甘い言葉だけでなく、時に耳に痛い言葉であっても真に必要であれば勇気を持って説得しなければならない。国民が安心して政権を任せるだけの実力を蓄え、外交・防衛の一貫性は堅持し、内向きの姿勢を改めて、国際的地位を高める努力を続けることが重要になる。何でも反対の姿勢はそろそろ止めた方がよい。そして総理候補なり得る人物が現れるか、そうでなければ万年野党の域を出ることは難しかろう。自民党は間違いなく総理になり得る人材を抱えている。言うまでもなく小泉進次郎だ。

2017年10月19日 (木)

なんだか空しい衆院選

◆安倍総理が突然解散総選挙を表明したのは9月25日。28日には衆議院が解散され、10月10日に選挙戦に突入。3日後の22日には投開票が行われる。表明から投票までわずか4週間。ずいぶん昔の出来事だったような気がする。この間あまりにも変化が多すぎたからだろう。希望の党の立ち上げ、民進党の分裂、立憲民主党の立ち上げ・・・。

◆本来なら政治の大きな変化で世間は盛り上がるはずだが、少なくとも自分にとっては次第に関心が薄くなり、しらけムードになっている。盛り上がっているのは当事者やメディアだけ。TVが党首や幹部の一方的な主張を放送し、無味乾燥な政見放送が流れだすとついついチャンネルを回してしまう。一方通行で独りよがりの選挙PRのため、選挙民との意見交換が見られない。10年1日のような相も変らぬ選挙運動とその体制。無関心になるのは50%台そこそこまで低下した投票に表れている。メディアは議席獲得予想にしのぎを削り、まるで競馬の予想屋だ。

◆安倍総理の自己都合による解散を「けしからん」と野党は批判した。解散権の乱用は別の次元で論じなければならない。(憲法改正に組み込むとか) もともと野党は「打倒安倍一強」とか「安倍辞めろ」、「内閣不信任案だ」と終始主張していた。だとすればそのチャンスを与えてくれたのだから、大いに感謝しなくてはならない。仮に政権交代となれば安倍さんに対し「感謝状贈呈」ものだろう。

◆しかし選挙戦に突入すると、例によって例の如く、与野党とも批判の応酬合戦。選挙民の歓心を買いそうな甘い政策ばかり訴える。そもそも予算を伴う法案を提出するには50議席以上の獲得が必要だ。その目途もないのに大風呂敷を広げる党もあるから嘘が透けて見えるのだ。幼児教育無償化、高等教育無償化、結構だ。だが年間いくらかかるのか。どこからその財源を持ってくるのか。議員削減、歳費削減、公務員給与削減、いいだろう。だが年間いくら削減できるのか。自治労、日教組等の話し合いの見込みは?それらの具体的数字を示した政党はあっただろうか。そもそも1000兆円をこえる莫大な借金を減らすことを考えず、増やすことだけ考えている政党ばかりではないか。財政再建は自分達の代では必要ないと思っているのか。

◆立憲民主党の枝野氏の評価が上がっている。真面目さ、ひたむきさは伝わってくるが、政権担当能力を回復したとは思えない。民主党時代の華々しい「事業仕分け」は何だったのか?家の近くにある公益事業財団もやり玉に挙がったが、その後、これ見よがしに綺麗な建物に建て替え、敷地も整備してまるで火事後の焼け太り状態だ。結局何の拘束力も持たないパフォーマンスに過ぎなかった。枝野氏は安倍総理の元では憲法論議をしたくないという。まるで子供の論理だ。

◆共産党は決まり文句のように、「市民と一体となって云々」と言う言葉を使う。共産党と一体でなければ市民ではないのか?自分も市民の一人だと思うが、共産党に協力した覚えはない。共産党が言う市民とは、共産党シンパの市民であり、体制批判のためにデモしたり、妨害する市民団体のことである。これから市民と言う言葉を使う場合は「共産党に賛同する市民」と表現を改めて頂きたいと思う。
この程度の国民だから、この程度の政治家しか生まれない」という言葉がある。政治を変えるには国民自らが変わらなければならない。それが分っているから、虚しさだけが残る。

2017年10月16日 (月)

秋の夜長に-お酒に纏わる名言・迷言

秋の長雨が続いている。めっきり寒くなった。朝晩は「暖」が恋しくなる。
だがまだ10月。炬燵を出すにはちと早かろう。日本酒が美味しくなる季節だ。
今夜はビールを止めてお酒にするか。お酒に纏わる名言・迷言を並べてみた。


・お酒飲む人 花ならつぼみ 今日もさけさけ 明日も咲け
・酒飲みは 奴豆腐に さも似たり はじめ四角で 末はぐずぐず
・酒は酔うためのものです。他に功徳はありませぬ。 
(太宰治)
・安い酒でも楽しく飲めれば美味い酒。 高い酒でも寂しく飲めば不味い酒。
・酒は百薬の長なり。されど万病の元なり。  
(兼好法師)

・この盃を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
  花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ  
(井伏鱒二)
・老人:「お前はなぜそんなに酒を飲むのだ?」  男:「忘れるためさ」
  老人:「何を忘れたいのだ?」  男:「忘れたよ そんなことは」
・酒に罪はない。 泥酔する人間に罪がある。
・酒を飲むのは 時間の無駄。飲まないのは人生の無駄。


・避けがたいのは酒     ・「こんなの米と水ですよ~」
・酒飲みの人生 前半は肝臓を苦しめ、後半は肝臓に苦しめられる。
・酒を飲めない人は人生の半分を無駄にしている。
  酒を飲む人は人生の大半を無駄にしている。  
(悪魔の辞典より)
・「酔っ払い」とは、ウィスキーの瓶のようなものである。首と腹だけで頭がない。
・酒が不味くなる迷言:「俺の酒が呑めねえのか」


・「天国よいとこ 一度はおいで 酒はうまいし 姉ちゃんは綺麗だ」
・オヤジ:「こんなに顔がいくつもあるような化け物に身代が渡せるか」
 息子:「俺だってこんなにグルグル回るような家など、要らねえよ」
(落語::親子酒)
・酒を飲むやつはとんでもない ろくでなしだ。
  酒を飲まない奴はそのろくでなしからもろくでなしと言われるろくでなしだ。
・恋人は一瓶のワインであり、妻はワインの空き瓶である。
 (ボードレール)
・酒の害は酒が毒だからでなく、素晴しいが故につい飲み過ぎるからだ
。(リンカーン)

・春は夜桜 夏には星 秋に満月 冬には雪。 それで十分酒は美味い。
  それでも不味いのなら それは自分自身の何かが病んでいる証しだ。
・酒は楽しい時に飲むものだ。悲しい時に飲んではいけない。
  ヤケ酒は酒を造ったものに対して失礼である。
  但し、例外をひとつだけ認めよう。それは愛するものを失った時だ。
・ある哲学者の言:本に酒は体に悪いと書いてあったので、私は読書を止めた。


Photo最後はやっぱりこの歌で締めよう。

 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
     酒はしづかに飲むべかりけり

                        (若山牧水)

  


 

2017年10月15日 (日)

枝野氏の「立憲民主党」について

◆枝野氏が総選挙を前に立ち上げた「立憲民主党」が脚光を浴びている。逆に、ブームに乗るはずだった「希望の党」の影が薄くなった。もともと旧民進党全員で、希望の党に合流しようとしたところ、「あんた達はダメよ」と小池氏に袖にされ、止むを得ず行き場を失った仲間たちを糾合して立ち上げたというのが真相だろう。
結果的には、保守系から左系まで幅広く抱えた民進党が、希望の党・立憲民主党・無所属・参議院民進党の4つに分かれてしまった。仮に旧民進党が丸ごと「希望の党」に合流していれば、ひょっとしてブームに乗って第一党に躍り出て、総理の目が見えてきたかもしれない小池氏。都政のシガラミを切って出馬していたら、ついに政権交代、女性初の総理大臣誕生となっていたかもしれない。

◆しかし、それから先は小池氏が描くシナリオとはまるで違っていただろう。まさに「ひさしを貸して母屋を取られる」の例え通り、小池氏子飼いの実力ある腹心たちが皆無の中、リベラル派と言われる旧民主党の守旧派が幅を利かせ、ことあるごとに彼らとぶつかって、政権維持はおろか、内閣不信任案、解散総選挙と国政は再び混乱を来たすだろう。
小池氏もそれが分っているから、敢て「踏み絵」を踏ませ、ふるいにかけたに違いない。そもそも一挙に過半数獲得を目指し、経験薄い候補者たちをかき集め、都議選勝利という二匹目のどじょうを狙ったのが拙速だったと、自分でも悟るのではなかろうか。俄作りの政権が旨く行かないことは、「細川政権」、「自社さ政権」で十分経験しているはずなのに、「功を焦った」としか言いようがない。


◆さて今回、枝野氏は政党名に民主主義の根幹をなす大事な要素である「立憲主義」を改めて大きく掲げ、「立憲民主党」と命名した。私が受けたその印象は、「何と古めかしい名前を引っ張り出してきたのか」だった。一般的に現在における「立憲主義」とは憲法が個人の権利や自由などを保障し、巨大な権力を有する国家はその憲法を遵守する必要がある。つまり憲法によって国家権力が制限されるということになる。戦後は「立憲主義」が当然のような政治形態になっており、ことさら持ち出すこともなくなって、政党名に冠すことは殆ど無くなった。

◆枝野氏は今の安倍政権が「立憲主義にもとっている」という判断なのだろうが、こういうことを自由に主張できて、正々堂々と反対行動に打って出ることができる世の中にいるということ自体、立憲主義が確立されているという証左ではなかろうか。これが北朝鮮や中国だったりしたら・・考えただけでゾッとする。安倍政権が「立憲主義」にもとっているかどうかは個人の判断だ。総選挙で一定の答えが出るだろう

◆枝野氏の主張で一点だけ同意できる部分がある。それは「総理の解散権の制限」だ。今回の解散自体いろんなところから疑問が指摘されている。私も以前このブログで、この問題を取り上げた。解散権は総理の専権事項だとして従来から踏襲してきたが、これは憲法七条の拡大解釈に過ぎない。本来憲法を素直に読めば衆議院の解散は「内閣不信任案が可決された時(信任案が否決された時)」か「任期満了に伴うもの」に限るとするべきだ。枝野氏がそう思うならば、安倍総理の元では憲法改正論議は一切しないなどと駄々を捏ねないで、まともに取り上げ、正々堂々と論議すべきだろう

2017年10月 9日 (月)

こんな政治家はいらない

◆安倍総理が何を感じたのか、かなり危険な賭けに出た今回の解散・総選挙
彼の思いとは裏腹に小池都知事が夏の都議会選挙の大勝利の余波をかって、美酒を再びとばかり、「希望の党」を立ち上げた。ところが野党第一党の民進党前原代表はそっくりそのまま「希望の党」に合流するという奇策に打って出た。落ち目になったとは言え、まだ明確な国政政党としての体を成していない「希望の党」へ鞍替えするというのだから、日本憲政史上初めての驚天動地の出来事と言ってよいだろう。


◆しかし民進党は、多少の屈辱は我慢しても、小池頼りが勝利の近道とばかり合流したグループと、今更先行した若手の股をくぐれるかと言って無所属で戦う大物議員達のグループ、そして希望の党に撥ねられ、男の股間じゃない、沽券に係わることだから、それをバネにしてより革新的な道を進もうとする枝野氏や旧社会党系グループの3つに分裂してしまった。「立憲民主党といっているが、「一見民主党ではないかと揶揄される始末。

◆そこで問われるのが我々有権者の選択眼となる。政治家は自己PRに余念がないから、投票するに当たって「こんな政治家はいらない」という、「笑点」流の基準を設けた。

・「違うだろー! このハゲ~!」と怒鳴り散らす政治家。
・しばらく雲隠れして、ほとぼりが冷めたら、しおらしく「無所属で立ちます」という政治家。
・国会では「風林火山」のように鋭く政府を攻めながら、国会を離れると「フーリンカーサン」に変身する母親政治家。
・前回選挙で、全国で一番最後にギリギリで当選した元総理大臣経験者。
・「あれもやります、これもやります」と言っていながら、その財源を聞かれると「困っちゃうな」と言う人気取り政治家。
・全選挙区に候補者を立てながら、他党の動き、選挙区の都合により、降ろしたり配置換えしたり、まるで手品師のように人間を取り扱う独裁的政治家集団。
・国会にわずか2議席程度しか支持を得ていないのに、TVでは他党と同等以上に大きな顔をする某党と某党。
・選挙民に耳当たりのよい公約(負担は少なく、給付は多く)を吹き込みながら、当選すれば儲けもの、公約を果たせなくとも「与党じゃないから、と言い訳してきた万年野党の政治家」。
・国会乱闘の際、スカートのまま机の上に飛び乗って、目をそらせた女性政治家。
・都知事を続けるのか、国会議員となって総理総裁になるのか、ギリギリまで思わせぶりな態度で、周りを翻弄する「希望の党」党首。

 
 「気を付けよう  甘い言葉と  暗い道」

◆野党、特に左傾は「安倍1強を倒すことが先決。そのためには大同団結して当たることが必要」と叫ぶ。しかし、思いが叶って倒したとしても、そのあとの体制のことを考えているのだろうか。何の青写真もなくただ倒すことが目的では、その先の瓦解は目に見えている。薩長連合をはじめとする討幕軍は、幕府崩壊後の新体制について坂本龍馬をはじめとする有志達が新政府の青写真を描いていた。そして見事に明治新政府を樹立したという歴史上の史実から学ぶべきことは多いはずだが。

2017年9月30日 (土)

「原発ゼロ」は人気取り政策か

小泉純一郎元首相の行くところ、常に「原発ゼロ」という言葉が付いて回る。
新党を立ち上げた小池百合子氏との会談においても、「いいね。原発ゼロだよ」、
街頭に立って聴衆を前に演説するときも、「原発ゼロ、原発ゼロ」を連呼する。
まるでお題目のように「これさえ唱えていればすべてがうまくいく、幸せになれる」と訴えているようだ。そう言えば、だんだん「原発ゼロ教」の教祖様に見えてきた。


このお題目、一聞「単純・明瞭」で世間に浸透しやすい。「原発は怖い、だから廃止するのだ」。実に分かりやすい。しかし、人はこれさえ唱えていれば明日から原発はすべて消えてなくなると信じているわけでもなかろう。だが、ひょっとしてそう思い込む無知な人がいるのかもしれない。新興宗教は無知な人につけこみ易いからだ。
原発ゼロ」とはどういう状況を指すのだろうか。それは現在全国にあるすべての原発を廃炉にして、建設以前の状態に戻すことを指しているのか。また使用済み核燃料を含む膨大な廃棄物の処分も完ぺきに終了したこともって、ゼロというのだろうか。現在、その最終処分地を引き受ける自治体さえ決まらない状態だが・・。


あるいは現在、稼働中、点検中、建設中、計画中など、すべての原発の廃止を決定することをもって「原発ゼロ」とするのだろうか。福島第一原発の1~4号機は震災の翌年の4月に廃止が決定、残る5、6号機は2014年1月に廃止が決定した。廃炉・解体作業が終了するのは順調にいって2050年代の半ばと見込まれている。この間はゼロと言うのか、言わないのか。原発は廃止を決定すればそれで済むというものではない。廃炉作業に入るまでの維持メンテナンスは必要だし、廃炉作業に入っても長い時間と労力、膨大な資金が必要になってくる。「決めてしまえば、あとはお任せ」では、政治家たるもの無責任というものだろう。

震災前に28%あった全発電量に占める原子力発電の割合も、現在では数%。新規の建設をストップし、老朽化したものを廃炉にしていけば、やがて原発は無くなっていく。問題は廃炉に伴う膨大な資金を誰が負担するかだ。電力会社の負担とすれば利用者の料金に跳ね返ってくるし、「国が決めたのだから、国で」とするならば、いずれ税金になって跳ね返ってくる。さらには実際に廃炉を行う技術者の継承、育成も必要になる。
原発ゼロ宣言」したからと言って、人手、資金、時間を考慮すれば、一斉に廃炉作業に取り掛かることは不可能だろう。厳重な審査をパスした原発のみ稼働させることを前提にすれば、10~15%程度の発電のシェアを確保することができ、この間の廃炉コストの負担を軽減することができる。また、人材育成にも資するだろう。要は原発ゼロ」をお題目のように連呼する政治家は、単なる人気取り政治家に見えて仕方がない。

2017年9月28日 (木)

歴史に残るか、小池の政変

◆政変が起きる時は、予測も困難なくらい短兵急に事は起こるものだ。「大化の改新」、「本能寺の変」、「桜田門外の変」等々。
今回の安倍総理の突然の解散・総選挙は、与野党間に大混乱を惹き起こした。「解散に大義無し、自己中心の解散、疑惑隠し解散」など、与党の中でもブーイングがあったようだ。だからと言って、解散ボイコットなどの動きは起こってこない。一旦走り出せば、その動きは誰にも止めることはできない。その辺が日本の政治の不思議さだ。


◆しかも今回は「小池新党国政進出か」という予測もあり、民進党を中心に「バスに乗り遅れるな」とばかり離党ドミノが続発した。「機を見るに敏」な小池都知事、ここぞチャンスとばかり、若狭、細野二人の側近に新党立ち上げの準備を任せた。ところが予め計算していたのか、もたつく作業に業を煮やしたのか、「リ・セット」を宣言。小池氏自ら党首となる「希望の党」を立ち上げた。それから「あれよ、あれよ」と言う間に加速度的に政変が進んだ。

◆櫛の歯が欠けるように離脱者が続いた民進党は、前原代表が「一層の事、全員丸ごと合流を」と、とんでもない奇策に打って出た。あの頑固で左翼的な連中も自分の議席保持のため、見栄もプライドも投げ捨て、しぶしぶ事実上吸収合併のような合流を認めた。但し、民進党の党籍はそのままというのだから、実に分かりにくい。左右の路線対立は解消されたのか?今後の国会論戦でギリギリの選択を迫られた時、あっさり自説を曲げるのか?懸念されるところではある。まさにこの一連の動きは「小池百合子の変」と呼んでもよいくらいの政変になってきた。

◆しかし、小池百合子なる人物、「資金なし、人手なし、あるのは度胸と、愛嬌と、口車」の状態でよくやるよ。新党立ち上げの記者会見で他党から転がってきた14の国会議員を従えた姿はまさに女帝そのもの。但し、いやらしさを感じさせないところが彼女一流の演出か。小池さん、現状では「都知事」と「希望の党党首」という二足の草鞋を履くことになるが、先の知事選で、小池氏を選んだ都民に対する責任はどうなるのか。「二頭を追うもの一頭も得ず(?)」というが、女性初の総理大臣を目指すと言われる小池氏、全国の小池ファンの空気を読み取って、都知事の草鞋を捨てる批判をものともせず、総選挙に名乗りを上げる可能性は大いに在り得る。それが小池劇場の第二幕か。

◆ところで今回、衆院解散・総選挙の道を選んだ安倍総理だが、大誤算となって、「我、時期を誤てり!」となるか、思惑通り「してやったり!」とほくそ笑むか、その結論は来月22日。お灸を据える程度であればまだしも、小池新党が政権を取るようになれば、いかなスーパーウーマンといえど、一人で切り盛りするのは不可能だ。2009年9月から3年ほど続いた民主党政権の悪夢が再来(政権担当能力の無さを露呈)なんてことにならねばよいがと思うのみ。

2017年9月20日 (水)

死後の世界は存在するか(後)

◆人は何故、亡くなったら葬儀をし、お墓を建て、命日やお彼岸に墓参するのか。宗教や風習の違いはあっても基本的には同様のパターンを辿る。ひとつには死者との生前の関りにもよるが(肉親であれば猶のこと)、死者とのお別れの儀式であり、けじめをつける儀式が葬式に他ならない。しかし死んだ人にはその思いは届かない。(死後の世界はないのだから)。その意味するところは送る側の精神的追慕の念であったり、死者の功績に対する敬意の現われであったり、生前世話になった御礼、もしくは自己の精神的充足や世間体等様々な要因が考えられる。

◆式を執り行うためにはその道の専門家である僧侶、牧師、さらには葬儀屋等に頼ることになる。最近問題になっているのが、僧侶に対する布施や戒名の高額化、葬儀費用の高騰、墓地購入・建立の困難さなど、葬儀は金銭問題にも転化していることである。そこで、その反動として質素な家族葬を行い、墓地は建物内の小さな区分所有、埋葬は樹木葬、海洋散骨など自然葬が増えてきている。むしろ地方で檀家を引き継いだ世代ほど苦慮しているという話も聞く。

◆ではお墓は何のために建てるのか。それはその人がこの世に生きていた証を表すために建てるものだ。さらに故人の霊(敢えてこの言葉を使う)に向かってお参りするためにも、形がなくてはならない。それがお墓だ。ところが近年の傾向だが、地方に実家があり、お墓もあるが、子供たちは皆実家を離れ、遠いところに生活の拠点を置いた場合、子供の代まではいろいろな機会を利用して墓参りを行う。ところが年月が経ち老齢化が進むと墓参りも次第に困難になる。孫の世代になるといよいよ足が遠くなり、50年も経てば誰もお墓を見なくなる。そうして墓石だけが山のように積まれて風化していく。このため子供が近くにお墓を引っ越す動きもあるが、要は100年も経てば墓石は無用の産物となってしまう。

◆ただ、例外的に200年経っても300年経っても参拝者が後を絶たないお墓もある。それは後世に名を残した歴史上の人物や、所謂偉人と言われる人達の墓だ。こうした歴史的に価値のある墓は残していくべきだし、これからも名を残したい人物の墓は必要だろう。自分のような凡人の墓は故人の遺志や遺族の意思があれば別だが、無理に作る必要はないというのが自分の考えだ。ついでながら葬式は質素な家族葬、僧侶・戒名は不要、自然葬だからお墓も不要(遺骨は自然界に帰すから)。その大きな理由は「死後の世界は存在しない」からだ。また、お墓を造れば残された遺族の負担にもなるから、それは避けたいという思いがある。

◆前段で取り上げた米・カリフォルニア工科大学のシーン・キャロル教授だが、決して頭から宗教や信仰を否定しているわけではなく、新たな段階の議論が始まることを期待しているという。即ち「死後の世界を信じるためには物理学の標準モデルを超えた理論が必要になる」という。宗教と科学の関係はこれまでとは異なる新たなステージで話し合われるべきであり、人間と意識がどのように機能しているか、もっと興味深い研究分野が拓ける。むしろ、超新科学がスピリチュアルを説明する可能性があると主張している。そういえば今週はお彼岸だ。明日にでもお墓参りしてくるか。

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2017年9月19日 (火)

総理の勝手な解散・総選挙は憲法違反?

◆内閣が解散総選挙を決める場合にその根拠となる法規定は言うまでもなく、憲法第69条【内閣不信任案決議の効果】に明確に規定されている。即ち、
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決した時は、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と。これ以外に衆議院の解散を規定した条文は「四章:国会」、「五章:内閣」のどこにも見られない。

◆では何故、今回のように安倍総理の独断で、衆院解散・総選挙ができるのか?今までも「解散権は総理の専権事項だ」と言って、内閣の一存で、度々解散・総選挙が行われてきた。これを「7条解散」と言うそうだ。
憲法第7条には【天皇の国事行為】として「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」と規定されている。その内容は
(1)憲法改正、法律、政令及び条約を交付すること。 (2)国会を召集すること。 (3衆議院を解散すること。 (4)国会議員の総選挙の施行を公布すること。(以下6項目省略)
これらは内閣が承認したことを形式的に認めるという手続き上の行為に過ぎない。天皇がこれらを直接行うとすれば、それこそ憲法違反になってしまう。


◆したがって、7条でいう衆議院の解散や総選挙の施行は、第69条で定められた解散・総選挙の事務的承認でなければならないはずだが、「総理大臣の専権事項」として解散・総選挙までを7条に適用できるとするならば、行き過ぎた拡大解釈と言える。何故ならそれをOKとするならば、(1)項に掲げてある「憲法改正」も「総理大臣の専権事項」として処理することも可能になってしまうではないか。

◆本来野党もメディアも、「総理の独断による解散権行使」は、憲法上の不備として、問題提起し、とっくに議論しておくべきテーマだったのだ。英国は最近「無闇な解散権行使を制限する」憲法改正を行ったという。9条改正反対だけが野党のスタンスではなかろう。安倍総理の抜き打ち解散を非難する前に、こうした憲法改正も訴えておくべきだった。本来衆議院の任期は4年と決められている。無事それを成し遂げることこそ本筋だと思うが、権力者は自分の権力を誇示したいのか、安倍さんも1年3か月の任期を残して、解散総選挙をやるという。600億円ともいわれる膨大な国費を費やして。解散風を煽るメディアにも責任の一端はある。

◆野党は、不意を打たれた解散・総選挙に「横暴だ、ズルい、森友・加計隠しだ、北朝鮮への対応を空白にするのか、体制が整っていないのに卑怯だ」等々、右往左往するが、逆に言えば安倍さんの策士振りが際立つ。世界の海千山千のリーダー達と渡りあっていくには時に権謀術数も必要だ。森友・加計問題をいつまでもゴチャゴチャやっている場合ではない。すでに司直や当該機関の手に移っているではないか。そんなことしか追及できないのかと能力を疑ってしまう。また野党統一候補擁立の動きも異様だ。選挙の時だけまとまるなら最初から一本化して合併してしまえと言いたくなる。仮に間違って過半数をとってしまい、政権運営する立場に立たされたらどうする気なのか。その先のシナリオは過去に何度か見せられて、結局国民にNOを突き付けられたではなかったか。あれから進歩しているどころか悪化しているように見えるのだが。

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2017年9月18日 (月)

死後の世界は存在するか(前)

◆「人は死んだらどうなるか」、「死後の世界は存在するか」・・・人類始まって以来の永遠の課題である。この問題に米・カリフォルニア工科大学の物理学者で宇宙学者でもあるシーン・キャロル教授は、物理学の法則を広範に研究した結果、死後の世界にまつわる議論に自ら終止符を打った。その結論とは死後の世界は存在しないということだった。

◆古来より多くの宗教によって「死後の行き先」の存在が示され、「死後の世界」はもはや前提となっている。死者を弔う儀式、いわゆる葬式も多くの場合、死者を次の世界へ「送る」というコンセプトで執り行われている。それは人間の死生観に基づくものであり、そこに道徳・宗教・哲学が入り込む余地が生まれる。死後の世界は誰も見たことがない故、人間の想像が生んだ産物であり、結論はあって無きようなものだ。しかし、キャロル教授によれば死後の世界が存在するということは、「脳内の情報を死亡後に維持する」ということであり、それは不可能であると結論づけた

◆即ち、「日々の出来事の基礎となる物理学の法則は完全に理解されており、すべての出来事は可能性の範囲内で起こっている」、「もし死後の世界が存在するのであれば、我々の”意識”が肉体から完全に分離できるものでなければならないが、物理学の見地からそれは不可能である」という。さらにキャロル教授によれば我々の意識もまた究極的には原子と電子の組み合わせによる現象である。そして宇宙の基本法則は、我々の肉体的な死後に肉体から分離した要素の存在を許さないということだ。

◆キャロル教授がその主張の論拠としているのが「場の量子論」である。どのような粒子やエネルギーも一定の”場所”を占めているとする考え方だ。光子であれ電子であれ、質量がないように思われる最小構成要素にも自分だけのテリトリーがあるということになる。したがってもし「死後の世界」があるならば、場の量子論的には死後の世界や魂の”場所”がなければならないということになる。しかしそのようなスピリチュアル(精神的な、霊的な)場所はこの宇宙に存在しないという。場の量子論を含む物理法則の観点からは、死後に肉体から何らかの要素が分離して生き延びる方法も場所もないということになる。

◆自分はこのネット情報を読んで、普段漠然と思っている疑問がスッキリした感じがした。人は死ねば一般的に火葬され、骨や灰の9割は炭素となって埋葬される。他の殆どの元素は気体になって蒸散してしまう。即ち宇宙に溶け込んでしまうのだ。スピリチュアルなものでない単なる元素や素粒子として。しかし、人は死後の世界は存在しないと解っても葬儀、埋葬、供養等の長年馴染んだ習慣とは簡単に縁が切れるものではない。後段ではその部分に焦点を当てて考えてみたい。(続く)

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2017年9月14日 (木)

北朝鮮を正常国家に戻す手立てはあるか。

◆テレビから「極悪非道な挑発行為云々」などという声が聞こえてきた。北朝鮮の一連の不法行為や核・ミサイルによる威嚇・挑発に対して、国連が非難する言葉かと思いきや、実際はその逆で、国連の制裁決議への北の異常とも思える反応だった。「極悪非道な行動」をとっている国が、それを諌めようとする国際社会に対して「よくもまあ、シャーシャーと言えるよ」と思うが、その体質こそが北朝鮮という国そのものだ。

◆何故こんな国家が存在するのか? 近代の歴史を紐解いてみると李氏王朝時代、日清戦争に勝利した日本は」の属国であった朝鮮半島を開放して、「韓国」という独立国を樹立させた。1909年(明治42)、韓半島の植民地化に反対していた伊藤博文が韓国総監を辞任した後、ハルピンで安重根に暗殺され、これにより日本国内の世論や動揺した韓国の併合推進派である韓国最大の政党「一進会」の嘆願などもあって、1910年(明治43)、日韓併合条約を結び、日本領朝鮮として実質植民地化した。併合にあたっては日本は各国に打診、米・英は半島の安定を考慮して賛成し、清・露・伊・仏・独といった当時の主要国からの反対も全くなかった。

◆その後、1945年8月、日本が米国をはじめとする連合国に降伏し、9月9日朝鮮総督府が米国に降伏するまで35年間続いた。戦後この間の日本の負の面ばかりが強調されるが、身分開放、土地政策、教育文化政策、経済インフラ等において、旧弊依然たる韓国の近代化に貢献したことは、老齢の韓国人達の証言にも残っている。日本が日中戦争、太平洋戦争に突入するまでは朝鮮半島は中・露からの圧力を受けず比較的平和な時代が続いたと言える。

◆日本は敗戦により朝鮮半島を放棄せざるを得なくなったが、その空白を埋めるため米・ソが進駐し、1948年8月に大韓民国(李承晩大統領)を、9月に朝鮮人民共和国(金日成首相)をそれぞれ米・ソが後ろ盾となって、分裂国家を誕生させたことが悲劇の始まりだった。冷戦時代の大国のエゴの犠牲とも言えるが、もとは同じ民族、互いにいがみ合う必要は全くなかった。共産主義のソ連の影響を受けた「北」は北主導による半島の統一を目指して、1950年6月、38度線を突破して「南」に侵攻した。朝鮮戦争の勃発である。


◆その後、1953年7月休戦協定を締結したが、38度線を境にした睨み合いが64年も経った今日まで続いている。ソ連・中国という共産主義国家をバックにした北朝鮮は、両国を見習って軍優先の独裁体制を築いた。今の北朝鮮を見るにつけ、「国際社会」という名の一方的な正義を押し付けられ、意固地になっている姿はかつて第二次戦争に突き進んだ日本と妙に重なって見える。日本は「核」を落とされ始めて目覚めた。「核とミサイル」を持った北朝鮮はそれを武器に威嚇・挑発を繰り返すが、一つ間違えば世界核戦争になりかねない。制裁という兵糧攻めで「降参」するか、それとも「窮鼠猫を食む」で「暴発」してしまうのか、当面手立てはなさそうである。いずれにしろ北が開発した「核」が国際テロ組織の手に渡ることだけは何としても許してはならないことだけは確かだ

2017年9月 7日 (木)

民進党のお家芸、人事のゴタゴタ発生

◆民進党代表戦で前原氏が枝野氏を破って、新たな再生のスタートを切ったかに見えた。しかし就任早々、早くも人事を巡るゴタゴタが発生。前原氏は幹事長ポストに若手のホープ山尾氏を一旦内定したが、彼女の不倫問題が週刊誌等で報じられる見込みとなり、急きょ人事の差し替えを行った。党内では「経験不足の山尾氏に党をまとめられるのか」という声や「世代交代が一気に進む」といった「やっかみ」、「このままでは選挙が戦えない」と言った警戒感の声があがり、前原氏はスタート直後に人事の差し替えを余儀なくされた。

◆2006年の偽メール事件では、ガセネタを掴まされた若手議員をかばい続けた結果、代表辞任に追い込まれた。今度はその轍を踏むまいと、まだ本人の公式な説明もない段階で「泣いて馬謖を切って」しまった。またしても人事の躓きで、前原氏の求心力低下は避けられない。民進党(旧民主党)は発足当初から人事のゴタゴタはお家芸のようなものだ。元々右から左まで寄せ集めの民主党は理念・政策の隔たりが大きいため、重大局面になると政策の不一致、感情的好悪が露呈して内紛もあったが、最終的には政権担当能力が問われて、自壊の方向に向かっていった。

◆2009年、国民は長く続いた自民党政権に嫌気がさし、清新なイメージの民主党へ一度は任せてみようと政権を託した。失言続きの麻生政権の後を受け、308議席という記録的な大勝利を収め、政権交代を果たした。しかしその後の3年3か月の民主党政権の行跡・功罪は改めて書くまでもない。民主党から政権を奪取した自民党安倍政権は5年9か月の長期政権となり、安倍一強の中で緩みが出てきたのか、政権運営に黄信号が点灯した。そういう絶好のチャンスが巡ってきたというのに、民進党はこの体たらくだ。

◆この5年9か月、民主党はいったい何をやってきたのか。むしろ政権交代直後より大きく後退したのではないか。自党だけでの党勢拡大が無理だとすれば、安易に共産党との選挙協力に頼ろうとする。それを見て保守系議員は党の未来に失望し、離党ドミノが加速する。野党として攻めに回っている時は勇ましく格好いいが、一旦政権に就いた途端、あやふやな舵取りで方向が定まらない。このまとまりの無さは党の成り立ちに起因するのではないか。旧社会党出身のグループはもともと労働組合の労働貴族あがりが主流、地道に汗をかくというより、理論武装で頭でっかち。会社経営や国家の運営という大きな責任を負わされるより、もともと得意な批判勢力でいた方が居心地がよい。

◆今回前原氏が共産党との選挙協力の見直しを掲げ、中道保守的党運営を示して代表就任を果たしたのは、かつての青臭さから一皮剥けたかなと期待を持たせたが、豈図らんや相変わらず人事面で脇の甘さを示す結果となった。真に政権交代を任すには自らのリーダーシップを高め、人材発掘と育成を図って、党の体質改善を図らなければ、当分の間浮上するのは難しいだろう。

2017年8月29日 (火)

ハウステンボスの「変なホテル」に宿泊

夏休みの家族旅行の一環で、長崎ハウステンボスに隣接する話題の「変なホテル」に泊まった。チェックイン・カウンターの真ん中には美女が、両隣には恐竜のロボットがそれぞれテレビで見た通り並んでおり、「いらっしゃいませ」と声をかける。美女にはドギマギするので、一方の恐竜のカウンターで受け付けするが、若い人達のようにはスムースにいかず、結局係員を呼ぶ羽目に。

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このホテル2年前にオープンしたが、ロボットが受付するということで当時大変注目を集めた。人手を省力化して、極力ロボットに任せようというコンセプトらしいが、すでに今年の3月には浦安に、8月には愛知県蒲郡に3店目をオープンさせるなど人気は高まっているようだ。しかし、若い世代や子供たちはすぐに溶け込みやすいが、シニア世代は予めよく調べるなり、説明を受けていないといきなり行ったのでは戸惑うことばかり。室内にはかわいい(?)案内ロボット「チューリーちゃん」がいるが、声をかけ、時折相手をしてやらないとだんだん不機嫌になる。なんでわざわざ佐世保くんだりまで出かけ、ロボットのご機嫌をとらなくちゃなんないのか、こっちの方が不機嫌になる。

部屋は2階建て、12室の棟が7~8棟、アパートのような、ロッジのような、リゾートホテルというにはやや狭いし、都会のビジネスホテルに毛が生えたようなもので、設備面では料金と対比してやや不満が残る。
朝食は独立したレストラン棟「オーラ」で、ビュッフェ形式。こんなに泊まっていたのかと思うくらい続々人が集まる。中では中国語が飛び交い賑わっている。地元長崎の食材や郷土料理なども並び、食事はGoo!ガラス部屋の野菜工場では、レタスや葉物などが生き生きとした姿を見せ、新鮮な取り立て野菜が食せるようになっている。
しかし、ホテルや旅館はサービス業の最たるもの人と人との繋がりがあってこそのサービス業だろう。ロボットに委ねようという発想も、分からなくもないが、やはり「変なホテル」であることに変わりはない。


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長崎稲佐山展望台レストランより、世界三大夜景を見る。

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ハウステンボス、光のページェントの中、運河を航行する。

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奥の方に発売当時1億円した分譲住宅が並ぶ。運河に面した自分の家の庭にはkルーザーやヨットが停泊できる。
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大村湾の出口、針尾瀬戸に架かる西海橋。小学6年(1955年)に完成し、その年、見物に出かけた記憶がある。現在はこの橋に並行して新西海橋ができていた。干潮満潮の動きで渦潮ができ眺望スポットになっている。

2017年8月20日 (日)

身動きがとれなくなった文在寅大統領

◆大統領に就任したら真っ先に「条件が整えば平壌にも行く」として、対話を通じた北朝鮮核問題の解決に意欲を示した文在寅韓国大統領。しかし、就任100日経った今でも、会談はおろか、南北離散家族の再会の提案に対しても無しの礫。代わりに北朝鮮からはICBMの発射というキツーい一発を見舞われた。金正恩が言いたいことは、「日・米と手を結びながら北との対話だと?舐めんじゃないよ。相手はお前さんじゃないよ」とでもいうところかな。なんだか、かつて民主党の鳩山さんが、最低でも県外と言って、自縄自縛になったことを思い出す。

◆在韓米軍のTHAAD配備に執拗に反発していた中国は、それまで中国に配慮して態度を曖昧にしていた韓国が、2回目のICBM発射におじけづいたのか、発射の翌日に方針を朝令暮改して、米との早急な追加配備の協議に踏み切ったことで、中国の怒りは頂点に達した。文氏は8月中の中国訪問を目指していたが、中国が応じる気配はないという。

対北融和政策を掲げる文在寅は「北」が対話に応じるものと甘い判断をしたが、トランプ大統領は「北」に前のめりの文大統領に、本気で制裁に取り組む気があるのか疑念を持ってしまった。文大統領はトランプの無言の圧力にビビッてしまった。結局、己の力を過信した文大統領は、正しい情勢判断ができず、北からは無視され中国からは反発され米国からは疑念を持たれてしまい、身動きがとれなくなってしまった。
文氏は側近に嘆いたという。「我々にとって最も切迫した朝鮮半島問題で、韓国は現実的に解決する力も、合意を引き出す力もないという事実だ」。その通り。「よく分かったならば、日本とよく相談しろ」と言いたいところだが、現実はその逆。


嘆きの矛先は日本に向かった。こういう場合の神頼みが日本叩きだ。2015年の慰安婦問題解決合意の見直し、バスの中の慰安婦像設置の黙認。強制徴用工問題の蒸し返し、徴用工と見られる像の設置の黙認。韓国民の目を日本叩きに向かわせた。そもそも韓国国民に美的感覚、美意識はないのだろうか。バスに乗ろうとしたら乗客が一人座っている。よく見ると慰安婦像だったとすれば、ゾッとするだろう。今度新しくできた徴用工と見られるやせ細った男性像。どう見ても美しくも美術的でもない。こんな像が韓国中に設置されたとして、韓国の人たちは自分たちの美意識を疑わないのだろうか。

間違った韓国の対日歴史認識が改まらない限り、日韓関係は良くならない。文氏は言う。「過去の歴史問題が韓日関係の未来志向的な発展の障害になってはいけない。過去の問題は過去の問題。未来志向的な発展のための韓日間の協力は協力として、別のものだ」と。その通り、よく分かっているではないか。しかし、「虚偽の歴史を教え続けながら、それをもって未来志向的な発展の障害にしているのはどこのどなたか?」、胸に手を当てよくよく自問自答して欲しいもの。

◆戦時中の強制労働を巡る訴えが国際司法裁判所(ICJ)に持ち込まれた例があるという。イタリア最高裁は2004年、戦時中に強制労働させられたイタリア人がドイツ政府に賠償を求めた裁判で、訴えを認めた。ドイツはこれを不服としてICJに提訴。ICJは12年の判決で、ドイツの主張を認めた。韓国の一連の不当な動きに対して、埒が開かないなら、国際司法裁判所に持ち込んで白黒はっきりさせるよう、日本政府の強い決断が求められる
(参照:8月19日付読売新聞)

2017年8月13日 (日)

史上最強内閣‥夏の夜の夢

政治の劣化が叫ばれてから久しい。8月3日、安倍総理は内閣を断行し、支持率は幾分持ち直したものの、改造の成果が表れるのはこれから。仕事師内閣の本領が問われるところだ。「夏の夜の夢」というシェークスピアの喜劇があるが、真夏の夜のひと時、夢見ながら時空を超えて「これぞ史上最強の内閣」というものを思い描いてみた

内閣総理大臣       聖徳太子
財務金融大臣       徳川吉宗
総務大臣女性活躍    北政所
(秀吉の正室・寧々殿)

法務大臣          大岡越前守
外務大臣          勝海舟
文部科学大臣       新渡戸稲造
厚生労働大臣       光明皇后
農林水産大臣       二宮尊徳
(金次郎)

経済産業大臣       渋沢栄一
国土交通大臣       岩崎弥太郎
環境大臣少子化担当   与謝野晶子
防衛大臣          西郷隆盛
官房長官          大久保利通
国家公安防災担当    長谷川平蔵
(別名鬼平)

沖縄北方担当       高田屋嘉兵衛
経済再生行政改革    上杉鷹山
科学技術地方創生    平賀源内


【記者席寸評】
・「聖徳太子の総理大臣はどなたも異存ないでしょう。名前に『徳』 が表れています」・「官房長官の大久保利通は実務派で、睨みが効きそうですね。しかしその大久保と防衛大臣の西郷が旨くやっていけるか心配です」・「財務大臣の徳川吉宗は質素倹約が持ち味ですから、膨大な国の借金を減らすには適任者ですね」・「経済関係閣僚の渋沢、岩崎、上杉鷹山、二宮尊徳あたりは大いに期待が持てそうです」・ 「科学技術地方再生の平賀源内、沖縄北方担当の高田屋嘉兵衛も面白い存在ですな」・「女性大臣に北政所、光明皇后、与謝野晶子の三人が選ばれました。それぞれ持ち味を発揮すれば素晴らしい内閣になるでしょう」・「この聖徳太子内閣は全体として重厚しかも皇室から、将軍、官僚、学者、商人など多士済々、まさに史上最強の内閣と言っていいんじゃないでしょうか」・「他に意見があったらどうぞ」

2017年8月11日 (金)

「核兵器禁止条約」に思うこと

◆被爆72年目を迎えた8月9日、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われた。一連の進行の中で、老若4人による「献水」の儀式の際、中学3年の時の同級生が登場したのは驚きだった。齢を重ね見事に老成しているものの、若き日の面影を残していたことが嬉しかった。さて今年の式典で、田上長崎市長の「長崎平和宣言」は例年にも増し、厳しかった。先月7日、国連で採択された「核兵器禁止条約」について、その大部分を割き、柔らかい口調ながら、日本が同条約に未だ参加しないことの非を訴え、ついには「総理、あなたはいったいどこの国の総理なのか」と問う場面もあった。

◆「核兵器禁止条約」とは、核兵器の全廃と根絶を目的として起草された国際条約で、正確には「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止並びにその廃絶に関する条約」の事である。2017年7月7日に122か国・地域の賛成多数により採択された(*)が、米英仏中露などすべての核保有国が参加せず、アメリカの核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア、韓国など核抑止力に依存する国も殆ど参加しなかった。
(*)この交渉会議には国連加盟国193か国が出席。投票の結果122か国が賛成した。NATOに加わるオランダが反対。シンガポールは棄権した。

◆日米安保条約に依拠する日本は、従来からこの条約の批准に応じていない。政府は3月の交渉会議で「北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」と表明し、5核保有国などと歩調を合わせてボイコットした。米国の「核抑止力」を国家安全保障の柱に据える国々は、近い将来の条約加盟が見通せない状況だという。
被爆者や核廃絶を目指す非政府組織(NGO)からは「条約に加盟して、唯一の戦争被爆国として核廃絶を目指す役割を果たすべきだ」という批判の声が上がっている。しかし、核保有国が加盟しない条約では何ら実効性が伴う訳でもなく、条約に賛成することによって日米の亀裂と、安全保障上の不安をどのように払拭するのか、難しい選択を迫られる。


◆確かに唯一の被爆国日本が「核兵器禁止条約」に参加しないということは、いかにも説得力を持たない。口先だけの平和外交と言われても仕方がないだろう。どうせ実効力を伴わない条約であるならば、馬鹿正直に現状を追認するだけでなく、米国に根回しした上で、「核兵器禁止条約」の賛成に回ったらどうだろうか。多くの賛成国のリーダー的立場となり、平和を主導する役割を演じることになる。アメリカが日米安保の破棄を求めるならば、その時は彼ら多くの賛成国の声をバックに平和外交を貫く時がやってくる。それが外交というものだ。但し、中国の圧力と北朝鮮の核の脅威は高くなることを覚悟の上での話だが

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長崎平和記念像 (昭和30年8月8日完成、筆者が小学6年の時)

«中国共産党「A.I.」を逮捕か?(笑)