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2017年12月 9日 (土)

無人島の防衛を考える

◆先月1日から昨日までの40日ほどの間に日本海沿岸に漂着した北朝鮮の木造船は47件を数え、40人余の生存者、20余の遺体、難破して破壊された船体の残骸などで、地元漁民、自治体はおろか、日本自体が大変な迷惑を被っている。なかでも北海道「松前小島」に漂着した木造船は10人の乗組員を乗せ、地元漁民の番屋に侵入し、数日間寝泊まりして、生活物資から家電、発電機、燃料など根こそぎ持ち出すなど、まるで大型台風に襲われたかのような被害をもたらした。被害総額は1000万円に及ぶと言う。

◆逃げ出そうとしたところを、日本の巡視船に捕まり、取り調べのため数日間舷側に横付けされていたが、勝手にロープを切断して、再度逃げ出したところを今度は強制逮捕3人、連行6人、(1人は入院済み)と日本も業を煮やしたように強行態度に出た。この木造船の正体は抵抗する態度から、尋常ならざるものと推定されたが、確かに「朝鮮人民軍第854軍部隊」の工作船と判明した。

◆助けてもらって感謝するどころか、日本の常識的な取り調べ態度を弱腰と見ているのか、北の「核・ミサイル」の強硬姿勢に日本が恐れをなしていると甘く見ているのか、彼らの強気な姿勢はまさに「盗人猛々しい」とはこのこと。世が世であれば市中引き回しの上、打ち首獄門といったところだが、現代の法律では人権尊重の観点から裁きに時間が掛かるため、まどろっこしい、「隔靴掻痒」の感がある。

◆ところで、日本には6800余の島があり、うち無人島の総数は6400余ほどあるそうだ。これらの無人島で重要な意味を持つ島は尖閣諸島など国境に位置する島や、福岡県の沖ノ島のように神域として管理されている島などがあるが、今回の「松前小島」のようにある特定のシーズンだけ、仕事場として住居としての役目を持つ島が、近隣諸国の格好の餌になることをこの事件は教えてくれた。今後北朝鮮の崩壊が予想される中、多数の難民や難民に紛れた工作員、人民軍兵が襲来することを想定しなければならない。

◆現在離島の防衛・警護は海上保安庁や各県警の水上警察が当たっているが、守るべき海岸線、領土・領海はあまりに広く、人手は全く足りない。こうした近隣諸国のあらゆる事態を想定して法整備はもちろん、船舶、装備、人員の増強を早急に図らなければならない。日本は幕末に、異国船の来襲に備えて沿岸防備、装備の精鋭化、人員の育成に真剣に取り組んだ。今まさにその時の教訓に学ぶ時ではなかろうか。

2017年12月 6日 (水)

「ロシアの平昌五輪参加禁止」のIOC決定を支持

◆国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が国家ぐるみのドーピングが指摘されているロシアに対し、来年2月に開催される平昌冬季五輪への参加禁止を発表した。大変な英断であると大いに評価したい。ロシアがどのように否定し反発しようが、国ぐるみで組織的な不正を行い、隠蔽工作をしたことは紛れもない事実。ロシアの連盟幹部が「内部告発者は祖国ロシアへの裏切り者だ」と批判していることが、そのことを如実に物語っている。

◆ロシア国内では当然の如く、怒りの声が広がっているという。ロシア・オリンピック委員会の会長は、IOCの決定は「全くもって不公平だ」と語り、「これはロシアの国技の抹殺に他ならない」と反発する。また「罪のない人間を罰するのは不当かつ不道徳だ。五輪の基本理念と完全に矛盾する」と被害者を装う。IOCの決定はロシア国内では「国が侮辱を受けた。競技をボイコットすべきだ」と言う声も上がっているという。

◆事情を知らない人が聞けば、「なるほどもっともだ、ロシアの言い分も聞くべきだ」と思うかもしれない。しかし、IOCも今回の平昌五輪に関しては、真にクリーンな一部の選手やチームについては、厳格な条件下で個人資格として出場を認めるとしている。(国家代表ではない) この決定にあたってはIOCの苦い経験があったようだ。それは前回のリオ・五輪の際、WADA世界反ドーピング機関はロシア選手団のリオ五輪からの全面排除をIOCに勧告していた。しかし、IOCは最終的に大国ロシアへの政治的配慮選手個人の権利擁護とのバランスを考えて、厳格にNOを突き付けられなかった。そのために玉虫色の決定を行ったことで、その後のロシアの変わらぬ体質を見過ごすことになったという失敗があったからだ。

◆何故ロシアは国家ぐるみのドーピングを続けるのか? それは大戦後の東西冷戦下で旧ソ連は、社会主義体制の国威発揚の手段として、ステート・アマと言われる選手を大量に育成し、五輪や各種目の世界大会をフルに活用した。当時の米・ソ・東独のメダル獲得競争は凄まじかった。ドーピング疑惑が言われだしたのもこの頃である。1989年冷戦終了後、ソ連が崩壊すると国家財政の逼迫で選手養成制度も崩壊、有望な選手やコーチも活躍の場を海外に求めた。その結果、しばらく国際大会で低迷が続いたが、2000年にプーチンが大統領に就任すると、かつての栄光を再びとばかり、ロシア経済の不況にも拘らず、スポーツの強化に乗り出した。国を挙げてスポーツ王国の復権を誇示しながら、ロシアの政治的、国家的威信を世界に示そうとしているのだ。

◆そのためには例え違法であっても、結果が全てだ。バレなければ何をやっても構わないというKGB(旧ソ連の情報機関・秘密警察)出身のプーチンの謀略体質に起因するのだろう。ロシアのドーピングが意味するところは、単に選手やコーチの利己的な勝利への欲望という単純なものではなく、ロシアという国家の政治によるスポーツ利用の表れであり、国家や為政者の覇権主義の醜悪な欲望がスポーツの場で表面化したところに最大の問題がある点だ。ロシアの国家主導のドーピング違反に対してIOCの玉虫入りの決着は、スポーツが持つ正義や公平という根本的理念をIOC自らが崩壊させてしまうものであるから、今回の決断が腰砕けにならぬことを祈るのみ。
*参照:早稲田大学スポーツ科学学術院長 友添秀則教授「ロシアのドーピング問題」(2016)

2017年12月 1日 (金)

いつまで続けるモリ・カケ問題

◆今特別国会で、衆参予算委員会が4日間開かれた。その大半が森友問題加計問題に費やされた。野党側は真相究明と意気込み、何とか存在感を示して安倍政権に打撃を与えようと必死だ。一方政権与党は丁寧に説明すると言いながら、疑惑解明の詳細には至らず、このまま幕引きを図りたい様子。しかし我々国民から見て、いつまで埒の開かないモリ・カケ問題をやっているのか?そんなに固執するほど国家存亡に関わる重大問題なのか?と思わざるを得ない。特に左翼・リベラル系と言われる野党は他に山積する国内外の問題より、この問題の方が重要だと思っているらしい

◆結局、森友問題の本質は、安倍総理夫妻が籠池氏の経営する森友学園の教育方針に感銘を受け、応援する姿勢を見せたことに端を発する。ところが籠池氏側は最大限これを利用し、詐欺まがいのやり方や、学園建設用地の地中ゴミの撤去費用を不当な値引き交渉に利用するなど手練手管を駆使して、国有地を安く買い叩いた。安倍総理側は彼の正体が分かるにつけ、身を引こうとするが、森友学園開設の動きに官僚・役人たちは総理が関わっている案件と過重に忖度する事態を生み出した。会計検査院は8億円値引きの根拠が不透明だと指摘するにとどまり、それらの過程を示す文書の存在が不明なまま平行線を辿ることになった。即ちこの問題は、一人の悪人に対する安倍総理側の軽率な動きとそれを忖度する官僚たちの役人根性がなせる業だったと言えよう。

加計問題本質はより明瞭である。獣医学部の新設は、医大の設置などとともに設置認可を申請してはいけないという文科省の告示(平成15年3月)があったと言うのだ。だとすれば、これは新規参入を認めない中世のギルドのようなもの。これを盾に文科省と結託して50年間築いてきた既得権益を死守しようとする勢力(反安倍)と、これに対し国家戦略特区を設けて、規制緩和を推進しようという勢力(親安倍)との争いがことの本質と言える。

◆野党、特に立憲民主、社民党、共産党は朝日新聞等のメディア操作の追い風を受け、安倍総理と加計学園の理事長が友人であることを盾に「便宜を図ったのではないか」などど問題視する質問を繰り返す。この二人の間で贈収賄でもあればそれこそ問題だが、そんな証拠は一切ない。この問題に関しては旧民主党時代に今治市を構造改革特区に格上げして、獣医学部新設を嘆願していたのも民主党議員だったというが、何故突然豹変したのか不可解だ。また前川前事務次官の不思議な夜の行動もメディアのもみ消しが功を奏したらしい。

森友問題にしろ、加計問題にしろ、これが国家の行方を左右する大問題なのか。何か月もかけて国会で「やったろう」、「やってない」の水掛け論を続けることが国益になるのか。「そうではない、あくまで重要な問題だ」と主張するなら、この先何年でも不毛な論議を続けたらよい。野党は国民にソッポを向かれるだろう。安倍政権は疑惑を持たれないように常に「瓜田に履をいれず、李下に冠を整さず」の姿勢を貫かねばならない。野党は感情的で、安倍降ろしが究極の目的であるかのように見えるが、自分たちが政権を担う場合もあることを遠望し、国家のため国民のため「他山の石を以て、玉を治むべし」の心構えで、日々精進して欲しい。

2017年11月28日 (火)

独断と偏見、ベスト横綱/ワースト横綱

◆今年の最後を締めくくる大相撲九州場所は、白鵬の歴代最多通算40回目の優勝で幕を閉じたが、後味の悪い場所となった。場所前の鳥取巡業の際、酒席で日馬富士の貴ノ岩に対する暴行事件が発覚。それに関して貴乃花親方の刑事告発、協会との確執の表面化、メディアの連日の過剰反応など、大きな問題に発展した。

Fotosutanndosumo71◆場所後の日馬富士への処分がどうでるか注目されるところではあるが、横綱は力量・品格ともに抜群であることが求められる。横綱は現在、72代の稀勢の里まで存在する(した)が、この中で真に力量・品格ともに抜群とされるのは、第4代の谷風第35代の双葉山が別格の存在とされ、力士の模範とされている。しかし、模範となる横綱ばかりではない。そこで独断で、昭和以降のベスト横綱、ワースト横綱をランキングしてみた。

 【ベスト横綱ランキング】  優勝回数  特記事項等
第1位:35代 双葉山 12回 69連勝 不世出の横綱、相撲の神様、昭和の角聖
第2位:48代 大 鵬  32回 45連勝 一代年寄 柏鵬時代、没後国民栄誉賞
第3位:58代 千代の富士 31回 53連勝 ウルフ、小さな大横綱、国民栄誉賞
第4位:65代 貴乃花 22回 平成の大横綱 一代年寄、相撲道追及に固執
第5位:55代 北の湖 24回 32連勝 モンスター、輪湖時代を築く、一代年寄
第6位:44代 栃 錦  10回 江戸っ子横綱、マムシ、名人横綱、業の展覧会
第7位:45代 若乃花 10回 土俵の鬼、栃若時代を築く 戦後最軽量横綱 


ワースト横綱ランキング】
第1位:60代 双羽黒 1987年12月初場所前に親方と意見の対立から部屋を脱走、
    そのまま廃業する。歴代横綱で唯一優勝経験なし。在位8場所の短命横綱
第2位:39代 前田山 1949年10月 本場所を休んで、来日中の大リーグの試合を
    観戦。問題となり引退表明。優勝1回、在位6場所の短命横綱。
第3位:68代 朝青龍 優勝25回 巡業を休んでモンゴルでサッカー。2010年
    1月場所中泥酔して一般人に暴行。横綱として初めて引退勧告を受ける。
第4位:69代 白 鵬  優勝40回、双葉山と大鵬を尊敬、平成の大横綱
第5位:70代 日馬富士 優勝9回 筋肉質の細身・軽量ながらスピードが持ち味。

白鵬は朝青龍引退後一人横綱として、角界を引っ張り大いに評価されたが、ここ数年相撲の取り口に「カチアゲ」、「張り差し」など乱暴な手口が目立ち、「横綱としてどうか」という評価も出ていたところ、今場所の嘉風との取組みで、勝負判定に不服を示した態度も評価を下げた。技量は抜群ながら、品格に欠ける一面を露呈。この辺りを改善すれば、逆にベスト4位か5位にランクしてもよいかと思われる。
日馬富士は切れ味鋭い取組みで、軽量をカバーするが、怪我が多いのが難点。相撲を離れては大学院で勉強。絵画は素人離れ、慈善事業にも精を出すなど素晴らしい横綱の素質持っていると思いきや、今回の暴力事件で酒癖の悪さを露呈。残念なことだが、たぶん引退を勧告されるだろう。

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2017年11月26日 (日)

東京オリンピック開催に黄信号

◆2020年東京オリンピック開催まで残り971日となった。これまで日本は国家的大きなプロジェクトは国家の威信にかけて幾度も成功させてきたが、今度ばかりは必ずしも万全とは言えないようだ。希望の党代表を辞任した小池百合子東京都知事が国政進出を目論んでいた間に、築地市場の豊洲移転をめぐる問題はより複雑化し、東京五輪の計画さえ危うくする事態に陥っているという。

【豊洲でゼネコンが受注拒否の衝撃】
11/13日の日経新聞が報じるところよれば、豊洲市場の土壌汚染対策に関する追加工事で、9件ある工事の入札のうち、落札したのは2件にとどまり、7件が不調や中止になっているという。追加工事は豊洲移転の前提であるため、入札不調で工事が遅れれば、来年10月で調整している移転日程がずれ込む可能性が高まった


◆何故不調に終わっているのだろうか。ある都のOBは「どうやらゼネコン側の意向は政治的にも、技術的にもリスクが大きすぎる。ゼネコンにすれば、とにかく最後まで逃げ回りたいということだろう」と推測する。というのも、もし追加工事をやり遂げても、再び地下水が出てきたり、地下水や空気中から多量の汚染物質が検出される可能性は高い。ゼネコン業界では、豊洲市場の地下構造上、例え追加工事をしても、それら汚染物質の発生は防ぎきれないという声が出ているという。(但し、市場の運営にあたり地下水を利用しない限り、安全であるという評価は専門家の間で出ている。)

◆小池百合子知事は大規模な工事では「一者入札」を原則として認めない新ルールを6月に導入した。入札制度の透明性を高めるのが狙いだが、9件ある追加工事のうちすでに4件は新ルールに抵触し、入札の前段階の手続きが一時的に中断。今回残りの5件についても大半が入札不調に終わったことで影響がさらに広がりそうだという。従来通り主落札者の付帯工事として、新たな契約を進めれば大きな混乱はなかったようだ。

◆都の計画では、豊洲の移転後に築地市場を解体。この跡地に五輪開催中の選手や関係者を輸送する車両の駐車場の役割を果たす「デポ」を設置する計画となっている。さらにはその跡地の地上部分に輸送道路を新設する計画が進行中だ。デポ設置のためには、豊洲市場の追加工事を来年7月に完成→9月に小池知事による安全宣言」→10月に豊洲市場が開場、との既定路線が完遂されなければ間に合わない。しかし、9月以降の入札不調によって、豊洲の工事が予定通り完了する可能性は難しくなった。もし工事が完了したとしても、地下水や汚染物質を抑えられるかどうかは不透明だと言う。この場合小池知事の都民に対する説明・説得が欠かせないが、果たして?

◆築地を予定通りに解体できなければ、大会期間中(前後やパラ五輪も含め)の選手や関係者の輸送という重要な課題に支障を来たすことになる。まさに豊洲追加工事の遅れがドミノ倒しのように、五輪の計画を崩壊させてしまいかねないと言うのだ。仮にそういうことになれば日本への信頼は一気に地に堕ち、恥を晒すことになる。日本人はいざとなれば一致団結して事に臨んで解決してきた。だが、近年様々な分野で無責任な風潮が現れ始めている。2020東京オリンピックも、なんとか困難を克服してやってくれるものと信じたいが、あまり楽観的予測は禁物のようだ。

2017年11月21日 (火)

体年齢、脳年齢、血管年齢等を測定

◆高齢の域に入ると、いわゆる未病の状態に入るケースが多いと言われている。未病とははっきりした病気の状態とは言えないが、軽い予兆が見える状態で、多くの場合心臓病、糖尿病など若い時からの生活習慣病に起因するすることが多いらしい。こうした未病の状態を改善し、健康状態に持っていくことは自分のためにも、周囲のためにもハッピーな状態であると言える。健康増進・維持のためには体力・知力・食事が大切な要素と言われているが、この1週間で、これらをいろいろと体験したので、本ブログに取り上げてみた

【体年齢の測定結果】
神奈川県は企業・団体等と連携して県民の「未病を改善する」取組みの一環として、実際に体験・実践できる「未病センター」を小田原市内のショッピング・センター内にオープンした。この施設で体力測定を試みた。片足スクワット、柔軟性、腹筋などの測定をした結果、体力年齢50代後半と嬉しい結果を得た。また腰、お腹、ひざ、肩、姿勢などの衰えを防ぐための効果的なストレッチと筋トレの方法を教わった。今までの自己流よりややハードだが、保有する健康運動器具などと合わせて、できるだけ効果的に実行しようと思いを新たにする。数値の改善を目標に、今後3ヵ月ごとに測定していくことにした。


Photo 【血管年齢・骨健康度・脳年齢の測定】
小田原市役所内に「すこやか健康コーナー」が設置された。血管年齢は実年齢より若干若く、弾力性も比較的Goodの状態だった。骨ウェーブ測定結果はA~Eの5段階でBランクとまずまずの結果。「体力年齢に応じた無理をしない運動を継続してくれ」とのメモを頂く。問題は脳年齢の測定だ。モニター画面に①から50までの丸数字がランダムに散らばっている。①から順番にタッチしていき、一定の時間がくるとストップとなる。2回戦はその数字が動いていくので、場所の記憶は役に立たない。途中該当の数字が見当たらないことがあり、焦ってパニクル状態になることがある。測定の結果、実年齢より10歳若いという診断が出たので、ホッとしたところ。慣れればもう少し良い結果が出るかも。この診断でチンパンジーの実験を想起したが、さすがにピーナッツまでは出てこなかった。(笑)


【健康食事の調理実習】
小田原栄養士会が主催する「糖尿病週間行事調理実習献立」に参加した。5~6人のグループで6班に分かれ、それぞれが異なる献立を2~3種類調理する。食材、レシピ等は全て主催者側が用意し、エプロン、三角巾は自前で用意。栄養士の指導のもと、主菜は「鶏肉のバジル炒め」、「タラのアクワパッツア風」など5種類、副菜は「ひじきのサラダ」、「きのこのトマト煮」、「人参の胡麻煮」など8種類、栄養士がついての調理実習は初めての経験。もっとも包丁作業は他の人に譲った。終了後各班が調理した料理を20~30皿に分けて並べ、各々好きなものを3~4皿ほど選んでトレーに取る。主食はご飯かロールパン、汁物はキノコ汁の一種、果物はミカン、リンゴ、柿から一種。各自が選んだ食事を栄養士がカロリーチェック。全体にカロリーは低めの献立だが、味はしっかりしており、結構美味しかった。自分が選んだ食事は4皿で総カロリーは381カロリーだった。これで参加費無料だから驚きだ。結構な昼食となった。


Photo_2 【糖尿病予防のための講習会】
午後からは場所を移して、「糖尿病にいいことは健康にも美容にもいい!」というタイトルで横須賀共済病院の土井路子先生が1時間半ほど講演。参加者は」100人くらいか。自分に糖尿病の兆候はいまのところ全くないが、基礎知識の他、予防法や、なった場合の対処法など大いにプラスになった。

2017年11月14日 (火)

はじめてのコーヒーの味

コーヒーをはじめて飲んだのは、昭和34年(1959)、16歳の時だった。当時我が家では紅茶やココア、カルピスなどを飲むことはたまにあったが、コーヒーを飲むことはなかった。それもそのはずで、戦後コーヒー豆の輸入が再開されたのは1950年(昭和25)のことで、実に8年ぶりのことだったという。量も少なく、一般の人が口にすることは多くはなかったようだ。コーヒー豆の輸入が全面自由化になったのはそれから10年後、1960年のことで、この年多くのメーカーがインスタントコーヒーの製造を開始、翌年には全面自由化となって内外のメーカーが入り乱れてインスタントコーヒーブームが起こった。

つまり、コーヒー豆が完全自由化される前後にようやく口にしたということになる。これにはちょっとしたエピソードがある。高校に進学して半年ほど経つ頃のことだった。今や「世界の新三大夜景」として有名な長崎の稲佐山展望台だが、ロープウェイは昭和34年10月に開業している。通学途中にその麓の駅があった。この麓の駅は神社の境内にあり、鳥居をくぐって数10段の階段をあがったところにあった。中学・高校と毎日この鳥居の前を歩いて通学した。
Dscf1770_2 稲佐山展望台

Dscf1771_2 展望台から市街を望む

ロープウェイが完成して間もなく、通学途中で、この階段を上っていく可愛い女の子と出会った。その子は階段の途中で振り返ってニッコリ笑い、軽くお辞儀した。はて、誰だったか?翌日も、次の日も続いた。そして思い切って話しかけてみた。なんと、中学3年時の同級生だった。軽くお化粧し、すっかり垢抜けして見違えるほどだった。女の子から女の娘(こ)に脱皮したように、恥ずかしそうに微笑んだ。

しばらくして休みの日に、親父を誘ってロープウェイに初乗りした。展望台のレストランには期待通り彼女がいた。可愛いウェイトレスの服に身を包み、オーダーを聞くために傍にきた。ここでちょっぴり大人っぽく振舞おうと飲んだこともないコーヒーを注文した。運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、驚いた。独特の豊かな香りに、芳醇な味、コクのある風味というのだろうか、これぞ大人の味だと思った。その後何年かたってブルーマウンテンを飲んだ時にあの時の味に近いと思った。しかし、稲佐山展望台で初めて飲んだコーヒーに勝る味にお目にかかったことはない。それから彼女に会う機会はプッツリ途絶え、晩年になって開かれた中学校の同窓会でもその消息を耳にすることはなかった。

ついでながら、そのことがあった翌年あたり、1961年から62年にかけて、西田佐知子が歌った「コーヒールンバ」が大ヒットした。原曲は1958年、コーヒーをモチーフにした「モリエンド・カフェ」(コーヒーを挽きながら)で、ベネズエラで生まれた。日本版ではアラブの坊さんとあわれな男の話に変わっているが、コーヒーの不思議な味を軽快なテンポで歌っており、稲佐山展望台のコーヒーの味とともに忘れられない曲となった。


   「コーヒールンバ」    歌:西田佐知子   作詞;中沢清二

♪昔アラブの偉いお坊さんが 恋を忘れた あわれな男に
 しびれるような 香りいっぱいの こはく色した 飲み物を教えてあげました
 やがて心うきうき とっても不思議 このムード
 たちまち 男は 若い娘に 恋をした
 コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム 南の国の情熱のアロマ
 それは素敵な 飲み物 コーヒー・モカマタリ
 みんな陽気に飲んで踊ろう 愛のコーヒールンバ♪

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2017年11月12日 (日)

「保守」と「リベラル」を考える

◆今年の「新語・流行語大賞」の候補30語がノミネートされた。小池百合子氏が喋った「アウフヘーベン」、「共謀罪」、「忖度」、「フェイクニュース」・・これらが候補に上がった理由はよくわかる。ところが全く意味も分からない、初めて聞くような言葉がいくつかあった。それは毎回のことだから年のせいだと気にもしていない。今回も政治に関わる話題で恐縮だが、昔からよく使われてきた「リベラル」という言葉。今年ほどよく耳にし、目にしたことはかつてなかった。この「リベラル」が候補に上がってもよかったかなと思った次第。

◆日本の「リベラル」はやや左傾化した勢力に対して使われるケースが多い。何故だろうか。本来リベラル(Liberal)」とはLiberty(自由)の派生語で、「自由主義的」の意である。日本の自由民主党は英文ではLiberal Democratic Party。従って自民党の方がより正しく「リベラル」を使っていると言える。ところが、リベラルには「個人の自由や個性を重んじ、寛大な心の広い」という意味も備えている。また自由を意味するFreedomに比べて「抑圧からの解放を意識して使われることが多い」と言う。

◆日本の自民党はタカ派(=保守派)とハト派(=リベラル派)の二つの勢力が存在し、一強体制を維持してきた。アメリカの共和党(Republican  Party)は一般的に保守主義で、民主党(Democratic Party)はリベラル的立場をとっていると言われる。要するに民主党は労働運動、労組重視、マイノリティ、死刑廃止・不法移民容認・同性愛容認・宗教多様化容認等の立場に立って、共和党に対峙し、その政治姿勢が「リベラル」と目されてきた。然し、決して社会主義を目指すものではない。こうしてアメリカではこの二大政党が互いに切磋琢磨して、政権交代を繰り返してきた。

◆日本のかつての民主党の英文名は Democratic Party of Japan 、また民進党はThe Democratic party と称した。リベラルという言葉は使っていない。ところがかつての民主党や改称した民進党の左派系の人達、及び分裂して誕生した立憲民主党、社民党などをひっくるめてリベラル派と呼んでいる。本来リベラルとは路線や枠組みの問題ではなく、「何をやるか」である。アメリカの民主党が誰を対象に何をやるか、はっきりした目的・政策を持っているのに対し、日本のリベラル系と言われる左派系が路線問題や観念的対立に明け暮れ、離合集散を繰り返しているのとは対照的だ

石橋湛山鳩山一郎吉田茂など戦後日本の名だたるリーダーたちは、第一級のリベラリストだった。石橋湛山は「斬新な思想は自由な社会から生まれる。将来の為に、言論の自由は徹底して確保しておかなければならない」と述べた。左派も含め、あらゆる主張に耳を傾け、政策に盛り込んでいくという姿勢を持つ保守の健全な精神を持つ人たちが、リベラルと呼ばれていたという。ところが、現在多くの人がリベラルと聞いて想起するのは、左派的なリベラルだ。「冷戦終結以降、かつての社会主義者や市民運動家がリベラルと言う名の心地よい椅子に座り始めた。『リベラル』に保守派リベラル革新的リベラルのふたつの流れができてしまったのが今日の混乱の始まりではなかろうか。

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2017年11月 4日 (土)

与野党国会審議について考える

◆自民党執行部は、予算委員会など各委員会の質問時間を議席数に応じて配分するよう見直すべきだと主張し、これに対し野党が一斉に反発を強めている。質問時間の配分については自民党が野党に陥落した時に、それまでの与党3、野党7だった配分を、時の民主党政権を攻めるため、与党2、野党8に強引に持っていった経緯がある。その慣例が与党に返り咲いた今でも続いていたが、この衆院選の勝利を皮切りに当選3回目の若手達が質問時間の少なさに不満をぶつけ、自分達も民意を得て議席を得たのだから、平等に質問時間を与えて欲しいと執行部に強く求めたことに端を発した。

◆自民党執行部はこれを受け、議席数に応じて与党7、野党3に改めるべきだと主張するが、これは掛値であって、本音は与党4、野党6くらいで決着したいところだろう。実際の所、自民党若手にとっては、野党議員が質問する場面はTVで何度も流されるのに対し、自分たちはそういう機会が皆無に等しいので、不平等感を解消したいという気持ちを持つことは分からないでもない。政府にとっても野党の質問時間は短い方が議事運営上も好ましいところだ。ところが野党にとっては政権与党を攻め立て、自分たちの存在意義を最大限に発揮したいところだから、「妥協の余地はない」と普段はバラバラでも、この点に関しては一致団結して猛反発する。しかし、あまり突っぱねてばかりいては審議そのものが開かれず、ズルズル先送りされてしまうというジレンマを抱えている。

◆自民党の中でも石破氏のように「与党は法案、予算を提出する前に政府と散々やり取りする。その分は割り引かねばならない」とする意見も多い。本来、国会は国の重要な外交問題、安全保障問題、経済問題、税制・財政問題、社会保障問題など当面する様々な課題について大所高所から深く議論し政府の政策についてチェックすると同時に全体の均衡を図り、時には提案する場であっても良い。ところが現状はどうか。森友・加計問題に見られるように政府の失策のように見えるスキャンダラスな問題が起これば、「ここぞチャンス」とばかり、全野党が同じような質問を繰り返す。政府の説明も悪いが、野党の態度とそれに呼応するメディアの姿勢も褒められたものではない。もっと重要な政策課題はあるのにメディアが取り上げるのはこんな問題ばかり。国民も難しい政策論議より分かりやすいスキャンダラスな問題に関心を示す。危機は身近に迫っているというのに、「平和ボケの証拠」かもしれない。

◆そもそも国会質疑は野党が一方的に質問を浴びせ、政府は平身低頭して答えるのみ。これを見ている限りにおいてはどちらが偉いのか分からない。国会は議論する場ではなかったのか。そうであるなら、質問中に答弁者から逆質問があってもよい。「ではあなたならどうすればよいと考えるか」、「対案があるのか」等々。丁々発止互いにやり合い、説得するなどして、議論を活性化しなければならない。揚げ足取りや重箱の隅をつつくなどはいい加減止めて欲しい。また日本の国会は総理を延々と委員会に縛り付けることが多すぎる。野党が得点を稼ごうという算段だろうが、そろそろ国会質疑の在り方自体を抜本的に改めるべきではなかろうか。

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2017年10月29日 (日)

小選挙区制度の見直しは?

◆衆院選の結果を受けて、朝日新聞や毎日新聞などのメディアは野党が一本化していれば、与党が3分の2を超える大差で圧勝することはなかったというような論説を展開している。得票結果を見て「野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転」などと分析結果を報じているが、まるで「なぜ野党が一本化して与党に立ち向かわないのか」とか、「与党一強体制を存続させてよいのか」といったような論調にも聞こえる。換言すれば善良な多くの選挙民が現体制を容認しているのが「悪」であるかのように嘆いているようだ。

◆また、野党からは小選挙区の負の面(第1党が得票率に比べて獲得議席数の比率が高くなり、死票が多くなる。死票は過去最大50%を超えた時があった。)を取り上げて、選挙制度の見直しに言及する議員もいた。もともと自分的には小選挙区制に積極的な賛成派ではない。但し、一挙に現政権を倒し、政権交代を成しうる制度であることも確かだ。旧民主党の時代の2009年、歴史的な政権交代を果たし、その3年後にはまるでオセロゲームのように安倍政権が劇的な政権交代を成し遂げた。自分達が不利だったからと言って、制度を云々するのはあまりにもご都合主義と言えよう。

◆選挙制度にベストな選挙制度はない。日本では選挙が終わるたびに、判で押したように「現行の一票の格差は憲法違反だ」と訴える馬鹿な弁護士グループが存在する。最高裁が概ね1.0から2.0以内であれば合憲とする判断をしているにも拘らずだ。仮に限りなく平等に近づけるとするならば、全国1区の大選挙区にならざるを得ない。かつて参議院の全国区という選挙区があったが、全国組織を有する団体、有名人に限られてくる。さらに少数政党が乱立しやすくなり、不安定さを増す。

◆中選挙区に戻そうとする意見も散見されるようになった。そうなれば第一党が複数の候補者を立て、また派閥政治に逆戻りしかねない。野党分裂のままでは政権交代はますます遠ざかる。もともと野党は偏波で狭量、妥協を嫌うという性格を持っている。それらが野党共闘で一本化すること自体、選挙民はその真意を見透かしている。小沢一郎が「オリーブの木」構想を打ち出している。かつてイタリアで野党合意による連立政権を誕生させた例に倣ったものだが、長続きしなかった。理念や主義主張・政策の一致を見ないまま政権に就いたとしても、いずれ内部分裂を起こし、破たんすることは目に見えている。

◆なお、ついでながら最高裁判所の裁判官の国民審査について触れてみたい。これは衆院選挙に合わせて、必ず付いて回るもので、憲法第79条の2項、3項に規定されているが、いくら国民の権利とはいえ、国会議員の審査(選挙)と違い、その裁判官を罷免するかどうかの判断を国民に求めるのは酷と言うものだ。過去の実態でも常に数%の「不可」があるが、罷免されたためしはない。まさに形式に流されていると言わざる得ない。これについては審査される最高裁裁判官以外の全裁判官、及び検察官弁護士などの専門家にその権利を付託するなどの改憲案を考えてもよいのではなかろうか。憲法改正事項はいくらでもある。
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2017年10月24日 (火)

総選挙に見る希望の党と立憲民主党

安倍総理が無理筋とも思える解散・総選挙に打って出た「賭け」は、前原氏の民進党解体・希望の党への合流という「奇策」と小池氏のオウンゴールのお陰で、思いもかけず与党は解散前とほぼ同じ3分の2の勢力を維持した。一番ホッとしたのが安倍総理自身だろう。国民も賢い選択をするものだと感心した。

【希望の党の敗因と今後】
◆小池氏の「排除発言」が国民からソッポを向かれた大きな原因とされるが、政党である以上、原理・原則に大きな隔たりがあれば、いずれ争いが表面化することは必至。だから、そのこと自体大きな問題とは思わない。問題はそのことより、小池氏自身、都知事選・都議選の結果を天祐とせず、自分の実力と過信したことによる。人事を含めた組織のルールを軽んじ、「私がルール」だとばかり、勝手に刺客や落下傘部隊を決め、選挙民の意向を全く考慮せずに突っ走った結果だった。相撲の立ち会いで焦って突っ込んだが、自分から滑って転んだようなものだった。


◆国政に進出するには、手足となる地方議会の議員を数多く輩出して、地道な政治活動を続けること、それが確かな近道となる。ガラスの天井を破ったからといって、落下傘部隊を上から降ろしただけでは、風向き次第でどこに漂着するか心もとない。彼女が言うシガラミの無い政治とは地域に密着しない、風に乗った政治家の量産ということらしい。こうした候補者を数合わせで無理に擁立すること自体、国民を舐めている言われても仕方がない。人様にはいつも「情報公開」を訴えながら、実は自分がブラック・ボックスだったとは笑うに笑えない。希望の党は将来に希望を持てそうにないが、小池氏を総理候補として再浮上させることができるかどうかに掛かっていると言えよう。

【立憲民主党の勝因と今後】
◆今回特筆すべきは、立憲民主党が公示前の15議席から55議席へ大きく伸ばし、第二党に躍進したことだ。しかしこれは枝野氏が積極的に仕掛けたというより、希望の党に排除され、仕方なく立ち上げたというのが本筋だろう。それに判官贔屓の日本人気質と、「打倒安倍一強に賛成だが、共産党はどうも」と言う声が一挙に押し寄せた結果だ。その証拠に共産党は公示前の21から12へと大きく議席を減らした。


◆しかしながら健全な野党は日本にとっても必要だ。単に「安倍一強体制を倒す。憲法改正反対」だけでは共産党と同じだ。国民に甘い言葉だけでなく、時に耳に痛い言葉であっても真に必要であれば勇気を持って説得しなければならない。国民が安心して政権を任せるだけの実力を蓄え、外交・防衛の一貫性は堅持し、内向きの姿勢を改めて、国際的地位を高める努力を続けることが重要になる。何でも反対の姿勢はそろそろ止めた方がよい。そして総理候補なり得る人物が現れるか、そうでなければ万年野党の域を出ることは難しかろう。自民党は間違いなく総理になり得る人材を抱えている。言うまでもなく小泉進次郎だ。

2017年10月19日 (木)

なんだか空しい衆院選

◆安倍総理が突然解散総選挙を表明したのは9月25日。28日には衆議院が解散され、10月10日に選挙戦に突入。3日後の22日には投開票が行われる。表明から投票までわずか4週間。ずいぶん昔の出来事だったような気がする。この間あまりにも変化が多すぎたからだろう。希望の党の立ち上げ、民進党の分裂、立憲民主党の立ち上げ・・・。

◆本来なら政治の大きな変化で世間は盛り上がるはずだが、少なくとも自分にとっては次第に関心が薄くなり、しらけムードになっている。盛り上がっているのは当事者やメディアだけ。TVが党首や幹部の一方的な主張を放送し、無味乾燥な政見放送が流れだすとついついチャンネルを回してしまう。一方通行で独りよがりの選挙PRのため、選挙民との意見交換が見られない。10年1日のような相も変らぬ選挙運動とその体制。無関心になるのは50%台そこそこまで低下した投票に表れている。メディアは議席獲得予想にしのぎを削り、まるで競馬の予想屋だ。

◆安倍総理の自己都合による解散を「けしからん」と野党は批判した。解散権の乱用は別の次元で論じなければならない。(憲法改正に組み込むとか) もともと野党は「打倒安倍一強」とか「安倍辞めろ」、「内閣不信任案だ」と終始主張していた。だとすればそのチャンスを与えてくれたのだから、大いに感謝しなくてはならない。仮に政権交代となれば安倍さんに対し「感謝状贈呈」ものだろう。

◆しかし選挙戦に突入すると、例によって例の如く、与野党とも批判の応酬合戦。選挙民の歓心を買いそうな甘い政策ばかり訴える。そもそも予算を伴う法案を提出するには50議席以上の獲得が必要だ。その目途もないのに大風呂敷を広げる党もあるから嘘が透けて見えるのだ。幼児教育無償化、高等教育無償化、結構だ。だが年間いくらかかるのか。どこからその財源を持ってくるのか。議員削減、歳費削減、公務員給与削減、いいだろう。だが年間いくら削減できるのか。自治労、日教組等の話し合いの見込みは?それらの具体的数字を示した政党はあっただろうか。そもそも1000兆円をこえる莫大な借金を減らすことを考えず、増やすことだけ考えている政党ばかりではないか。財政再建は自分達の代では必要ないと思っているのか。

◆立憲民主党の枝野氏の評価が上がっている。真面目さ、ひたむきさは伝わってくるが、政権担当能力を回復したとは思えない。民主党時代の華々しい「事業仕分け」は何だったのか?家の近くにある公益事業財団もやり玉に挙がったが、その後、これ見よがしに綺麗な建物に建て替え、敷地も整備してまるで火事後の焼け太り状態だ。結局何の拘束力も持たないパフォーマンスに過ぎなかった。枝野氏は安倍総理の元では憲法論議をしたくないという。まるで子供の論理だ。

◆共産党は決まり文句のように、「市民と一体となって云々」と言う言葉を使う。共産党と一体でなければ市民ではないのか?自分も市民の一人だと思うが、共産党に協力した覚えはない。共産党が言う市民とは、共産党シンパの市民であり、体制批判のためにデモしたり、妨害する市民団体のことである。これから市民と言う言葉を使う場合は「共産党に賛同する市民」と表現を改めて頂きたいと思う。
この程度の国民だから、この程度の政治家しか生まれない」という言葉がある。政治を変えるには国民自らが変わらなければならない。それが分っているから、虚しさだけが残る。

2017年10月16日 (月)

秋の夜長に-お酒に纏わる名言・迷言

秋の長雨が続いている。めっきり寒くなった。朝晩は「暖」が恋しくなる。
だがまだ10月。炬燵を出すにはちと早かろう。日本酒が美味しくなる季節だ。
今夜はビールを止めてお酒にするか。お酒に纏わる名言・迷言を並べてみた。


・お酒飲む人 花ならつぼみ 今日もさけさけ 明日も咲け
・酒飲みは 奴豆腐に さも似たり はじめ四角で 末はぐずぐず
・酒は酔うためのものです。他に功徳はありませぬ。 
(太宰治)
・安い酒でも楽しく飲めれば美味い酒。 高い酒でも寂しく飲めば不味い酒。
・酒は百薬の長なり。されど万病の元なり。  
(兼好法師)

・この盃を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
  花に嵐の例えもあるぞ さよならだけが人生だ  
(井伏鱒二)
・老人:「お前はなぜそんなに酒を飲むのだ?」  男:「忘れるためさ」
  老人:「何を忘れたいのだ?」  男:「忘れたよ そんなことは」
・酒に罪はない。 泥酔する人間に罪がある。
・酒を飲むのは 時間の無駄。飲まないのは人生の無駄。


・避けがたいのは酒     ・「こんなの米と水ですよ~」
・酒飲みの人生 前半は肝臓を苦しめ、後半は肝臓に苦しめられる。
・酒を飲めない人は人生の半分を無駄にしている。
  酒を飲む人は人生の大半を無駄にしている。  
(悪魔の辞典より)
・「酔っ払い」とは、ウィスキーの瓶のようなものである。首と腹だけで頭がない。
・酒が不味くなる迷言:「俺の酒が呑めねえのか」


・「天国よいとこ 一度はおいで 酒はうまいし 姉ちゃんは綺麗だ」
・オヤジ:「こんなに顔がいくつもあるような化け物に身代が渡せるか」
 息子:「俺だってこんなにグルグル回るような家など、要らねえよ」
(落語::親子酒)
・酒を飲むやつはとんでもない ろくでなしだ。
  酒を飲まない奴はそのろくでなしからもろくでなしと言われるろくでなしだ。
・恋人は一瓶のワインであり、妻はワインの空き瓶である。
 (ボードレール)
・酒の害は酒が毒だからでなく、素晴しいが故につい飲み過ぎるからだ
。(リンカーン)

・春は夜桜 夏には星 秋に満月 冬には雪。 それで十分酒は美味い。
  それでも不味いのなら それは自分自身の何かが病んでいる証しだ。
・酒は楽しい時に飲むものだ。悲しい時に飲んではいけない。
  ヤケ酒は酒を造ったものに対して失礼である。
  但し、例外をひとつだけ認めよう。それは愛するものを失った時だ。
・ある哲学者の言:本に酒は体に悪いと書いてあったので、私は読書を止めた。


Photo最後はやっぱりこの歌で締めよう。

 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の
     酒はしづかに飲むべかりけり

                        (若山牧水)

  


 

2017年10月15日 (日)

枝野氏の「立憲民主党」について

◆枝野氏が総選挙を前に立ち上げた「立憲民主党」が脚光を浴びている。逆に、ブームに乗るはずだった「希望の党」の影が薄くなった。もともと旧民進党全員で、希望の党に合流しようとしたところ、「あんた達はダメよ」と小池氏に袖にされ、止むを得ず行き場を失った仲間たちを糾合して立ち上げたというのが真相だろう。
結果的には、保守系から左系まで幅広く抱えた民進党が、希望の党・立憲民主党・無所属・参議院民進党の4つに分かれてしまった。仮に旧民進党が丸ごと「希望の党」に合流していれば、ひょっとしてブームに乗って第一党に躍り出て、総理の目が見えてきたかもしれない小池氏。都政のシガラミを切って出馬していたら、ついに政権交代、女性初の総理大臣誕生となっていたかもしれない。

◆しかし、それから先は小池氏が描くシナリオとはまるで違っていただろう。まさに「ひさしを貸して母屋を取られる」の例え通り、小池氏子飼いの実力ある腹心たちが皆無の中、リベラル派と言われる旧民主党の守旧派が幅を利かせ、ことあるごとに彼らとぶつかって、政権維持はおろか、内閣不信任案、解散総選挙と国政は再び混乱を来たすだろう。
小池氏もそれが分っているから、敢て「踏み絵」を踏ませ、ふるいにかけたに違いない。そもそも一挙に過半数獲得を目指し、経験薄い候補者たちをかき集め、都議選勝利という二匹目のどじょうを狙ったのが拙速だったと、自分でも悟るのではなかろうか。俄作りの政権が旨く行かないことは、「細川政権」、「自社さ政権」で十分経験しているはずなのに、「功を焦った」としか言いようがない。


◆さて今回、枝野氏は政党名に民主主義の根幹をなす大事な要素である「立憲主義」を改めて大きく掲げ、「立憲民主党」と命名した。私が受けたその印象は、「何と古めかしい名前を引っ張り出してきたのか」だった。一般的に現在における「立憲主義」とは憲法が個人の権利や自由などを保障し、巨大な権力を有する国家はその憲法を遵守する必要がある。つまり憲法によって国家権力が制限されるということになる。戦後は「立憲主義」が当然のような政治形態になっており、ことさら持ち出すこともなくなって、政党名に冠すことは殆ど無くなった。

◆枝野氏は今の安倍政権が「立憲主義にもとっている」という判断なのだろうが、こういうことを自由に主張できて、正々堂々と反対行動に打って出ることができる世の中にいるということ自体、立憲主義が確立されているという証左ではなかろうか。これが北朝鮮や中国だったりしたら・・考えただけでゾッとする。安倍政権が「立憲主義」にもとっているかどうかは個人の判断だ。総選挙で一定の答えが出るだろう

◆枝野氏の主張で一点だけ同意できる部分がある。それは「総理の解散権の制限」だ。今回の解散自体いろんなところから疑問が指摘されている。私も以前このブログで、この問題を取り上げた。解散権は総理の専権事項だとして従来から踏襲してきたが、これは憲法七条の拡大解釈に過ぎない。本来憲法を素直に読めば衆議院の解散は「内閣不信任案が可決された時(信任案が否決された時)」か「任期満了に伴うもの」に限るとするべきだ。枝野氏がそう思うならば、安倍総理の元では憲法改正論議は一切しないなどと駄々を捏ねないで、まともに取り上げ、正々堂々と論議すべきだろう

2017年10月 9日 (月)

こんな政治家はいらない

◆安倍総理が何を感じたのか、かなり危険な賭けに出た今回の解散・総選挙
彼の思いとは裏腹に小池都知事が夏の都議会選挙の大勝利の余波をかって、美酒を再びとばかり、「希望の党」を立ち上げた。ところが野党第一党の民進党前原代表はそっくりそのまま「希望の党」に合流するという奇策に打って出た。落ち目になったとは言え、まだ明確な国政政党としての体を成していない「希望の党」へ鞍替えするというのだから、日本憲政史上初めての驚天動地の出来事と言ってよいだろう。


◆しかし民進党は、多少の屈辱は我慢しても、小池頼りが勝利の近道とばかり合流したグループと、今更先行した若手の股をくぐれるかと言って無所属で戦う大物議員達のグループ、そして希望の党に撥ねられ、男の股間じゃない、沽券に係わることだから、それをバネにしてより革新的な道を進もうとする枝野氏や旧社会党系グループの3つに分裂してしまった。「立憲民主党といっているが、「一見民主党ではないかと揶揄される始末。

◆そこで問われるのが我々有権者の選択眼となる。政治家は自己PRに余念がないから、投票するに当たって「こんな政治家はいらない」という、「笑点」流の基準を設けた。

・「違うだろー! このハゲ~!」と怒鳴り散らす政治家。
・しばらく雲隠れして、ほとぼりが冷めたら、しおらしく「無所属で立ちます」という政治家。
・国会では「風林火山」のように鋭く政府を攻めながら、国会を離れると「フーリンカーサン」に変身する母親政治家。
・前回選挙で、全国で一番最後にギリギリで当選した元総理大臣経験者。
・「あれもやります、これもやります」と言っていながら、その財源を聞かれると「困っちゃうな」と言う人気取り政治家。
・全選挙区に候補者を立てながら、他党の動き、選挙区の都合により、降ろしたり配置換えしたり、まるで手品師のように人間を取り扱う独裁的政治家集団。
・国会にわずか2議席程度しか支持を得ていないのに、TVでは他党と同等以上に大きな顔をする某党と某党。
・選挙民に耳当たりのよい公約(負担は少なく、給付は多く)を吹き込みながら、当選すれば儲けもの、公約を果たせなくとも「与党じゃないから、と言い訳してきた万年野党の政治家」。
・国会乱闘の際、スカートのまま机の上に飛び乗って、目をそらせた女性政治家。
・都知事を続けるのか、国会議員となって総理総裁になるのか、ギリギリまで思わせぶりな態度で、周りを翻弄する「希望の党」党首。

 
 「気を付けよう  甘い言葉と  暗い道」

◆野党、特に左傾は「安倍1強を倒すことが先決。そのためには大同団結して当たることが必要」と叫ぶ。しかし、思いが叶って倒したとしても、そのあとの体制のことを考えているのだろうか。何の青写真もなくただ倒すことが目的では、その先の瓦解は目に見えている。薩長連合をはじめとする討幕軍は、幕府崩壊後の新体制について坂本龍馬をはじめとする有志達が新政府の青写真を描いていた。そして見事に明治新政府を樹立したという歴史上の史実から学ぶべきことは多いはずだが。

2017年9月30日 (土)

「原発ゼロ」は人気取り政策か

小泉純一郎元首相の行くところ、常に「原発ゼロ」という言葉が付いて回る。
新党を立ち上げた小池百合子氏との会談においても、「いいね。原発ゼロだよ」、
街頭に立って聴衆を前に演説するときも、「原発ゼロ、原発ゼロ」を連呼する。
まるでお題目のように「これさえ唱えていればすべてがうまくいく、幸せになれる」と訴えているようだ。そう言えば、だんだん「原発ゼロ教」の教祖様に見えてきた。


このお題目、一聞「単純・明瞭」で世間に浸透しやすい。「原発は怖い、だから廃止するのだ」。実に分かりやすい。しかし、人はこれさえ唱えていれば明日から原発はすべて消えてなくなると信じているわけでもなかろう。だが、ひょっとしてそう思い込む無知な人がいるのかもしれない。新興宗教は無知な人につけこみ易いからだ。
原発ゼロ」とはどういう状況を指すのだろうか。それは現在全国にあるすべての原発を廃炉にして、建設以前の状態に戻すことを指しているのか。また使用済み核燃料を含む膨大な廃棄物の処分も完ぺきに終了したこともって、ゼロというのだろうか。現在、その最終処分地を引き受ける自治体さえ決まらない状態だが・・。


あるいは現在、稼働中、点検中、建設中、計画中など、すべての原発の廃止を決定することをもって「原発ゼロ」とするのだろうか。福島第一原発の1~4号機は震災の翌年の4月に廃止が決定、残る5、6号機は2014年1月に廃止が決定した。廃炉・解体作業が終了するのは順調にいって2050年代の半ばと見込まれている。この間はゼロと言うのか、言わないのか。原発は廃止を決定すればそれで済むというものではない。廃炉作業に入るまでの維持メンテナンスは必要だし、廃炉作業に入っても長い時間と労力、膨大な資金が必要になってくる。「決めてしまえば、あとはお任せ」では、政治家たるもの無責任というものだろう。

震災前に28%あった全発電量に占める原子力発電の割合も、現在では数%。新規の建設をストップし、老朽化したものを廃炉にしていけば、やがて原発は無くなっていく。問題は廃炉に伴う膨大な資金を誰が負担するかだ。電力会社の負担とすれば利用者の料金に跳ね返ってくるし、「国が決めたのだから、国で」とするならば、いずれ税金になって跳ね返ってくる。さらには実際に廃炉を行う技術者の継承、育成も必要になる。
原発ゼロ宣言」したからと言って、人手、資金、時間を考慮すれば、一斉に廃炉作業に取り掛かることは不可能だろう。厳重な審査をパスした原発のみ稼働させることを前提にすれば、10~15%程度の発電のシェアを確保することができ、この間の廃炉コストの負担を軽減することができる。また、人材育成にも資するだろう。要は原発ゼロ」をお題目のように連呼する政治家は、単なる人気取り政治家に見えて仕方がない。

2017年9月28日 (木)

歴史に残るか、小池の政変

◆政変が起きる時は、予測も困難なくらい短兵急に事は起こるものだ。「大化の改新」、「本能寺の変」、「桜田門外の変」等々。
今回の安倍総理の突然の解散・総選挙は、与野党間に大混乱を惹き起こした。「解散に大義無し、自己中心の解散、疑惑隠し解散」など、与党の中でもブーイングがあったようだ。だからと言って、解散ボイコットなどの動きは起こってこない。一旦走り出せば、その動きは誰にも止めることはできない。その辺が日本の政治の不思議さだ。


◆しかも今回は「小池新党国政進出か」という予測もあり、民進党を中心に「バスに乗り遅れるな」とばかり離党ドミノが続発した。「機を見るに敏」な小池都知事、ここぞチャンスとばかり、若狭、細野二人の側近に新党立ち上げの準備を任せた。ところが予め計算していたのか、もたつく作業に業を煮やしたのか、「リ・セット」を宣言。小池氏自ら党首となる「希望の党」を立ち上げた。それから「あれよ、あれよ」と言う間に加速度的に政変が進んだ。

◆櫛の歯が欠けるように離脱者が続いた民進党は、前原代表が「一層の事、全員丸ごと合流を」と、とんでもない奇策に打って出た。あの頑固で左翼的な連中も自分の議席保持のため、見栄もプライドも投げ捨て、しぶしぶ事実上吸収合併のような合流を認めた。但し、民進党の党籍はそのままというのだから、実に分かりにくい。左右の路線対立は解消されたのか?今後の国会論戦でギリギリの選択を迫られた時、あっさり自説を曲げるのか?懸念されるところではある。まさにこの一連の動きは「小池百合子の変」と呼んでもよいくらいの政変になってきた。

◆しかし、小池百合子なる人物、「資金なし、人手なし、あるのは度胸と、愛嬌と、口車」の状態でよくやるよ。新党立ち上げの記者会見で他党から転がってきた14の国会議員を従えた姿はまさに女帝そのもの。但し、いやらしさを感じさせないところが彼女一流の演出か。小池さん、現状では「都知事」と「希望の党党首」という二足の草鞋を履くことになるが、先の知事選で、小池氏を選んだ都民に対する責任はどうなるのか。「二頭を追うもの一頭も得ず(?)」というが、女性初の総理大臣を目指すと言われる小池氏、全国の小池ファンの空気を読み取って、都知事の草鞋を捨てる批判をものともせず、総選挙に名乗りを上げる可能性は大いに在り得る。それが小池劇場の第二幕か。

◆ところで今回、衆院解散・総選挙の道を選んだ安倍総理だが、大誤算となって、「我、時期を誤てり!」となるか、思惑通り「してやったり!」とほくそ笑むか、その結論は来月22日。お灸を据える程度であればまだしも、小池新党が政権を取るようになれば、いかなスーパーウーマンといえど、一人で切り盛りするのは不可能だ。2009年9月から3年ほど続いた民主党政権の悪夢が再来(政権担当能力の無さを露呈)なんてことにならねばよいがと思うのみ。

2017年9月20日 (水)

死後の世界は存在するか(後)

◆人は何故、亡くなったら葬儀をし、お墓を建て、命日やお彼岸に墓参するのか。宗教や風習の違いはあっても基本的には同様のパターンを辿る。ひとつには死者との生前の関りにもよるが(肉親であれば猶のこと)、死者とのお別れの儀式であり、けじめをつける儀式が葬式に他ならない。しかし死んだ人にはその思いは届かない。(死後の世界はないのだから)。その意味するところは送る側の精神的追慕の念であったり、死者の功績に対する敬意の現われであったり、生前世話になった御礼、もしくは自己の精神的充足や世間体等様々な要因が考えられる。

◆式を執り行うためにはその道の専門家である僧侶、牧師、さらには葬儀屋等に頼ることになる。最近問題になっているのが、僧侶に対する布施や戒名の高額化、葬儀費用の高騰、墓地購入・建立の困難さなど、葬儀は金銭問題にも転化していることである。そこで、その反動として質素な家族葬を行い、墓地は建物内の小さな区分所有、埋葬は樹木葬、海洋散骨など自然葬が増えてきている。むしろ地方で檀家を引き継いだ世代ほど苦慮しているという話も聞く。

◆ではお墓は何のために建てるのか。それはその人がこの世に生きていた証を表すために建てるものだ。さらに故人の霊(敢えてこの言葉を使う)に向かってお参りするためにも、形がなくてはならない。それがお墓だ。ところが近年の傾向だが、地方に実家があり、お墓もあるが、子供たちは皆実家を離れ、遠いところに生活の拠点を置いた場合、子供の代まではいろいろな機会を利用して墓参りを行う。ところが年月が経ち老齢化が進むと墓参りも次第に困難になる。孫の世代になるといよいよ足が遠くなり、50年も経てば誰もお墓を見なくなる。そうして墓石だけが山のように積まれて風化していく。このため子供が近くにお墓を引っ越す動きもあるが、要は100年も経てば墓石は無用の産物となってしまう。

◆ただ、例外的に200年経っても300年経っても参拝者が後を絶たないお墓もある。それは後世に名を残した歴史上の人物や、所謂偉人と言われる人達の墓だ。こうした歴史的に価値のある墓は残していくべきだし、これからも名を残したい人物の墓は必要だろう。自分のような凡人の墓は故人の遺志や遺族の意思があれば別だが、無理に作る必要はないというのが自分の考えだ。ついでながら葬式は質素な家族葬、僧侶・戒名は不要、自然葬だからお墓も不要(遺骨は自然界に帰すから)。その大きな理由は「死後の世界は存在しない」からだ。また、お墓を造れば残された遺族の負担にもなるから、それは避けたいという思いがある。

◆前段で取り上げた米・カリフォルニア工科大学のシーン・キャロル教授だが、決して頭から宗教や信仰を否定しているわけではなく、新たな段階の議論が始まることを期待しているという。即ち「死後の世界を信じるためには物理学の標準モデルを超えた理論が必要になる」という。宗教と科学の関係はこれまでとは異なる新たなステージで話し合われるべきであり、人間と意識がどのように機能しているか、もっと興味深い研究分野が拓ける。むしろ、超新科学がスピリチュアルを説明する可能性があると主張している。そういえば今週はお彼岸だ。明日にでもお墓参りしてくるか。

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2017年9月19日 (火)

総理の勝手な解散・総選挙は憲法違反?

◆内閣が解散総選挙を決める場合にその根拠となる法規定は言うまでもなく、憲法第69条【内閣不信任案決議の効果】に明確に規定されている。即ち、
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決した時は、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」と。これ以外に衆議院の解散を規定した条文は「四章:国会」、「五章:内閣」のどこにも見られない。

◆では何故、今回のように安倍総理の独断で、衆院解散・総選挙ができるのか?今までも「解散権は総理の専権事項だ」と言って、内閣の一存で、度々解散・総選挙が行われてきた。これを「7条解散」と言うそうだ。
憲法第7条には【天皇の国事行為】として「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」と規定されている。その内容は
(1)憲法改正、法律、政令及び条約を交付すること。 (2)国会を召集すること。 (3衆議院を解散すること。 (4)国会議員の総選挙の施行を公布すること。(以下6項目省略)
これらは内閣が承認したことを形式的に認めるという手続き上の行為に過ぎない。天皇がこれらを直接行うとすれば、それこそ憲法違反になってしまう。


◆したがって、7条でいう衆議院の解散や総選挙の施行は、第69条で定められた解散・総選挙の事務的承認でなければならないはずだが、「総理大臣の専権事項」として解散・総選挙までを7条に適用できるとするならば、行き過ぎた拡大解釈と言える。何故ならそれをOKとするならば、(1)項に掲げてある「憲法改正」も「総理大臣の専権事項」として処理することも可能になってしまうではないか。

◆本来野党もメディアも、「総理の独断による解散権行使」は、憲法上の不備として、問題提起し、とっくに議論しておくべきテーマだったのだ。英国は最近「無闇な解散権行使を制限する」憲法改正を行ったという。9条改正反対だけが野党のスタンスではなかろう。安倍総理の抜き打ち解散を非難する前に、こうした憲法改正も訴えておくべきだった。本来衆議院の任期は4年と決められている。無事それを成し遂げることこそ本筋だと思うが、権力者は自分の権力を誇示したいのか、安倍さんも1年3か月の任期を残して、解散総選挙をやるという。600億円ともいわれる膨大な国費を費やして。解散風を煽るメディアにも責任の一端はある。

◆野党は、不意を打たれた解散・総選挙に「横暴だ、ズルい、森友・加計隠しだ、北朝鮮への対応を空白にするのか、体制が整っていないのに卑怯だ」等々、右往左往するが、逆に言えば安倍さんの策士振りが際立つ。世界の海千山千のリーダー達と渡りあっていくには時に権謀術数も必要だ。森友・加計問題をいつまでもゴチャゴチャやっている場合ではない。すでに司直や当該機関の手に移っているではないか。そんなことしか追及できないのかと能力を疑ってしまう。また野党統一候補擁立の動きも異様だ。選挙の時だけまとまるなら最初から一本化して合併してしまえと言いたくなる。仮に間違って過半数をとってしまい、政権運営する立場に立たされたらどうする気なのか。その先のシナリオは過去に何度か見せられて、結局国民にNOを突き付けられたではなかったか。あれから進歩しているどころか悪化しているように見えるのだが。

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2017年9月18日 (月)

死後の世界は存在するか(前)

◆「人は死んだらどうなるか」、「死後の世界は存在するか」・・・人類始まって以来の永遠の課題である。この問題に米・カリフォルニア工科大学の物理学者で宇宙学者でもあるシーン・キャロル教授は、物理学の法則を広範に研究した結果、死後の世界にまつわる議論に自ら終止符を打った。その結論とは死後の世界は存在しないということだった。

◆古来より多くの宗教によって「死後の行き先」の存在が示され、「死後の世界」はもはや前提となっている。死者を弔う儀式、いわゆる葬式も多くの場合、死者を次の世界へ「送る」というコンセプトで執り行われている。それは人間の死生観に基づくものであり、そこに道徳・宗教・哲学が入り込む余地が生まれる。死後の世界は誰も見たことがない故、人間の想像が生んだ産物であり、結論はあって無きようなものだ。しかし、キャロル教授によれば死後の世界が存在するということは、「脳内の情報を死亡後に維持する」ということであり、それは不可能であると結論づけた

◆即ち、「日々の出来事の基礎となる物理学の法則は完全に理解されており、すべての出来事は可能性の範囲内で起こっている」、「もし死後の世界が存在するのであれば、我々の”意識”が肉体から完全に分離できるものでなければならないが、物理学の見地からそれは不可能である」という。さらにキャロル教授によれば我々の意識もまた究極的には原子と電子の組み合わせによる現象である。そして宇宙の基本法則は、我々の肉体的な死後に肉体から分離した要素の存在を許さないということだ。

◆キャロル教授がその主張の論拠としているのが「場の量子論」である。どのような粒子やエネルギーも一定の”場所”を占めているとする考え方だ。光子であれ電子であれ、質量がないように思われる最小構成要素にも自分だけのテリトリーがあるということになる。したがってもし「死後の世界」があるならば、場の量子論的には死後の世界や魂の”場所”がなければならないということになる。しかしそのようなスピリチュアル(精神的な、霊的な)場所はこの宇宙に存在しないという。場の量子論を含む物理法則の観点からは、死後に肉体から何らかの要素が分離して生き延びる方法も場所もないということになる。

◆自分はこのネット情報を読んで、普段漠然と思っている疑問がスッキリした感じがした。人は死ねば一般的に火葬され、骨や灰の9割は炭素となって埋葬される。他の殆どの元素は気体になって蒸散してしまう。即ち宇宙に溶け込んでしまうのだ。スピリチュアルなものでない単なる元素や素粒子として。しかし、人は死後の世界は存在しないと解っても葬儀、埋葬、供養等の長年馴染んだ習慣とは簡単に縁が切れるものではない。後段ではその部分に焦点を当てて考えてみたい。(続く)

Dscf1794 (野ボタン)

«北朝鮮を正常国家に戻す手立てはあるか。